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AZism人特別編『手塚章文はどのようにアルバイトから取締役になったのか?』Vol.2


2024年4月現在、取締役として活躍されている手塚専務。

専務はアルバイトでAZismに入社後、小売やマンガ喫茶の店長を経てステップアップを重ね、入社から10年で取締役に就任しています。

前回の記事から1年2ヶ月。ようやく第2回目のお届けとなりました。(忘れていたわけじゃありません…!)

↑前回記事を読んでいる方は今回から、読んでいない人はVol.1を読んでいたただいてから今回の記事を読むとより理解が深まると思います。

ゲーム店舗の店長を経て、マンガ喫茶の店長に就いたところからのお話。ここでしか聞けない話がたくさんあるので必見!


【24時間運営のマンガ喫茶の店長】

――前回はゲーム店長を経験する中、東日本大震災が起こったことで自分の軸や気づきを得た、ところまでお聞きしました。今回はゲーム店長から漫画喫茶の店長になったあたりから伺っていきたいと思います

了解です。

――マンガ喫茶の店長になった経緯を改めて教えていただけますか?

はい。当時のAZismにはマンガ喫茶(AZBOX)がありましたがずっと赤字だったんです。

それで隣にもPAO青梅店があって、同じ敷地内に運営する店舗が2個あるっていう状態でした。PAO青梅店は黒字、AZBOXは赤字。2つ合わせると黒字だったので赤字だけど経営しなきゃいけなかったんです。

マンガ喫茶はもちろん歴代の店長がいたんですけどやっぱり赤字で大変なんで軒並み辞めちゃうみたいな感じでした。

そこで自分が震災を通じて仕事に対して真面目に向き合うってことを当時の上司が思ってくれたみたいで。マンガ喫茶でチャレンジしてみてくれないか? という形で異動になりました。


▲PAO青梅店隣で運営していた『AZBOX』(後のPAOカフェに店名変更)。ダーツ、ビリヤードも常設していた24時間営業のマンガ喫茶でした。現在はダーツ部門がPAO青梅店内で運営中!


――現在AZismにある業態と違い、マンガ喫茶は店舗が24時間動いている特殊な業態でした。初めてのマンガ喫茶運営を経験する中、24時間フル稼働の店舗をやってみた当初はどんなふうに感じましたか?


たとえば1時間に1回、あそこの掃除とか、ここの整理整頓とか、展示物作るみたいな仕事がありました。単純にそれを24時間分を知るっていうのはすごい大変といいますか…(笑)

――時間帯別の業務を24時間分知らないといけないと

そうです。それで今思うとこの24時間営業というのは、僕にとってはすごいありがたいことだったんですよ。

――どの部分がありがたかったんでしょう?

顔を合わせないというか一緒に仕事をしない従業員がめっちゃ多かったんですよ。要はお疲れ!しか言ってないスタッフがいっぱいいるみたいな。

当時、ゲーム店舗は14時間営業で、内10時間社員がいる場合ほぼ全スタッフと喋れたりする環境だったんですけど、24時間営業マンガ喫茶の場合はどうやっても働く時間が合わないスタッフがいます。

だから誰かと深く話し合って仕事を進めるという方向性をとらなくなったっていうのがありますね。ゲームの時は各スタッフにその時間が取れていたけど、マンガ喫茶だと物理的に取れないんです。絶対に無理って思いました。

▲手塚専務が店長時代の店内(2013年)
▲手塚専務は店長時代、ダーツプロライセンスを取得。お客さんが手塚専務目当てで来店することもしばしばあった模様

――全スタッフと時間をとって話すことが物理的に不可能な環境で、スタッフのマネジメントだったりとかケアだったりをやっていたんでしょうか?

やり方として、これはかなり流行ってほしいんですけど、1分間だけ話すのを大量にやるっていう感じですね。

みんなマネジメントに時間を費やす場合1回2時間とか話をするんですけどマンガ喫茶ではそのやり方は無理なので。各スタッフと1分話す、2分話すことを多く行うやり方に変わりました。

このやり方はすごく効果的でした。

例えばですけど、仕事終わりました、一緒に飲み行きました、あなたの仕事のはこういう風にすればもっとこう良くなるよ、みたいに2時間熱く話すより、毎日とか1時間に1回、あ、今の良かったね、今のはやり方がこう違う、という話の回数をとにかく多くするやり方のほうがスタッフの成長が早いです。

――その都度、短い会話で伝えてあげるんですね

あとは業務の目的の要約や言語化もうまくなったと思います。
目的が伝わってさえいれば、細かく指示しなくても自分で判断して正しいことをしてくれますから、いない時間も安心です。

――自分がいない時間でうまくいってることも重要だと

そうです。
当時も今も大事にしている言葉なんですけど

『自分のいない時間のマネジメントが店長の仕事』

なんですよね。
自分が8時間働いてもあと16時間あるので(笑)

そのいない時間をマネジメントする行為が結果、マネージャー職になってきてめっちゃ活きてくるわけですよ。


【マネージャーで苦労する人しない人】

マネージャー職になって苦労する人って、一対一で時間をしっかり作れる人、自分がいる時間のマネジメントが上手い人が苦労するんですよね。

自分がいない時間のマネジメントが上手い人、そこに重きを置いている人は店舗が複数になっても案外耐えられると言いますか。


――複数店舗だと自分が見に行った店舗のマネジメントはうまくいくけど、行ってない店舗がうまくいかなくなると

見てない時のマネジメントこそ重要だと思います。

1店舗の従業員の総労働時間って月に大体2000時間ぐらいなんですよ。店長1人がだいたい200時間弱みたいな。これは全体の労働時間だと10%なんですよ。


だからみんなが10%頑張ると2200時間になりますから、店長の働く分の時間が完全に埋まるんですよ。

逆に自分がフルで頑張っても200時間を300時間にしかできないと思います。1人で頑張る限界というか。それ、2000時間のうち何%増やせたの?って感じです。結局はみんなの頑張りに頼るという方法しかあり得ないんです。そこを分かってない人は忙しい忙しいと言ってずっと同じルーティンにハマっちゃうんですよね。

後半はシフト作成や業者との交渉もアルバイトスタッフのみんながやってくれてました。ほとんどの店長業務が通常業務になってたと思います。

――単店では店長のマンパワーで何とかできたとしても、複数店舗を見る場合は単店時代から自分のいない時間のマネジメントや個人のマンパワーに頼らない、みんなに仕事を任せたり成長させたりとかっていうのが重要になってくると

はい。その時に味わいましたね。

――マンガ喫茶の店長は5年と、手塚専務が担当した店舗では一番長くなりました。この経験がマネジメント含めてその先のステップアップにつながりましたか?

正直、その頃やった業務をサイズ感変えてやっているだけです。店舗なのか事業部なのか会社なのかが違うだけでやってることは一緒ですね(笑)


――マンガ喫茶の店長経験を積んだ結果、自分に実力がついてきたな感はありましたか?

そうですね。PAOのノウハウでそこそこ数字が上がるというのはPAO店長時代に経験しました。ただマンガ喫茶でPAOのノウハウを導入しようとすると全くと言って良いほど通用しないことが分かったんですよ。

▲AZBOX店内その2。PAOの流れを組んだコメントPOPが目立つ棚になっていました。


――物を売る小売と、空間、時間をを売るマンガ喫茶の違いということでしょうか?

商材による違いってみんな思うんですけど実は違ってて。商材の違いじゃなくて、来店頻度の違いなんですよね。

ゲームだと欲しいソフトが発売しないと来店しない人と1個のゲームをクリアしてからしか来ない人がいる状況だと、そんなお店にしょっちゅう来るものでもないんです。

ってなると、展示物を作る時にこのクオリティーで作るというものに対して、お客さんがどう感じるかといったら『久しぶりに来たけど変わってるなぁ』って思うわけです。

でもマンガ喫茶の場合、週に3回来る人が総客数の50%だったんです。そうなるとこだわって作った展示物も2回目3回目で飽きるんですよね。


――週に3回も来ていれば、変わってないことが普通みたいな?

そうです。その時にやっぱり来店頻度に合わせてお店づくりや接客って変えていかなきゃいけないなって思いました。

他の商材を触れる時も、来店頻度から考えるのが一番大事です。

例えばですけどラーメン屋で限定ラーメンを出すとしたら、どの間隔で出すのが飽きさせないのかとか、割引券とかスタンプカードってどこに期限を置くともう一回来てくれるのかとか。

当時、小売の方々がこんなイベントやったらどう?って発案してくれることはありがたかったんです。ただそのアイディアは確かに面白いんですけど、毎日来る人もいるマンガ喫茶だとちょっと通用しないって感じることも多かったです。



――小売では効果があるイベントでも、来店頻度が高いマンガ喫茶では逆に効果がないこともあると

そうです。例えば金魚すくいですね。

あれは月に一回の来店時にたまたまやってたらちょっとテンション上がるかもしれないですけど、毎日あったらまだ3日目から無視って感じじゃないですか。

環境とかお客さんの状況でお店づくり、接客、スタッフのトレーニングというのは変わってくると考えましたね。


【財産になったYさんとの出会い】


――ゲーム店長時代に東日本大震災があり、核となる経験がありましたけど、5年間のマンガ喫茶店長という経験の中で、大きな気づきだったり、発見だったり、何か印象的なエピソードがあれば教えてください


当時、Yさんという社外の方がいて、僕が赴任する前からAZBOXのコンサルに入ってくれてたんですが、その人とお話しするようになって初めて社外の知識が入るってくるタイミングがありまして。

何て言うんでしょうね。

『物を売る』ための先生は当時の上司ですけど、『ちゃんと経営する』ことはYさんに教わったって感じなんですよ。その人との出会いは僕にとってはかなり財産になってまして。

今でこそ各店長は試算表を見れると思うんですけど、当時は見れなかったんです。それを見れるようになったのもYさんとのやりとりの延長だったりします。



――当時は見る必要がなかったとも言えますね

飲食でいうと平均日販、小売でいうと売上目標、この2つを追ってて結果論として利益出てたね、みたいな。

そんな中、Yさんから『赤字と黒字が見分けられるようにして計画的に黒字を作らないと力が付いたって言えないよ』って言われました。

――狙ってちゃんと黒字を出し、全体的な線で見るという感じでしょうか

そうですね。それが経営という意味合いで教えてもらったという認識です。

前任店長がやろうとしたと計画がほとんど進んでいなかったんですが、僕が店長になってからさきほど話したように自分以外に頑張ってもらう、という方針と相まってけっこう物事が進んだんですね。

Yさんから教わったことが1個ずつ実現できていくというのがすごく為になったという感じです。


【2週間ポスティングの最中にかけられた言葉】

――Yさんとの印象的なエピソードがあれば教えていただけますか?

まず最初、とにかくお客さんを増やしましょうということでチラシのポスティングをしたんですよ。そこで『手塚さん、お金はないので自分で配ってください』って言われて。

当時、PAOでも店長が仕事帰りにポスティングを家の近くでやることがあったとき、200部~500部とか配布したんですよね。僕もその経験があったのでポスティングですか、いいですよって言ってどのぐらい配布するんですか?って聞いたら30000部と言われまして…(笑)

▲AZBOXではいろいろなチラシを作ってはポスティングやゲーム店舗で配布を行っていました

徒歩だと100部が1時間ぐらいで配れて、それを仕事終わりに5日間とかちょっとやるイメージでした。で、30000部って聞いた時にそんな配るもんなんですか?って言ったらYさんが青梅市の人口(137000人)を例に出してきて。

これぐらい配る余力あるんですと。

そして100枚ぐらい配って何人お店に来ると思います?みたいな話をした時、『1人ぐらいですかね』って答えたら『それはかなりいい方です』と。
※ポスティングチラシの反応率は一般的に0.01~0.3%


じゃあ仮に1000部配って10人来店して売上にどのくらい影響します?って言われて確かにな…ってなって。だから30000部配って仮に300人来たら全然違う売上になるなと思いました。じゃあやりましょう!と。


――30000部は手塚専務が一人で配布したんですか?

はい。それに関しては本当に一人で配りました。

10時間働いて2時間休憩して10時間ポスティングして2時間休憩するっていう1日2セットを2週間やりまして…。

原付で移動してたんですけど、原付に跨って降りて配布してを繰り返すとポスティング中にパンツが破れるんですよ(笑)

パンツは破けるし夜ポスティングしてたらお巡りさんに4回ぐらい職質も受けて。で、事情話すと毎回応援されて頑張ってねって(笑)

▲マンガ喫茶店長時代(2013年)の手塚専務。若い!


――体を張ったポスティングの結果はどうだったんでしょう

たぶんあの時期、AZBOXの周りに住んでいた人たちはほとんど一回はチラシを見た環境にあったはずってぐらい配りましたから。チラシ期間中はお店の前で旗振りしたりもしました。

そしたら本当に売り上げびっくりするぐらい上がったんですよね。ずっと月480万くらい売り上げだったのが急に650万ぐらいになって


――ポスティングの最中、Yさんからはどんな言葉をもらいましたか?

今でも忘れられない言葉があります。
10日目くらいでもう眠いしキツイし、ちょっと辛いですと言ったら…

『赤字店舗の店長が生意気言わないでください。
 人権なんてありませんから』

って言われました。これ、本当にYさんから言われたんです(笑)


――痛烈すぎる言葉ですね…それを聞いた時どう思いましたか?

その時はボロボロの自分にこの人すごいこと言うなって(笑)
もうだからやりきってやるぜ、って思って逆に火がつきました。


――Yさんは赤字=罪、という考え方だったんですね。お客さんに支持された結果、売上、利益がありますが、赤字はお客さんからの支持が足りないってことだったんでしょうか

うーん、そんな生やさしいものではなかったです。

ポスティングの結果、売上が上がったので半年後ぐらいに『Yさん、あの時僕に酷いことを言いましたよね』という話をした時、Yさんがとある話をしたんです。

Yさんはもともとマンガ喫茶の会社で部長をやっていて店舗を数十店舗まで増やした経験がある人だったんですが、本体の経営破たんでコンサルになったんですね。

これ金額は例え話ですが、Yさんがコンサルに初めて対応したお客さんがマンガ喫茶をやっていて、オーナーさんは600万円持っていたそうです。

ただ毎月50万ずつ赤字だったらしく、撤退するのには撤去費用などで300万円かかると。

つまり6ヶ月以内に黒字転換しなければ撤退して終わりだったんです。それでYさん頑張って僕にやってくれたみたいに必死にコンサルやったんですけど、実はその人は粉飾決算してて月に100万の赤字だったんです。

――6ヶ月ではなく3ヶ月しか持たない資産状況だったと

はい。そして6ヶ月目に何が起こったかっていうと、ただ600万がなくなった、ていう状態になって撤退もできなくなったんです。

――結果、どうなったんでしょう?

その経営者の方は…自分で命を絶ったそうです。
自分の保険金で後始末をするために。

――重い話ですね…

Yさんが言うには、当時は粉飾決算を見抜く力がYさんにもなかったそうです。

それに比べて手塚さんは会社員でローリスクで働いてるし、店舗が赤字でも生きてますよね、だから人権はないんですって言われて、ああ…なるほどな、Yさんが痛烈な言葉を放った真意がわかりました。

Yさんのショックは計り知れなかったと思います。この言葉も自分にとって転換点だったのかもしれないです。

一応言っておきますが、社内の赤字に対して、僕は全く思ってないし、どうにかしなさいなんて口が裂けても言う気はないですよ(笑)

ただ、今思うことは、赤字店舗を担当してる人はラッキーだと思います。
ヒリヒリするような経営状態で生き残った経験は僕の宝物で、黒字しか知らない人生なら絶対この役職になってないです。

実は赤字店舗の黒字転換をやった人ってみんな部長職以上になってますからね。


――そうだったんですね。AZBOXで店長としての心構えやたくさんの経験を得た手塚専務から、今の店長さんたちに伝えたいことはありますか?

みんなに伝えたいこととしては、店長の時に店長業務をただ継続するんじゃなく他に何ができるかっていう目標をもって日々業務にあたってほしいです。

店長業務以外のチャレンジをしている人というのはあまり多く感じてないです。

例えばなんですけど、備品の変更ですね。

これは難易度が低くて手を出しやすいです。うちで使ってるレシートロールと同じ商品で今のより安いものを探してきて、備品発注業者のリストに入れてもらうとか

食品とか販促、フランチャイズ、厨房器具とかの展示会も店長の頃から通ってて、店長業務以外のことを色々やってたんですよね。店長時代に毎年300枚くらいは名刺使ってました


――トレーディングカードを始めるのに実際に手を挙げたのも手塚専務だったんですよね

そうです。前々から聞こえてきていたトレーディングカードがやりたいっていう話があって、マンガ喫茶の店長4年目か5年目ぐらいにスタッフも育って僕がちょっと手が空き始めたんでやりましょうかって言って、片手間でトレカを取り扱い始めたみたいな感じです。


▲PAO青梅店で初めてトレカを取り扱い始めました
▲席数も少なかったデュエルスペース

最初はPAO青梅店の一角だけでやり始めて大した売上もありませんでした。今こんな成長するとは思ってなかったんですけど、新規事業を始めるぐらいの能力は自分の動き次第ですが店長段階で身につけられるんだなとそのとき思いました。

――店長業務だけやっていたら身につかなかったと

たぶん身につかないと思います。

自分の仕事をマニュアル以上に広げる動きを積極的に店長が動くのは、当時のAZismにはない文化だったので。

――『文化を生み出していく力』を身に着けてほしいし、生み出してほしい?

そうですね。

試算表の公開してもらえるようになったのもそれがきっかけだったりとかしました。業者に価格交渉してちょっと安くしてもらったりだとかいいサービスしてもらったりとかっていうのは、店長の頃には結構やらせてもらっていました。

当時、会社全体で年間1,000万のコストダウンをした時期があったんですけど、900万ぐらい僕一人で落としてましたね。LEDの導入も僕が最初でした。電気代計算も店長の頃からやってましたね。


――店長という立場の仕事だけじゃなく自分にできることがあれば声を上げて仕事を取っていったり生み出していくことを店長時代にやれるし、やってほしいと

そうです、そうです。


――その後のキャリアアップにも繋がりそうですね


もう本当に、そこから先の仕事って根本はまったく同じですよ。

だから正直、新業態、新商材に対する不安や抵抗って一切感じないんですよね。店長時代にやってきたことだから。


――多くの人は初めての経験や新しい商材などへの不安って少なからず感じると思うんですが

『新しいことをやった方がいい』って自分の気持ちが入っているなら、怖がるのはちょっともったいないというか、やらないで今のまま過ごす方が後々を考えるともっと怖くなっちゃうだろうな、という感じですね。

――新商材としてPAO青梅店でトレカを始めたときは微々たる売上でしたが今や凄いですもんね

確か初月売上70万ですよ(笑)

そこからのスタッフのみんなががんばったのが全てなんですが、今では月1億とかなってるわけですし。その時やってなかったらって考えると怖いですね。

▲2013年、PAO青梅店でオープン作業中の手塚専務(右から2人目)
AZismでのトレカの歴史はここから始まりました!



――積極的に仕事を行っていった結果、さらにステップアップを重ねていく結果になりました

マンガ喫茶の店長のあと複合課課長、という役職に付いたんですがこれ含めて就いた役職が7個あるんですよ(笑)

複合課課長というのは色々なものを取り扱う、要は漫喫とPAO青梅店、あとフィギュア(※以前PAO青梅店で取り扱っていた商材)とトレカ、ゲームと全部みる業務でした。でもマンガ喫茶でいろいろやっていたおかげで、別に商材が変わっただけでやること同じじゃないけど感覚的には変わらなかったです。

――その後はどんな肩書になっていったんでしょう?

店長、複合課課長、第3事業部部長、人事広報部統括部長、企画戦略室室長、その次に第2事業部と第3事業部の統括部長、その後第1第2第3の統括部長ですね。その次で取締役営業本部長になりました。

複合課課長になったのが28才、取締役になったのが31才なので、3年の間に役職が目まぐるしく変わってますね。引き出しに古い名刺が8種類ぐらいありますね(笑)。使い切る前に役職変わってたので。

――役職が上がって見る事業部や商材も増えてきた中で、傍から見ているとそんなに手塚専務の印象は変わっていないように思います

すごくシンプルな言い方をすると、仕事って『困っていることを解決する』、もしくは『伸ばせそうなものを伸ばす』ぐらいしか無いのでそこまで何かどうしよう!?みたいな時期とかは特になかったです。

ただ色々あったといえばあったのでその中で学んだことを言うとすればまだいろいろありますね。

――ということはVol.3がありそうですね。ステップアップしたステージで会社全体や複数事業を見るにあたってのエピソードはまた次回にお伺いできればと思います。

了解です。

――本日はありがとうございました!


1年2ヶ月ぶりのAZism人特別編Vol.2、いかがでしたか?

次回は最終回予定、複数店舗、複数商材や事業部、そして会社全体を見る立場になっていく上でのお話をお伺いする予定です。さすがに1年2ヶ月おまたせすることはない…と思います!
(インタビュアー 企画戦略室 イタガキ)


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