見出し画像

なぜお役所は変われないのか4

地方公務員生活も終焉にあたり、ボケて忘れないうちにお世話になった皆様にご挨拶を書き留めておくことにしました。初めは「議員」の皆様へです。

議員の皆様、現職から当時の方まで全ての皆様へ

ほんまによう喋りました笑
平成24年5月に東坂市政がスタートし7月に次長級でありながら司令塔の戦略室長に任命後の9月、初めて本会議に登壇して以来12年、議場、委員会室、議員控室、時には大勢の🍻の席で、ある時は密室で、様々な案件でご相談、ご説明、ご連絡、お詫びの言葉を吐いて参りました。
議場で一番最初にいただいたご質問は「戦略室という名前が戦争を想起し、物騒だ!名前を変えなさい」というものでした。

覚えておられますか
東坂市長の選挙公約を市政に反映される仕事が戦略室のミッションでした。
その一丁目一番地「全世代地域市民会議の創設」に対しては
「市民会議で決めるということは、議員は不用ということか?」
「区長会制度を壊して蔑ろにするのか?」
という質問を幾度となく浴びせかけられました。

さらに、財政課長を兼務したままでしたので、
「アクセルとブレーキを踏む人間が同じで前に進むのか?」という疑義も呈されました。

翌年4月、戦略室長のまま、企画課長の兼務に辞令が変わると市長から
「10月までに四條畷市との消防広域化を果たすこと」という無茶なミッションが追加され、夏頃には
「12月にイルミネーションをJR住道駅周辺で開催すること」とマジすかどころではない仕事を言い渡されます。
 今では冬の風物詩となったスマイルミネーションも事業者の選定委員に議員の方に入っていただいたり、当然消防は一部事務組合なので広域化の意義だけでなく議会の設置及び議員になっていただく必要をトウトウとご説明したことが昨日のように感じます。

2期目の改選前には「府営住宅の移管」という前代未聞の案件の対応に追われ、
「議会を真っ二つに割るような案件ばかり持ち込むな!」とお叱りもいただきました。
このあたりから、失礼ながら全議員の皆様のご賛同は難しいと悟り、とはいえ、説明は尽くす、納得されるか、されないかは別と弁えるようになりました。

近年はご案内のとおり、「公民連携」に関する諸議案をお諮りすることが増え、「ミニ籠池」「ミニ加計」
「騙くらかされた」「ペテン師」「私利私欲」「公私混同」など、まぁ本当に。。。。。

朝、娘が洗面台で髪の毛をポニーテールにセットするのを見かけると
「あっ!今日は○議員の一般質問の日やん」とブルーになり、委員会で否決になり、本会議での打開策が見つからない時は、雨中、奈良まで走って帰って神頼みをしたこともありました。

議員の皆様とのこうした濃密な時間は、一介の公務員に過ぎなかった私を大きく成長させる過程となり、全国から今、お呼びがかかるのもひとえに皆様のおかげと感謝しております。
皆様の疑問、疑義に対して真摯に受け止めて答えを返す、愛の千本ノックの時間は至高の時であり、大東市のまちづくりの進化にとって変え難い儀式でありました。
知名度、人気、お金のない三重苦であったのが、少しずつ公民連携先端都市として知られるようになり、視察も増えてきております。

私はたまたまその部署の長でありましたので、スポットライトを浴びましたが、人寄せパンダ的な立ち位置で、多くの職員に助けられたのが実情です。

平成2年入庁の同期の皆や諸先輩方、部下の皆様には大変お世話になりました。書中より御礼申し上げます。今回は議会編なのでこの程度に留めます。

”男には3人のママがいる”と言います。
家のママ、職場のママ、飲み屋のママ

職場のママというか、女子職員には本当に支えてもらい、近年は私の人事異動の希望は「女子で」一択というのは役所内では誰しも知り得る事実です。
私の名前がazuma katsuhiroですから、「azuma katsuhiro beauty=AKB48」と一人ほくそ笑んでおりました(本当に48人を選定したわけでは。。)
東的AKB48の中でも特に田川愛実さん、田中知子さん、福田悦子さん、宮本歌奈子さん、河村美栄子さん、椎葉有理惠さん、そして杉江京子さんは僕の「神セブン」でして、そりゃ無理難題を吹っかけて仕事をさせてきましたので、「ハラスメントのデパート」「ハラスメント大全」「裁判に訴えたら必ず勝てる証拠は山ほどある」と罵られてます。もう退職するので、それに免じてお赦しくださいませ。

飲み屋のママ、何人かいらっしゃいますが、公務員という立場から見て、民間の女性が私のママと言える存在でした。
どうしても官尊民卑思想に囚われてしまう私を、民間の視点で厳しく意見していただくことはとても大切で重要なセレモニー、迷ったときはどちらが住民にとって笑顔になるか、元気に成るかの判断基準として、ご意見を伺うことは水や空気が生きている上で不可欠なように公務員人生として欠かせない元素でした。

家のママ、妻はあなたのママじゃないという人ですが娘二人ともども、こんな自由人でフラフラしている私に文句も言わず、笑顔あふれる家庭を築いてくれていることには本当に感謝しています。
実の母は、今施設に入所しています。重度のアルツハイマー病を患っており、何年か前は、会った瞬間は「甥っ子」扱いですが、話すにつれて、”実は息子”と思い出す症状でした。コロナ禍で会うことがままならぬ時間の経過は残酷で、今では母の記憶では「息子は死んだ」ことに書き換えられ、甥っ子として私は死んだ息子の話を傾聴するというやるせなさに包まれています。でもたまに、過去の私のことを話す母が嬉しそうに笑うと、私が幼かった時の優しい笑顔が垣間見えて涙腺が崩壊してしまう、こちらも歳をとったなと実感する瞬間です。

長くなりましたが、ママといえば、市長のことを最後に書き留めておかねばなりません。
ご案内の通り、市長と私は大東市入庁同期で仲もよく、若かりし日には有志で勉強会を開催し、合宿などで懇親を深めていました。
市長の結婚式二次会の司会は私が務めた間柄です。
市長の師匠のPTの山本和儀さんの最後の弟子が何故か私でして、著作にも書いていただいております。当時、ノーマライゼーション、地域リハビリテーションは一般的、普遍的な概念ではなく、地域福祉の分野に留まっていました。
第3次総合計画策定の際に、当時、私の所属する企画調整課と理学療法課で激論が繰り返され、私が一度現場視察に行ったことから繋がりが始まります。
現場での山本PTの立ち振る舞い、言葉にとても感銘を受けた私はその後、イベントや講演会がある際にはお邪魔し、時には視察対応に同席させていただいたりと可愛がっていただくようになりました。上司にも「ノーマライゼーションのまちづくり」を総合計画の柱の一つにしてはどうかと提案したこともありましたが、権威主義なのか受け入れられず、その時から前例踏襲を嫌う精神が芽生えたのかもしれません。
そんなわけで、管理部門の私と現場の市長とは年1回程度、意見交換をする関係になり、流行っていた「踊る大捜査線」の青島刑事と室井管理官みたいだねと二人で大笑いしたことを覚えています。市長の熱い想い、事業を認めてほしいという打算的な気持ちもおありだったのでしょう(当時、事業査定はほぼ私が一人で500事業くらいを査定しており、事業費の大きいもの以外は新規も私が差配していました)。財政課長に昇格してもその関係は続き、スタートしたのが「大東元気でまっせ体操」です。
その後、私が地方創生局長として「公民連携」に取り組みはじめると市長が進めている社会保障、教育分野ほど公民連携との親和性が高く、効果も大きいことに気づきます。

国でもそうですが、歳出に占める社会保障費の割合は40%に上り、高齢化の進展で右肩上がりです。教育はむしろジリ貧でもっと充実する必要があります。社会保障費を抑え、教育に振り向ける、パラダイムシフトをすることを地方自治体でまず成し遂げ、それをロールモデルに国へ波及させる。大いなる挑戦です。
 上述の通り、市長は福祉分野の先進を走る地域リハビリテーションの申し子ですから、住民主体とはいえそれはボランティア🟰無料が原動力です。
NPOなど非営利活動法人が無償がゆえにその運営の苦しさなど無性の愛の負の連鎖という実態を大阪ボランティア協会の早瀬さんからご教授していただいた私は、この無償の世界に「稼ぐ」概念を導入したくて、市長を地方創生局との兼務することにし、東坂市長にだいぶ無理を申しました(東坂市長との12年間についても後日記載する予定です)。
地方創生局に異動後の市長のその後のご活躍はご案内の通りなので割愛します。
逢坂伸子さんが大東市長に就任される前後から、これまで年1回程度のお付き合いだったのが、一緒に同居する時が多くなるにつれて、遠距離恋愛の時代には見えなかった互いの痘痕が見え始め、途中でああいったこともあり、少しずつこの同居生活が苦しくなってきました。
私はフェードアウトしますが、市長の大東市を元気にしたいという熱き志と掲げるミッション、進むべきビジョン、持たれているバリューは他に変え難きもので、拙い点は多々ありますが、信じて歩んでいかれたら必ず叶うと私は楽観視しています。

そろそろお時間となりました。最後に一言
「本当に今まで大変お世話になりました。議員の皆様も市長と変わらぬ大東愛に溢れて、その愛がシンクロすれば無限のシナジーを生み出むことは疑う余地がありません。皆様と人生のひととき共に過ごす機会を持ち得て幸せな公務員人生でした。中途半端な時期に去る我儘をお許しくださいませ。

こんな私のことを嫌いになられても、「公民連携」だけは決して嫌いにならないでください。 ありがとうございました。








いいなと思ったら応援しよう!