「刺される前に・・・」は正しくなくても“フツー″になる。
ハチが飛んでるのを、見かけるだけで怖い。そういう話をよく聞きます。でも、ハチだって、やたら滅多に人を襲うわけではありません。ヒトが刺される時は決まって、ハチ自身が巣や幼虫に危害を加えられると感じた時に、限られるのです。
ちなみに、花の蜜を採るためにブンブンしているスズメバチは無害ですし、アシナガバチも畑の青虫を狩ってくれる益虫。だから、「刺される前に殺せ」は正解ではないと思っています。
とはいえ、ことしもう一度、草刈りをする場所にアシナガの巣があった時は、「プシュー」とやる。次に草刈りをする人が刺されるから。
「プシュー」とやる度に、親から子までを一網打尽にしてしまうのは心が痛む。でも、だんだんとそれが“フツー”になっていく。「刺される前に殺せ」をやってしまう。
心に折り合いをつける度に、何も感じなくなっていく
でもね、「慣れって怖いなあ」と思う。相手が虫ならいいわけではないが、もし相手が人間だったらどうするのか。話がとっぴかもしれないけれど、日本が戦争になった場合。
日本が徴兵制の国だったら、敵の兵隊と戦うにあたり、自分なりの折り合いをつけるしかないだろう。現実には、武力攻撃には自衛隊が対処する。避難指示は、国民保護法によると、地方自治体が行うそうだ。
それでは、相手国に視点を変えてみる。相手国のヒトは、攻め込む日本の民間人への被害を考慮にいれてくれるのだろうか。
その答えは歴史が証明している。民間人への被害を想定していても、攻撃の効果を第一にすれば、被害を勘定には入れてはいない。民間人への攻撃を禁止している、ジュネーブ条約の批准の有無にかかわらず。
日本とアメリカの戦争、ウクライナとロシアにおいてもそうだった。都市への攻撃だけでなく、原発やコンビナートなどの重要施設は、民間ですからね。
戦局を左右するような標的を破壊するために、ミサイルを放つ。周辺に住む人の生死は考えないのは、戦時中の日本軍も同じでした。虐殺は論外だと言いたいけれど、これだって慣れによって、どうなるかなんて、わからない。
「プシュー」とやって、何も感じなくなっていく自分も同じだと思えば、そりゃあ怖くもなる。
ハチのように戦えるのか?
日本は隣国と地続きではないから、可能性は低いけど。もし、敵兵が家族に危害を加えようとしたらどうするか?白旗をあげるのが正解の時もあるだろうし、バットでもなんでも持って、対抗するしかない時があるかも知れません。
毒針で巣を守ろうとするハチのように、民間人が家族を守ろうとしたとき、攻めてくる相手からはどう見えるのか。「刺される前に・・・」が“フツー”だと思います。平和がいつまでも続いて欲しいけど、それに慣れきっているいまの“フツー”も十分怖い。