見出し画像

キッチンと食卓

調理という営みは、豊かなことだなぁと思う。
人間の三大欲求などと称されるように、健康である限り人に当たり前に備わっている食欲。
しかも、ただ生きるために栄養を摂取するというだけでなく、味や色味、食べ合わせやカロリー、塩分量に至るまで、事細かに研究され続けている分野。
御多分に洩れず、私もこの分野の研究には余念がない。この道のプロの方もたくさんいらっしゃるし、そのレシピは簡単に手に入る時代。

サムネのお素麺は、実家から頂いたもの。なーんにもないけどお腹すいてすぐ食べたい時は、2分で茹で上がるので最高。2束で100g、測る必要すらない。
オクラは冷凍の切れてるやつをちょこっと。これだけで七夕感。(8月末)

キッチンという場所

普段集中力がない私でも、キッチンにいる間は夢中になる。なんでだろう、食いしん坊だから?

素麺のように、茹でるだけとかの調理でも、吹きこぼさないとか、すぐ冷やすとか、そんなセンサーが常に働くからだろうか。
女性特有で男性は苦手と言われる、並行作業?も、キッチンでは存分に発揮される。茹でてる間に洗ったり。話しながら切ったり。

2時間も料理するとぐったり、アドレナリン出まくってる感ある。
写真のこの日は、狭いキッチンで何やら黙々と部屋着のまま作っている。
折角オイシックスがカウンターに出ているのに、何やら違うおかずを作っている、そんな図。
無性に料理したくなることがしばしばある。胸の中の疲れが、私の熱とともに気化していく。

家の中で、最も核になる場所、それがキッチン。
収納はどうとか、スペースはどうとか、水切りカゴがどうとか、こだわりたいポイントは、語らせたら無数に出てくる。(この物件のキッチンは狭いので、まずは広いキッチンに憧れている🍳)

食卓というのは概念

一方で、食卓は、場所的にはこだわりがない。
家具は好き、でも、場所より空間で満たされていて、一緒に食べる人や、時間が大事だなぁと思う。
安全清潔であればそれでよし。
家で私が食卓を彩る係の時は、5品くらいは欲しくて、3品並べばなんとなく落ち着く。

昨夜は調理具がない彼氏の家に、珍しく遊びに行ったので(普段は我が家に来てくれる)、ご飯を持参。冷めても美味しく食べられることを重視、かつ時間が限られていたので、作り慣れた定番常備菜メニュー。
おにぎりは、生姜醬と鰹節で小さく握ったまぜご飯。中には昆布。食べやすさ重視でラップに包んだまま。

並べたら見た目はきれいだけど、全体に味が薄めで私的出来栄えは70点。
だけどアパートの小さいテーブルに並べて、美味しいね、って話しながら食べるだけで、100点のご飯に変わる。食卓にはそんな力がある。

味が濃いものより薄いもの、添加物の少ないもの、賞味期限がむやみやたらと長くないもの、
体に入れても無理が生じないものを好むようになってきた気がする今日この頃。
前日に食べたカップラーメンの罪悪感が、私の味付けを変えたのかもしれない。

腹が減っては戦ができぬ。
さて、明日は何を食べようか。

✴︎写真は全て彼撮。この場をお借りしてありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?