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【プレビュー版】グレイトフルデッドに花束を

一、デッドマン・イン・イーストエンド

 イーストエンドという地名は、かつてこの地を開拓した冒険家が「ここが世界の最西端イーストエンドだ」と宣言したことに端を発する。彼らは大海原を西へと旅立ち、新大陸に上陸すると、その広大な大地の横断を試みた。ひたすらに西へ西へと突き進み、森を切り開き、原住民族と争い、疫病に苦しめられ、枯渇した食糧の代わりに蛇やわにまで食らい、半数近い人員を失いながらも、ようやく見えてきた海岸線に隊員たちは歓喜の声をあげたという。

「実際には、その冒険家は方位を見誤り、知らず知らずのうちに来た道を取って返していた。しかし、そうとは露とも知らず、彼らは海を臨む丘の上に自国の旗を打ち立てたんだ」

 僕はページをめくりながら、本の内容をかいつまんで説明する。ずっと彼方まで遠ざかってしまった書庫のかび臭い匂いが懐かしさを喚起し、思わず郷愁に駆られそうになるが、勿論そんな素振りはおくび﹅﹅﹅にも出さない。僕は再び視線を本へと落とした。

 実際、彼らがイーストエンドと名付けた地は、上陸地点から僅か十キロメートルと離れていなかった。西の出発点のすぐ隣に西の終点イーストエンドという名前を付けてしまったのだ。その滑稽な事実が競合国の開拓者に暴かれるまで、二年とかからなかった。

「その冒険家は二度目の遠征の準備に取り掛かっていたけど、当然それは取り止めになり、国の名誉を失墜したという罪で財産は没収され、植民地の島へと流された」
「おかわいそうに」

 ボックス席の向かい側で僕の話を聞いていた使用人メイドの女は、悲嘆や憐憫の様子もなく、さらりと相槌をうった。

「一度の失敗で流刑だなんて、非情な時代だったのですね」
「国の威信がかかっていたからな。それに、言っておくが僕たちが今置かれてる状況も大して変わらないんだぞ」
「私たちはイーストエンド行きの列車に間違いなく乗車しましたから、何の問題もありません。もし仮にイーストエンドに到着しなかったとしても、責任はこの列車を運行する鉄道会社にあります」
「お前のその厚かましさが、たまに羨ましく思えるよ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」

 皮肉で言ったつもりなのだが、という言葉は胸の内に仕舞っておく。

 イーストエンドを終着駅とする列車旅は、決して快適とは呼べないものだった。路面はろくに整備されていないのか、車内はひっきりなしに揺れ続けている。大きな揺れが来る度に老朽化した座席がギシギシと呻き声をあげる。当然こんな僻地の路線が空調に気を使っているわけもないため、車両の中は汗が滲む程度に暑く、かといって清涼を求めて窓を開けると巻き上げられた砂が舞い込んでくる始末だ。

 数少ない乗客もこの苦痛な揺り籠に耐えかねて、一様に足を崩したり、荷物を枕にして座席に横になったりしている。公共の場での品位もへったくれもない。

 そんな中、眼前の彼女だけは乗車した時からずっと背筋をピンと伸ばし、背中や尻の痛みも訴えることもなく、微動だにせずにじっと僕を見返している。

 その瞳は碧色の水晶のようであり、豊かな金髪はシニヨンでまとめている。身を包んでいるのはクラシカルなロングスカートと白いエプロン。その風貌は精巧な人形ドールのようであり、まさしく一級品の使用人メイドだった。

 ――ただ一点、温かさを感じられない不自然なほど白い肌を除けば、だが。

 名前を、イヴと言う。

「それでは、今から行く先は最西端イーストエンドというよりも最東端ウエストエンドと呼んだほうが正しいのではないでしょうか」

 イヴは小首を傾げる動作で質問を返した。眉が隠れる長さで切り揃えられた前髪が頭の傾きに従い揺れる。せわしなく揺れる車内で、この席だけは場違いな賓客を運んでいるようだった。

「確かに、こちら側から見ると最東端ウエストエンドだ。でも一度定着した名前を変えるには相当な労力がかかる。こんな馬鹿馬鹿しい逸話があると特に。だからイーストエンドという名前は無くならないだろう、いつまでも」
「へえ、坊主、なかなか物知りじゃないか」

 突然、僕の後ろの座席から男が身を乗り出し、話に割り込んできた。
 粗末な身なりの男だった。髭は伸び放題で、顔も汚れと垢でまみれているが、コブラのタトゥーが入った二の腕だけは、油を丹念に塗り込んだかのような光沢を放ち、隆々とした筋肉で膨らんでいる。

「長々と講釈を垂れていたが、今じゃあこの先には寂れた集落一つしかないぜ。昔は何百人の奴隷が汗水垂らしてた大穀倉地帯だったらしいがな、戦争で畑が焼けて大勢死んだ。今じゃ麦の代わりに死体がたっぷり撒かれてる。 生きてるやつも﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ 死んでるやつも﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅な」

 コブラ男はニヤニヤ顔で僕らを見下ろしている。口を開くたびに生臭い息が漂ってきて、僕は思わず顔をしかめた。

「だから農夫やら奴隷やらは皆逃げ出しちまったよ。ここに用事があるのは土地の引継ぎだかで渋々やって来るボンボンか、俺みたいなろくでなし﹅﹅﹅﹅﹅だけだ」
「言っておくが僕らは地主でも何でもない。人を探しに来ただけだ」
「そうかい。でもあんたらの事情なんてどうでもいい。カネになるならな。どうする?道案内をしてやろうか。ちなみにこの辺はお巡りも滅多に来やしねえから、何が起こっても新聞に出回るのは一月は先になるぜ」
「ご親切にありがとう。でもお断りだ。お前と一緒にいるとこっちの品性が下がる」
「なんだと」

 コブラ男の顔からニヤけ面が剥がれ落ち、見る間に紅潮した。顔が引っ込み、ドカドカを足音を立てて僕らのボックス席の前に立ち塞がった。

「ガキ、人の忠告はありがたく受けとっておくもんだぞ」

 威圧するコブラ男の後ろには、同じような面の荒くれ男が集まりつつあった。

 なるほど、そういう手口か。

 恐らくこの土地に不慣れな者に対して、似たような強請ゆすりを何度もやってきたに違いない。端から見ると、僕らは裕福な資産家の嫡子と、それに付き従う使用人メイド――つまり絶好のカモと言える。何しろ子どもと女の二人連れだ。大の男が数人で囲めば簡単に脅せると踏んだのだろう。

 穏やかでない気配を察知し、他の乗客がそそくさと前後の車両へと姿を消していく。車掌が見回りに来る気配もない。全く、手慣れたものだ。

 街が瓦斯ガス灯で照らされ、道を走る馬車が徐々に自動車に取って代わられる時代となっても、辺境の治安というのはこんなものだ。

「裕福な資産家の嫡子」――つまり僕だ――はため息をつき、開いていた本を閉じる。旅の手助けになるかと思って(あるいは長い旅の暇つぶしになるかと思い)書庫から引っ張り出してきた年代物の航海記だったが、如何いかにも父や生前の祖父が好みそうな冒険譚しか記されておらず、先住民族の特徴は事細かに記録されていても、こうやって乱暴者に絡まれたときのための冴えた解決策は書かれていないからだ。

「イヴ」
「はい、坊ちゃま」

 僕の向かいの席で、男たちを静観していた「使用人メイド」が立ち上がり、僕を庇うようにならず者たちと向かい合った。

 ならず者たちは、改めて彼女に注目した。
 イヴはこの場に不相応な美貌の持ち主だった。

 彼女を目にした人間は一様な反応を示す。その艶麗さに視線が釘付けになり、思わず嘆息を漏らすが、程なくしてその表情は不可解なものを見る目に変わる。

「おいおい、もしかして嬢ちゃんが俺たちの相手してくれるのか?」

 男たちはイヴの異様さに一瞬息を吞んだかのように見えたが、先のコブラ男が真っ先に調子を取り戻し、肩を回しながら凄んできた。

「俺たちも好き好んで拳を振るいたいわけじゃないんだぜ。お前たちは滅多に見ない上玉だから、手荒な真似はなるべくしたくな――」

 イヴがそっと男の肩に手を置いた。全く気配を感じさせない、さりげない挙動だった。
 男の体が硬直し、目を見開いた。

 日頃彼女と行動を共にしている僕には、その理由がよく分かる。明らかに人の手に掴まれている感触ではないからだ。

 イヴはコブラ男の肩を掴んだまま完全に静止し、僕とならず者を隔てる壁と化した。

「おい、どうしたんだよ」
「う、腕が動かねえ」

 コブラ男はイヴの手を振りほどこうともがいたが、青白い肌の使用人メイドの手は鋼鉄を掴んだ万力のように微動だにしない。ならず者の間で、ざわめきが波立った。

「坊ちゃまに対して手荒な真似はおよしください。お引き取り願えないのであれば相応の対応を取らせていただきます。もっとも、許可なき実力の行使は禁じられているため、自衛行動の範疇での対処となりますが、あなた方を無傷で済ませる保証はありません。それに、これは私事ではございますが、今は私が坊ちゃまとお話をしている時間でございます。もう一度言いますが、お引き取りください」

 イヴが、口を開いた。
 ゆっくりと、言い聞かせるような口調だった。

「おい、ガキ! 何なんだこの女は! こいつ頭がおかしいぞ!」

 イヴ越しに投げかけられたコブラ男のがなり声を、僕は無視した。

 コブラ男はイヴの腕から脱しようともがき続けている。残念ながら戦意が衰えた様子はない。イヴは全く動じず、ギリギリと手に力を込める。男の息が荒くなり、取り巻きたちがどよめく。僕は何も言わず、つばを飲み込んだ。こめかみに汗が流れるのを感じる。

 高まりゆく緊張の中、ボキンという鈍い音とともに、遂に男の肩が砕け、絶叫が車内に反響した。

「畜生、やれ、やっちまえ!」

 コブラ男は床を転がりながら手下に命令した。それを合図に、ナイフや鈍器など、思い思いの得物を握りしめてならず者が押し寄せる。
 イヴは表情ひとつ変えず、流し目で僕の指示を仰いだ。

「殺しはダメだ。車内を壊すのもナシだ。それから、服は汚さないように」
「善処します」



 後に「死者戦争」と呼ばれる、帝国と合衆国の争いは、帝国側の勝利に終わった。

 開戦の狼煙となったのは、新大陸の植民地が帝国からの独立を宣言し、無断で合衆国建国の名乗りを上げたことだった。当初は両軍の戦力は拮抗しているように見えた。軍備に劣る合衆国軍は、肥沃な資源と高い戦意でもって、世界有数の艦船と兵士を抱える帝国軍と果敢に戦ったのだ。
 旗向きが変わったのは、帝国軍が全く新しい戦力を投入してからだった。戦いが膠着し戦闘が散発的になる中、帝国軍が数隻の護衛艦を座礁させてまで新大陸へ送り届けた突撃艇に満載されていたのは、大量の死者デッドマンだった。
 これこそが陸軍アーミー海軍ネイビーに次いで帝国が新たに設立した軍隊、死者軍デッドマンズである。そこからが地獄絵図の始まりだった。棺桶から解き放たれた墓場の軍勢は合衆国軍だけに飽き足らず、街々を文字通り食い荒らした﹅﹅﹅﹅﹅﹅

 戦争はあっけなく終わり、帝国の大勝に終わった。新大陸側は賠償金の請求も責任者の引き渡しも要求されず、あまつさえ合衆国の国旗を掲げ続けることさえ許された。だがその代償はあまりに重かった。自国に放たれた死者デッドマンという病巣を抱え続けることになったのだから。

【登場人物】
:帝国人。十三歳。身長百四十二センチ。ブラッシュフォード家の嫡子。
イヴ:ブラッシュフォード家の使用人メイド。身長百八十八センチ。死者デッドマン
ヴィクトール・フランケンシュタイン死者デッドマン研究の第一人者であり「死者戦争」の功労者だったが合衆国に亡命した。



『グレイトフルデッドに花束を』は、私azitarouが昨年秋から断続的に執筆を行っている初の長編小説(となる予定)です。昨今のトレンドを積極的に取り入れ……ということは一切なく、私個人の「スキ」をゴリゴリに書き殴った完全趣味の小説となっております。今後は年2回発行されているパルプ物書き有志の集いによるパルプマガジン『無数の銃弾』上で連載を行い、完結のタイミングでWeb小説サイトへ投稿する予定です。乞うご期待!


(終わりです)

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