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人間関係で失敗し続ける理由を深掘りしてみる

これまでたくさんの人間関係で失敗し、敗走を重ねてきた。
昔はそのたびに自分の言動などを省みて一人反省会を開催していた。反省会とは名ばかりで、ただただ傷をほじくりまわしながら消沈することに酔っていた気もする。

とはいえ、年を取ってくると傷つきから回復するのも大変だし、消沈することにも飽きてくる。

ということで、今回は人間関係失敗の前例から原因を掘り下げてみる方向で傷口をほじくってみることにする。

思うに、同じ人間関係の失敗でもいくつかパターンがあるように思う。
そのパターンを列挙して、防止するためにどうしたらいいかを考えようという試みだ。我ながらいい案じゃないか。

攻撃された

まず思い浮かんだのがこれだ。
自分にナメられやすい感じがあるんだろうと思うが、これまで出会ってきた一部の人たちは攻撃的な言動でこちらを傷つけてきた。

さっさと逃げればいい話だが、主に仕事上の理由で離れることができなかったのだ。前職でのパワハラ上司とか、今の仕事のサイコパス経営者などが該当する。

過去に男の威嚇が嫌だという記事を書いたが、だいたいこの威嚇の後に攻撃を受けている。


こういう人間に攻撃されるとしばらくは頭の中で発狂するのだが、どこかで吹っ切れる瞬間がある。
その後は精神的にシャットアウトしてやり過ごすが、結局は限界を迎えて飛ぶ、というのがこのタイプに関する失敗の典型例だ。

最初は我慢の限界が来たからと飛ぶ自分が悪いと思ったが、そもそも攻撃してくる方が悪いに決まっている。しかし現実は非情で、そういう攻撃してくる奴が因果応報の目に遭うことはない。四半世紀以上生きてきても見かけないのだから、攻撃的な奴がある程度うまく生きられてしまうのは世の常なのだろう。

だからといって人誅を称して刃物を突き立てるわけにもいかない。


これを防ぐにはやはり、初手でナメられないようにするのが得策だろう。
身長が低いのはどうしようもないので、体を鍛えるなり見た目を変えるなどして、ナメたらいけないという印象を与えるしかない。

あと、メンタルが弱っていると被害者意識が強まってしまい、攻撃された判定が広くなってしまう可能性もある。
体力が低いと病みやすいので、やはり体を鍛えるしかないのではないかとも思う。


思ったような返報がなかった

これも僕の人生にはあるあるで、このパターンで家族とも距離を置いた。

自分で言うのもなんだが、僕はなんというか、相手に何かしてあげる立場に回りやすい。
借りをつくるより貸しをつくるほうが精神的に楽という卑怯な心理もあるし、何かを与える自分でないと生きている価値がないという意識のせいでもある。

親切をためらいなくドブに捨てる度量があればそれでもいいのだが、残念ながら僕の人間力は非常に低く、例え自分からやったことでも見返りがないと、どこかで致命的に萎えてしまう。
場合によっては相手に対する関心が完全に尽きてしまう事もある。
先述のように家族に対してもそのパターンで近寄りたくなくなった時期があり、今は地元からどんどん離れる方向で移住を続けている。

メサコンチックなところはそう簡単に治らない気がするので、対策としては与えているという恩着せがましい考えが頭をもたげないくらいに裕福になるしかないと思っている。

障害年金をうまく使うしかない。

あと、見返りがないのもどこかでナメられてるからという気もするので、やはりナメられない工夫は同時並行した方がいいかもしれない。

黙って我慢して勝手に爆発した


これがもっとも予後が悪い。
僕は基本的に不満があっても黙っている性格をしているうえに、その場で不満を感じ取るのも非常に苦手だ。
二重の欠点により、不満を相手に伝えるという行為がほとんどできない。
文字によるやりとりなら多少はマシになるが、その場で伝えるのはほぼ不可能に近い。

痛覚がない

この問題に関しては、精神的な痛覚の麻痺も影響しているように思う。
普通はバカにされれば怒るし傷つくし、物事が思ったようにいかなければ凹むわけだが、それは精神的な痛覚と自己肯定感とやらがバランスよく機能していて初めてできる芸当だと思っている。

精神的な痛覚が麻痺していると、そもそも傷つきや怒りに対するアンテナが鈍くなる。これは機能不全家庭で育った人に顕著な特徴でもある。

鈍くなってるならいいじゃん、と思うかもしれないが、その場で感じられなかった怒りや不満はなくなることなく、むしろ後になって沸々と頭に蘇る。後になって拳を振り上げてもどうしようもないわけで、これらの怒りや不満は頭の中でグルグル回って相手への苦手意識になり、徐々に蓄積されていくわけだ。

そして爆発してしまうと、完全に対象への興味関心を失ってしまう。
心のつながりが糸だとすると、それを完全にブチ切って逃げ出してしまうわけだ。

現実であれば引っ越し、ネットであればブロックなどを駆使して、完全に関係を絶つ。人間関係リセット症候群というやつだ。

その後、切った人間に対して無関心になることもあれば、機会があれば殺してやりたいと日夜憎み続けることもある。
これは非常によくないことだし、大抵の場合はこちらが不満を伝えなかった結果自爆しただけなので、本当に治したいと思っている。

どうしたらいいのか?

どうしようもない気もするし、30を超えて直しても大して効果ないよなとも思う。
しかしどれだけ続くかわからない余生で、常に人間関係に頭を悩ませるのも馬鹿らしい。こういう今後の対策をしないでいると暇になってしまう。

ということで、今後どうしていくかをぼんやり決めていくことにする。

体力強化

まず1人でもできるのは、体力の強化だろうか。
筋トレでムキムキになるとかは厳しいので、まずはご飯を食べてちゃんと寝るを継続して、人間として最低限度の体力をつけることだ。

散歩もいいかもしれない。
とにかく体力がないと何もできないし、どんどん弱々しくなっていくので、一にも二にも体力だと思う(エアプ)。

トラウマ解消

散々、自分の性根に原因を求めてきたが、PTSDじみた症状が足を引っ張っているのも間違いない事実だ。
あまりに対人関係がヤバなせいで、僕を回避制パーソナリティー障害と断じる人もいたほどである。

言われてみれば確かに、パターン化できるほどの失敗体験によって僕の人間関係への印象は最悪だ。どんな人間を前にしても、心の奥底で約束された失敗を確信しているほどである。

その根源がどこにあるかというと、やはり幼少期に培ったトラウマだと思われる。
主治医の先生もトラウマじゃない?的なことを言っていた気がするし。

なので投薬ばかりではなくカウンセリングもやらないといけないわけだが、持ち前の異常気質で病院のカウンセリングを利用することにためらいがある。

なのでちょっと高いが私設のカウンセリングルームに行かないといけない。
いつも行かなきゃ行かなきゃとしか言っていないが、いちおう行く場所は決めているのでカメくらいの速度で進展してはいる。

次はお金を貯めてカウンセリングを複数回受けられる余裕を確保しないといけない。そのためには障害年金をあてに生活するのではなく、どこかでお金を捻出して貯めないといけない。そのためには行動を増やさないといけない。

結局は体力である。
なんかいっつも体力体力言って、何もできずに体力を削っているだけな気もするが、これも人生だ。

こうやっていろんな角度からチクチク体力の必要性を脳に刻んでいけば、どこかで吹っ切れるかもしれない。たくさんの人間関係をぶっちぎってきたのだから、未来の自分はどこかで惰性や腐った性根もぶっちぎってくれるかもしれない。

そんなことに期待しつつ、今日はもう疲れたので寝ることにする。

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