過去につき合っていた人とバッタリ。
ついこの間のこと。
以前にお付き合いした人とバッタリ遭遇した。
その時に感じた気持ちを忘れないためにも書き留めておこう。
約6年前、自分の中で忘れられない恋愛をしたことがある。
ひょんなことで出会い、惹かれ合いお付き合いをした。
彼はバツイチ、子持ちだった。
マイナスに捉える気持ちはなかった。むしろ一度失敗して味わい深くなった人生に寄り添える今後に楽しみさえ感じていた。
海外ではステップファミリーなんて言葉もある。
人間失敗が成功のもと、失敗を恐れるな。なんてよく言うけど、
なぜ日本では結婚は一度の過ちも許されないような風習なのだろう、と不思議に思っていた。
なんでも肯定したいわけではない。なぜ批判的な言葉でくくるのかが昔からよくわからなかった。
つき合い始めてから、「バツイチ子持ちなんでしょ。」と周りにも反対する人も多くいたが、特別気にしなかった。
周りには「恋は盲目」だったようにうつっていたのだろう。
相手と恋愛するのは私なのだから、つき合うも別れるも誰のせいでもなく
自分の責任で決めたかったのだ。だから特別気にしなかった。
彼は別れた妻との間にいた子供とも定期的に会っていた。
子供にはなんの責任もないし、まったく気にしなかった。
親と会う権利を私がどうこう言う立場ではないからだ。
父親としての責任を全うする彼を尊敬していた。
つき合ってしばらく経ち、プロポーズを受け結婚の約束もした。
それでも親には反対され、すぐには理解してもらえなかった。
当時25歳の娘を心配するのはあ当たり前のことだから時間をかけるしかない
そう考えていた。
そこから時間が過ぎていったが一向に状況は変わらなかった。
ついに私達は、結婚より先に子供を授かろう。と、
いわゆる「授かり婚」をする強行突破に出た。
そんな理由で始まった妊活。
こんな状況下で当時の私は
自分が子供ができにくい身体であることを知ったのだ。
過去に子供を授かったことのある彼にとっても、私が妊娠するまでに時間を要することは想定外だった。
子供ができなければ結婚することもできない。気持ちもどんどん焦る中で、毎月生理が来て落ち込む彼を見ることが私は恐怖に変わっていった。
当時は保険治療もなく、自分にできる治療なんて限られていた。
まさか25歳で、結婚もしていないのにこんな問題に直面するなんて。という気持ちだったが、何より焦る気持ちで子供を作る状況に疑問を感じていた。
一緒になるための道具として使おうとしている妊活に、子供の尊厳はあるのだろうか。。
違和感をかかえながら、彼と一緒になりたい気持ちも交差して当時の自分の情緒は少し不安定だったと今振り返れば思う。
それから約1年半、妊活を続けたが私達のもとに子供がやってきてくれることはなかった。毎月の不安と、ストレス。自分の心の健康を守るために私は彼とお別れすることを選んだ。彼が悪いわけではないし嫌いになったわけでもない。ただ当時の私には受け止めきれなかっただけだ。
当時は辛い選択だったが今は一つも後悔していない。
彼も納得してくれてお互い幸せになろうねと決めた選択だ。
それから数年が経ち、私は結婚をしていまのパートナーと不妊治療をしている。そんなこんなでついこの間、数年ぶりに電車でその彼を見かけたのだ。
子供を預かってお出かけしていたのだろう。電車で彼とその隣に座る子供を見つけて、なんとも言えない不思議な気持ちになった。
かつては一緒になろうとしていた二人だが、いまそこに映る彼は子供と過ごし、私は違う夫との子供を試みて今治療に取り組んでいる。
懐かしいような、当時を思い出して胸が少しだけ苦しい気持ちになった。
人生は楽しい。なにが起こるかわからないから。
じぶんの身体と向き合い今後の人生について考えるきっかけをくれた彼には心から感謝している。
当時の経験で「自分の弱さ」を知った私は強くなれたと思う。
そんな経験を経て、いま私は最高のパートナーとともに過ごすことができているのだ。
ただ少し切ないような懐かしい気持ちになったこの不思議な感覚。
幸せそうな表情をしていて、当時の選択はお互いにとって正解だったなと、
なんだか腑に落ちて心が温かくなった。
昔を懐かしんで、当時の気持ちを少しだけ思い出して
そしてまた「今」「ここ」に意識を向けて毎日を過ごしていく。
なんだかまたひと踏ん張り頑張ろう、と思えた。
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