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『能力があれば、違う分野でもつながってくる』 AZism人 Vol.6

AZismで働く人を紹介する『AZism人』

6回目となる今回は、第1事業部の店長さん!

――お名前をフルネームとご年齢をお願いします

田中靖典、31歳です

――今は新松木大和家と片倉大和家の店長とのことで、店長になられてから何年ぐらい経ちますか?

たぶん3年半ぐらいですかね。

――入社されてからどのくらい?

4年目だとと思います。


――最初に店長で担当した店舗は?

八王子大和家が一番最初で、その後新松木と片倉で店長やらせてもらって、今は片倉も担当させてもらってます。

――田中さんはどんな幼少期を過ごしてきたんでしょう?

学校行ってなかったですね(笑)遊び惚けてた感じで。サッカーとかやってました。

――なるほど、ちょっと腕白な性格だったんですね。そうなると学校の成績は…?

それはもう…素晴らしかったです。体育だけは良かったんですけど(笑)

――体育が得意となると、クラスではかなり人気者だった感じでしょうか?

そうかもしれないですね。中学生から部活が始まって部活を頑張ってたんで。

――部活は何を?

ソフトテニスです。一応関東大会まで行きました。

――関東大会はすごいですね。中学は部活を頑張ったとのことですが高校では?

高校は小金井工業高校に行って、そこでは硬式テニスをやりました。親父が高校の先生+テニスの先生で部活の顧問みたいな感じでした。だから中学校からテニスに興味を持ち始めて、教えてもらいながら結構もう運動に打ち込んだって感じです。


――飲食業を志したのはいつ頃でしょうか?

中学生ぐらいですかね? 母親がいわゆる水商売関係でずっと働いてて、今は自分の店を持ってスナックのママをやってて。働いてる姿をちっちゃい頃から見てて、稼いでる感じもしたし、やっぱ話す能力もあると思いますし、聞く能力も高いし。そこら辺で凄いなって尊敬してたんで、だから飲食っていうか、接客業にちょっと憧れみたいのがあった感じです。

――高校を卒業してからすぐに飲食に?

いえ、18才のときに水商売始めました。キャバクラとかボーイの方ですね。間違いなく母親の影響です。

――ボーイさんって具体的にはどんな仕事なんですか?

お店の細々したことですね。お客さんのテーブル1つ1つ回ったりとか延長交渉とか。最初は本当に知らないことだらけで、毎日勉強の嵐でしたね。


――水商売ってなかなか上下関係とか厳しそうなイメージなんですが、そのあたりはどうでしたか?

先輩の紹介で入ったお店だったんですけど、なんか蓋開けてみたら若干カタギじゃないお店だったんですね。それで社長さんが独立が初めてだったんでもう従業員も本当に3人ぐらいしかなくて、僕がそこで下っ端で入ってきて。毎日売上のノルマがあって達成しないと鉄拳制裁とか、そういう時代だったんです。

――それは…いろいろキツくなかったですか?

当時の自分はそれが当たり前なのかなと思ってました。働くのが初めてだからなんか社会はこういうものだ、みたいな認識でした。

――ボーイさんはどのくらい続けたんですか?

21才まで続けました。そこでちょうど社長がお店を潰すってなって、そこから野菜屋をやろうって言い出して。なんか、昼間のシノギにしろみたいな形で言われて…ちんぷんかんぷんじゃないですか(笑)

市場に行って野菜を仕入れて、僕たちが頑張って一軒一軒カレー屋とかに営業しに行ってその野菜を売るみたいな。それ結構辛くて。それで21才からもう一度水商売じゃないですけど、スカウトマンになりました。

――スカウトマンというと、漫画『新宿スワン』みたいな?

そうですそうです。女の子に声かけて、連絡先聞いて、お店紹介するみたいな。それは1年ぐらいですかね。

――その後は?

スカウトマンやってるときに、立川のつばさ家っていう家系のラーメン屋に巡り合ったんですよね。それが大和家に繋がる影響になったのかなって。

ずっとそこへ食べに行ってて美味しいってなってここで働かせてくださいって言ったんですけど、やっぱノウハウや経験が一切なかったのでどうしても未経験は無理だよね、って言われて。でもいつかはここのお店で働きたいですって話してて。

で、スカウトマン辞めてまた水商売やってるときにとある社長さんと知り合って仲良くなって、なんかお店やんないかって言われたんですよね。可愛がってもらってて、お前やりたいことなんだ?って聞かれて、お金出すからラーメン屋やってみなよって。

――なかなかすごい話ですね。人脈というか、接客能力が高いからそういう流れになったんでしょうか?

会話してて気に入られたっていうのはけっこうありましたね。本当にその時はすごいチャンスだなと思いました。

――そこから実際にお店をやった感じですか?

そうですね。それはフランチャイズ系のお店で、名前を借りてお店をやらせてもらった形です。雇われて店長みたいな。ただ、結局うまくいかなかったんですけど。


――うまくいかなかった理由は何でしょう?

水商売と価値観がぜんぜん違ったこともありますけど、まずラーメンのこと何も知らなくて、ちょっとだけ研修行って営業するって形が、ノウハウも何も無いというか、勉強が足りないっていうか。身につくはずもないですし、原価や人件費とかの言葉もまったく知らなくて把握ができない状態でした。

そんな店長だったので、そうするとその日の売り上げぐらいしか見れないみたいな。今日は忙しかったな~、今日はヒマだったな~、みたいなそんな程度ですよ(笑)


――そうなると、オーナーさんからいろいろ言われたりしたのでは?

それがオーナーさん自体も飲食初めてで。メインは建設業で、飲食店は1店舗目だったんです。だから社長これで良いんですか?って聞くとああ全然いいよ、みたいな。お金はめちゃめちゃ持ってたみたいで、飲食業に全力って感じでもなくて。税金対策とか、いろいろあったみたいです。

――なかなか波乱な道のりですが、そこからAZismへの入社の流れはどんな感じだったんでしょう?

今の奥さんと出会いって子供ができるってことで、昼間働かなきゃいけないことになって。それで一番近くにあったお店が八王子大和家だったんですね。つばさ家は経験不足で却下されて、そうなると家系で一番近いお店ってこともあって、アルバイトで応募させてもらいました。

――1回ラーメン屋を経験したあとの入社ということで、大和家は何か違ったりしましたか?

やっぱしっかりマニュアルが作られていたってことですかね。自分は無いものだらけの環境で働いてきたんですが、そのあたりはきっちりしてるなって思いました。

あとは鉄拳制裁の環境と違って、みんな優しい感じで。自分の前の環境だったらめっちゃ怒られてたものが、大丈夫だよ―みたいな。あれ、優しいな、みたいな(笑)

――アルバイトから社員になった流れを教えてください

もともと社員になろうと思ったんですけどいきなりなっちゃうと覚えることいっぱいあるじゃないですか。だからやっぱ最初アルバイトからはじめて、じょじょに情報をしっかり取ってある程度業務を教えてもらって、ラーメンが作れるようになったら社員になりますって感じで社員になりました。

――店長になったのは?

1年ぐらいで店長になりました。社員になった時点で店長になりたいって要望は伝えていたので。

――店長になるとき、何か試験みたいなのものはありましたか?

手塚本部長とマネージャー全員の前で発表する、っていうのがありました。自分たちが今後どういうお店を作りたいか?っていうのを10分間発表する形です。

――内容はすべて自分で考えて?

そうですね。当時のマネージャーと話し合いつつサポートをもらう形で。発表時は本当に人生で初めての緊張でしたね。

10分間の発表って実は本当に長くて。資料を作っても質問に対して、勉強不足で即答できないところがあったりとか。その時は頭が真っ白ではっきりとは覚えていないんですけど、手塚本部長に言われたのは独立することは簡単だよ。だけど独立して何を目指すか、ってことが大事ってことだったと思います。

――緊張のプレゼンを経て店長となってから数年、昔の自分と今の自分を比べてみてどうですか?

数字もわからなかったころに比べればいろいろ成長したとは思います。あと成長するにあたって上司が良かったなぁっていうのは感じます。親身になって教えてくれるし、困ったことがあって相談したらすぐ動いてくれる。それが無かったらたぶん続かなかったんじゃないかって。


――今後の野望は?

あと5年以内に独立を目指してます! 今は独立資金を貯めている最中です。

――やりたいお店はやはりラーメン屋ですか?

最初はラーメンっていう気持ちがあったんですけど、嶋部長とお話したときに経営能力やノウハウをしっかり学べばラーメン以外でも独立はできるのかなと。マーケティングやマネージメントの能力があれば、違う分野でもつながってくると思うので、勉強してラーメンだけじゃなくて違うことでも挑戦してみたいです。

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