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窯垣の宝さがし―愛知県瀬戸市・北新谷地区

窯垣《かまがき》、それは瀬戸の歴史を伝える美しい幾何学模様である。古い建物の土台や塀に、丸や四角の組み合わせがモダンなパターンを描いている。
窯垣といえば仲洞町の「窯垣の小径」が有名。しかし今回は、尾張瀬戸駅周辺の古い地区を散策するイベントに参加した。普段歩いたことのない地域は窯垣の宝庫であった。

 窯道具かまどうぐの再利用

瀬戸は千年の歴史を持つ焼き物の街である。山の傾斜に登り窯を造って陶磁器を焼成した。窯の房の床面にぎっしりと製品を並べても上方の空間が余るが、棚を作れば何倍もの量が詰め込める。棚は組み立て式で、円柱4本に棚板を乗せて積み上げた。支柱を「ツク」棚板を「タナイタ」と言い、他に「エンゴロ(またはサヤ)」というドーム状の器で製品を保護した。これらの「窯道具」は、サイズは様々だがずっしりと重く頑丈な陶器で出来ている。古くなったり不要になった窯道具は、家や工場の土台や塀に使用した。様々なデザインの窯垣はこうして造られた。産業廃棄物の再利用、アップサイクルである。

北新谷きたしんがい地区

尾張瀬戸駅からすぐのアーケード街、銀座通り商店街。藤井聡太五冠の活躍でしばしばニュース映像になる。現在は静かでレトロな通りだが、往年は人がひしめいていたという。このアーケード街から北へとどれでも細い道を入れば、北新谷地区。多くの窯場や窯業従事者の民家があった地域で、ジブリを思わせるような、表通りからは想像もつかない魅惑的な街が残っているのだ。
本日のツアーガイドは、山川一年先生。元瀬戸市歴史民俗資料館長で瀬戸の歴史に精通しておられる。アーケード街脇の老人施設「ケアハウス聚楽」に「ここは以前は『朝日映画劇場』で、よく映画を見に来たものだ」、商店街の外れの「カメラのアルス」で「キャノンのカメラ43000円を買った。初任給が18000円の時代だった」などエピソードが続々と。商店街とパルティせとの間の狭いY字路あたりは、かつては陶器問屋が軒を並べていたのだという。

 加藤民吉の碑

パルティせとバスロータリーそばに「磁祖加藤民吉出生之地」の石碑がある。三角形の小さな公園で花壇も手入れされていた。加藤民吉は、いったん廃れかけた瀬戸の焼き物産業を、磁器を伝えて再振興させた「磁祖」である。9月には民吉の遺徳をたたえ市をあげての「せともの祭」がある。
窯神神社崇敬会の加藤会長がスポットで講習してくださり、民吉の生家は実際はもう少し東にあるのだと古地図を見せてくださった。お持ちになった何冊かの本は「図書館にもありますよ」とのことだったので、近く郷土資料の揃う「参考室」を訪ねたいと思う。
碑の横に植えられているイスノキは、主に九州で灰を釉薬に使い、九州で磁器を学んだことにちなんで植えられている。別名「ヒョンの木」は、風が吹くと虫こぶから「ヒョンヒョン」と音がするからだそう。

御亭山おちんやま

石碑から北へ坂を上り、右に折れる道を行くと高台に出る(アーケード街の外れから坂を上る路もある。どちらも「無風庵」の案内板がある)。昔は「御亭山」と呼んだそうで、見晴らしがよい。広場には戦没者慰霊碑と茅葺の「無風庵」がある。「無風庵」は瀬戸にゆかりの深い工芸家、藤井達吉の工房を移築したもの。
広場横の住宅の窯垣の塀は見事なものだ。しかも山川先生によると、門柱は「鬼板おにいた」を使った貴重なものだという。「鬼板」とは鉄鉱石を含んだ岩で、陶器の絵付けに用いるのだそう。

丸窯

石碑からここまで来る途中にも、この先の道程にも、あちこちに窯垣が見られる。「ここにも…あっちにも!」宝探しのように見つけて歩く。人一人の幅の小路や曲がりくねった道は、散策が楽しい。「ここ、通っていい道?」細い路地をたどる。
要所で山川先生の説明がある。「丸窯加律製陶」は加藤律三郎さんが仲間と共同で丸窯で製陶した。「丸窯」は登り窯のあと民吉が導入した、大型の磁器製品を焼成する窯。昭和4年には16基あったが、昭和30年に最後の丸窯が終了した。跡地はほぼ取り壊されて空き地となっている。その窯の現在の当主、加藤庄平さんは6代目。工場をのぞいたら、思いがけず「中へどうぞ」と見学させていただけた。山川先生の高校教師時代の教え子なのだそう。丸窯の最後の火入れの様子は日本大学映画部が撮影したので市でも映像を所有しているとのこと。

 

旧山繁商店

「ひかり保育園」から坂をまっすぐ下れば、銀座通り商店街。その途中右手、「旧山繁商店」を外から見学する。元は瀬戸有数の富裕な陶器問屋で、2000㎡の敷地全体が国の登録有形文化財となっている。壁や建物の傷みがあるものの、かつての繁栄が見てとれる。残された9棟の建物をどう再生し活用していくのか計画中と市職員から説明があった。

窯のひろば

本日のツアーの主催は「NPO法人窯のひろば」。銀座通り商店街の「窯のひろば」に寄れば、窯垣ガイドマップが手に入るが、マップなしで心のままに散策するのも楽しい地域である。歩いたのは1時間半ほど、400m四方程度の範囲だったが、歩数は5059歩、歩行距離3.7㎞であった。くねくね道だし、坂も多い。「窯垣が私有地にある場合もあります。無断で私有地にはいったりして住民の方に迷惑をかけないよう、節度を守った見学や散歩をお願いします。」とガイドマップにある。
「窯のひろば」入り口にも最近建造した窯垣がある。年を経て、窯の炎を浴びてきた窯道具は、新しいものにはない味わいがある。窯道具は廃業等で捨てられてしまうこともあるためストックして、活用用途を考えているそうだ。

 

図書館の窯垣

瀬戸市立図書館への道にも窯垣がある。車利用者は気がつきにくいが、歩行者は周知のことだろう。図書館の下の「瀬戸市歴史民俗資料館」の塀は、元館長である山川先生がまさに造られたものだという。そのとき材料が足りなくなったので、「新しいものと古いものの違い」があるのが見てわかるそう。また、マークが入っている窯道具があるのは、複数の窯元が共同で窯焚きをするため、自分の窯の印を入れてあるのだという。
「歴史民俗資料館」は現在閉館中。資料等は「瀬戸蔵」の「瀬戸蔵ミュージアム」で展示されている。
 
参考資料
『窯垣ガイドマップ 北新谷地区<尾張瀬戸駅北側>』 
発行:「こんな街に住みたいナ」プロジェクト

(上杉あずき@STEP)


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