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俺の人生を変えた、KENという男との出会い 前編

…なんだか壮大な題名となりましたね。まあ過言ではないんですけども。

私自身もバンドが嫌になって一時期趣味に切り替えましが、この男によって(いや、この男のせいで笑)また最近になりプロを目指す事になるから面白いもんです。

〜とりあえず出会い編、というわけで読んでください。〜

KENとの出会いは2008年5月、ちょうど大学に入学して1カ月の頃でした。シドニー生活もなんとなーーく分かってきて、当時DIRENGREYやlynch.などガウガウいう感じバンドにハマっていた俺はLUNASEAのコピバンを組みたくてとある香港人とスタジオリハに入ります。

が、この彼が、「ガチで下手くそだけど要望だけは多いナルシスト(バンドあるある)」でしてね、、

何だか時間を返してほしいくらい嫌な思いをしつつお断りして、再度メンバーを探して出会ったのがこのKENです。

KENはインドネシア人、自分の3つ上で兄貴のような存在でもありました。大学のキャンパスも近く、よく放課後遊んでました。
ちなみにシドニーには俺より何年か前に先に留学に来ていたので、ホストマザーよりシドニーに詳しかったです
※ホストマザーはいい人だけど、絶対に地元から出ないような、いわゆるエリア的には閉鎖的な人だった

よくAZNIGのファンの方に彼のKENと言う名前の由来を聞かれるんですが、正直あんまり覚えてません
(確か中国とオランダのクォーターで、中国読みでKEN、だったか?忘れた、、笑)

しかし本名だけは公開しないでくれと言われ、それは今でも厳守しております。

なぜなら本名名義で昔プロバンドをしていたのですが、それが原因で沢山の人に擦り寄って来られて疲弊していたのです。
そして彼はバンドを捨ててシドニーの地へ来たのです。

で、早速最初のスタジオリハでは確かDIRENGREYのdeadtreeを合わせた気がします。
一発でバシッと決まり、バンドをぜひやろう!となり楽しくバンドを始めたのを覚えています。

初ライブはシドニーのロックフェスでした。題は

rock the racism(人種差別は音楽でなくそう) でした。

1000人規模のフェスでライブをしましたが、別ステージではparkway driveも演奏していました。初ライブがこんなとこでできたのは嬉しかったです。

当時の俺。今より20キロくらい痩せてる多分。
フェスの控え室のKEN。これは別のフェスだけどね。
同じくケータリング近くのゆた。18歳。若えよ。

__まあ、そんなこんなで2008年に出会い今は2024年。およそ16年一緒です。下手したら兄弟より一緒にいる気がします。

ちょっと書き出したら止まらなくなりそうなんで、前編、中編、後編にわけます。
ではまた。


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