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男の威嚇が苦手な話

初対面の男同士の間では、しばしば威嚇が行われる。
(女性版はよく知らないが、多分あるんだろう)

威嚇ではしっくり来ない人もいると思う。
相手を窺う仕草とも言えるかもしれない。

僕はこの、初対面の男のあるある動作が嫌いだ。

相手を窺う行為

これは世の中で上手くいった人、いわゆる成功者にありがちな動作だ。
相手がどんな人間で、今までどんな功績を立ててきたのか、立場はどうか、などをニヤニヤしながら窺ってくる。

嫌な言い方をすると
『こいつをどう扱うか』
を下見しているのだ。

敬うべきか、対等に扱うべきか、はたまた見下して雑に扱っても良いのか。
相手を観察し、格を見定めようとする行為だ。

僕はこの、品定めを含んだ初対面の笑顔が大嫌いだ。
成功者への嫉妬や被害妄想も含まれるかもしれないが、この所作は存在していると個人的には確信している。
(気味の悪い成功者の界隈では、まずこれが間違いなく行われる)

イメージがつきづらいかもしれないので、もう少し掘り下げてみていこう。

何を見られるのか

何を窺うのかと言うと、格だ。
なにも目には見えないオーラをサーチしているとかではない。

髪型、顔、体格を含む総合的な容姿
その者の地位(肩書き、学生の場合は部活)
所作を含むコミュニケーション能力

簡単に言語化できるのはこれくらいだが、測定は他にも項目がある。それが先述した『格』だ。流動的な人間関係の中で、そいつがどんなポジションにいるか、と言えばいいだろうか。

こいつを軽く扱うと、逆に自分が追い込まれる
と思わせる総合的な雰囲気のようなものだ。

女性も独自項目があるんだろうが、男性の場合は中高生以降になると、こういう格のチェックを行うようになる。
たいていは出会いの場面で行われ、格付けが決まると簡単には覆せない。

カーストの基本的構造

社会に出るとそうもいかないが、僕の世代の男子たちが至上命題にしていたのは『モテ』だった。

学校の教室でカーストを見てきた人ならわかると思うが、集団には何となくと立場の差が生まれる。
ステレオタイプな見方だと、サッカーや野球などのメジャーかつチームプレイのスポーツをしている人間はカースト高めだ。

そして人当たりの良い、その他個人競技の部活をしている人は概ね中間層におさまる。笑いをとるタイプもこの辺りにおさまる傾向にあるだろうか。

そして、それらを持たない人間はカースト下位におさまるわけだ。
今がどうなのかは知らないが、僕が学生の頃はオタク趣味を持っているとカースト面では大減点だった。

かくいう僕もオタクで、さらに帰宅部だった。
そこをカバーするようなコミュニケーション能力もなければ体格もよくなかった。
高校の教室において、僕がどのような立ち位置だったかは想像がつくだろう。

長々と言ってしまったが、これは日本特有のことではなく、アメリカでもミームができている。


群れを形成する人間という生き物の性なんだろう。

個人的には、別にカースト下位だろうがなんだろうが、それ自体が嫌なわけではない。問題はカースト下位者が攻撃を受けることである。

下位者は踏み台になる

カースト上位者は基本的にモテる。
モテるというよりは、女性との交際に至るまでの前提条件を満たしていると言ったところか。

ただ、それだけでは決定打にはならない。
決定打がずば抜けた容姿の良さなのか、雄としての強さなのかは下位者からしたらよくわからない。
しかし、女性の気を引くための共通した行動は存在する。

それが低カーストに位置する人への攻撃だ。
カースト下位者を絶妙な塩梅でサンドバッグにするのである。
いじりや軽い暴力が主だ。

なぜこんな無益ないじめ(いじり)を行うかというと踏み台にするためだ。

カースト上位者はカースト下位者に対し、
バカにする、いじるなどの攻撃を行うことで、自分の格の示威行為を行うのだ。主に女性へのアピールのために。

教室で下位者をバカにしたり、飲み会の場でおちょくったりする行為がまさにそれだ。
彼らは下位者を足蹴にすることで、女性に対して自分が強者であること、ひいてはつがうにふさわしい雄であるとアピールするのである。
恋愛はそんなに汚いものじゃないと思いたい人もいるかもしれないが、所詮は繁殖のための営為だ。
雄は互いの優位性アピールのために競い合う。
雌は強い雄を選ぶ。
自然界の獣もよく雄同士で争うが、人間においても基本構造は変わらないわけだ。

弱者をいじり、時にはいじめることで、強者はさらに強者性をアピールしていくわけである。
その効果はいじめっ子といじめられっ子の予後にもっともよくあらわれるだろう。

元いじめっ子は成長すると丸くなるのか、攻撃の必要性が薄くなったことを肌で感じるのか、露骨な攻撃をやめる。しかし、その横には恋人なり伴侶なりがいて、果てには子供をこさえていたりする。
社会的に成功している人も多く、ビジネスの場でも相手の格を計ってニコニコしている。
頭の中ではサイコなことを考えているのかもしれない。

逆に、元カースト下位者の予後は悲惨になりやすい。いつまで経っても『舐められる立場』から抜け出ることができず、社会に出ても攻撃された経験からか、所作に怯えが染み付いてしまっている。肩に力が入った様は、さながら周囲を警戒する小動物である。
この様子を見た人は
「ああ、こいつはこれまで地位が低かったんだな」
と直感するのだろう、見えない引き継ぎが行われる。
新しい環境&人間関係リセットという下位者のほのかな希望はだいたい打ち砕かれるのである。
社会に出るといじめやいじりがマイルドになるが、なんとなくの格付けは続いてしまうわけだ。

逆転の目

カースト下位者という属性は、残念ながら引き継がれていく。中学から高校、大学から社会に出ても基本的には変わらない。

下位者になるというのは1種の呪いであり、自信のなさ、他者に対する緊張感などが所作から滲み出てしまうのだ。
どこへ行っても基本的には変わらないのである。

しかし、逆転の目がないわけではない。
方法はいくつかあるが、やりやすいのはイメチェンだろう。
簡単な部類で言えば
服装を変える
髪を派手にする
などだろうか

中学や高校、大学などの環境の変化に乗っかって見た目を変え、カースト逆転を狙うのである。
高校デビューや大学デビューなどと揶揄される行動で、学生あるあるな行為だ。
しかし、カースト逆転を狙うという意味では大きな賭けであり、決して笑って済ませられることでは無い。

他には、肉体改造するという手もある。
筋肉をつけて個体としての自信をつけるのだ。
服や髪のイメチェンと比べるとしんどいし、効果が出るのに時間がかかるが、下位者特有の怯えの特効薬にもなりうるだろう。

実際、格闘技を始めたことで人として扱われるようになったという体験記がnoteには存在する。


カーストの低さに悩む男子なら必読の内容だ。

僕の生存計画

僕も長らくカースト下位者の立ち位置に甘んじていて、たくさんの個体からいじられ、小馬鹿にされてきた。
さらにもう学生では無いし、とてもじゃないが若くもない。なってはならない大人になってしまったわけだ。

引用した記事のような、格闘技を習って肉体改造という手段は、僕には出来そうもない。
元から根性がないというのもあるが、年齢的にも効果が薄そうだからだ。

しかし、
自信をつける
他者からの攻撃の予防

という意味で、筋肉をつけるのはありかなと思っている。
自宅でのトレーニングでインドア中年特有の陰気を軽減できないかと模索中だ。

それから、記事の趣旨とは外れてしまうが、僕の他者への怯え癖はもはや病的な程だ。
実際、気分変調症やうつ病の診断と同時に、社交不安障害という診断もされている。
他者と関わるのはもちろん苦手だし、常に緊張で方に力が入ってしまう。
幼少期から刻まれたこの病気は根が深く、もはや人格障害の1種『回避性人格障害』ではないかと思っているほどだ。

もはや、人間関係の発生そのものが嫌になってしまっている。
仕事柄、勝ちに勝ち抜いてきたサイコパス経営者と話す機会もあったが、本当に反吐が出るレベルだった。

僕の場合はそもそもの根が深く、改善したところで大したメリットもない。
僕にできるのは、根っこにある障害やトラウマを軽減して、せめて今後の人生を生きやすくすることくらいだ。

今は治療のために私設のカウンセリングルームを探している。
高額なカウンセリングを定期的に受けるには、経済的に苦しいので実行に移せてはいない。

なので、目下やるべきことは働いて金を稼ぐことなんだが、先述の通り、職場には人間関係が発生する。複数の人間がいる以上、最初に書いた威嚇が必ずあるのだ。淡々と働きたいだけなのに、仕事とは別の立ち回りを求められる。
だから嫌いなのだ。

なにはともあれ、今は金欠なので、何かしらの人間関係に飛び込む必要がある。
想像するだけで胸が重たくなるし、何もしたく無くなる。
やったとして、状況の改善がされるのかもまったくわからない。
しかし、何もやらずにいるには余生は長すぎる。

いつか下位者を抜け出し、威嚇に打ち勝つこと、せめて攻撃対象にされないことを夢見ながら、最近は求人情報を見ている。

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