おれは『UNDERTALE』の真のエンディングに到達し、地底世界から旅立った
よくキタ!ここ『ァンダーテル』ぉわり かぃてる! ネタバレなけど いかぃクリャー したほぅ ぃい! じゅんびできタ? こちバッチ オッケね!(訳:よくきたな。この記事にはゲーム『UNDERTALE』のエンディングについて言及している。ネタバレを書いているつもりはないが、この先を読むのなら少なくともこのゲームを1周はクリアした方がいいだろう。じゅんびはできたか?つよがらなくてもだいじょうぶだ。おれのこころのじゅんびはできている。)
🐕 🐕 🐕 🐕 🐕
よくきたな。おれは『UNDERTALE』の真のエンディングに到達し、地底世界から旅立った。今はモーターサイクルに跨り、果てしなく続く荒野の一本道をただただ走り続けている。ギラギラと照り付ける太陽の日差しや、激しい砂嵐をやり過ごしながら、新天地を目指しているのだ。もちろんポケットには『UNDERTALE』のセーブデータを仕舞い込んでいる。おれは今まで様々な世界を旅してきた。邪悪なドラゴンを滅ぼし、天使を地に引きずり降ろし、残虐な宇宙人にロケットランチャーをお見舞いする……どれも大切な思い出だ。それらもポケットの中に大切に仕舞っている。だが、中には道半ばで旅立った世界も少なくない。例えばムーンブルクの王女の呪いを解かず、迷宮を踏破せずに冒険者たちを宿屋でダベらせ、フィオルンを死なせたままにしたり……つまりそういうことだ。
さっきおれは『UNDERTALE』の真のエンディングに到達したと言った。だが、この『UNDERTALE』の世界もまた、おれは完全に踏破したとは言えない。何故ならスタート直後から暗喩されていた恐るべき修羅の道を注意深く避けていたからだ。『UNDERTALE』はまさしくおまえの選択がおまえ自身に帰ってくる世界であり、主人公はおまえだ。おれは「ゲーム内でわざわざ赤信号で止まるやつはあほ」とか「NPCはただのデータなのでゲーム中に銃を乱射しないやつはゲームと現実と混同している腰抜け」などと訳の分からない説教の相手をするつもりはない。おれが言えることは何も知らない状態でこのゲームの1周目をクリアしたとき、現れた目の前の結果はおまえが導き出したものだ。たとえ世界の全貌を知らずとも、その体験から得られた感情は唯一無二であり、おまえだけのものだ。
ゆえに、おれは1周目を乗り越え、この真のエンディングに到達し、なんの未練もなく新天地に旅立つことができる。たとえ世界の真実が秘されていようと、それは今のおれの歩みを止める理由にならない。「深淵を覗き込んだ時、深淵もまたこちらを覗き込んでいる」……このことわざが示す通り、溢れる好奇心を抑えられず真実の一端に触れようとして発狂した冒険者や学者をおれは山ほど知っている。深淵へ一歩近づく代償に、おまえは美しい箱庭に引きこもり、大好きなものに囲まれ、真っ白な灰が降り積もる中……おまえは誰にも顧みられずトゥルー・デスを迎える。おまえの人生に必要だったのは両手で抱えられない鎧のような箱庭ではなく、いつでも胸の内に秘める心の王国だったはずだ。
長々と書いたが、言いたいことは『UNDERTALE』とは鏡のようなものだということだ。toby foxという偉大な創造主は、血肉が通った完璧な世界を創り上げた。それは最新のグラフィックや優れたゲームシステムではなく、『選択』と『行動』によってプレイヤーに問いかける本質的なものだ。真のロール・プレイング・ゲームは主人公という役を演じさせるのではなく、ゲームを通しておまえ自身にケツイに満ちた判断を委ねる。ほかならぬおまえ自身の手によってだ。
追伸:おれは地底を抜け荒野の旅の途中、UNDERVEILという、有志によるUNDERTALEアレンジアルバムの存在を知った。『UNDERTALE』好きによる『UNDERTALE』のためのアレンジ企画だ。全4枚のデジタルアルバムが制作され、そのすべてがフリーDLできる。
この手のコンピレーション企画はアレンジャーの個性がもろに出るため好みが分かれやすいが、あの地底世界に再び思いを馳せたいのならば荒野の旅のオアシス代わりにこれらディスクを手に取ることもいいだろう。