『森は盗む』大原鉄平 感想

 第十回林芙美子文学賞受賞作。去年か一昨年林芙美子文学賞に送った。一次落ちした。悔しい。と思いながら読む。最近Twitterの人が次々デビューしていてすごい。ラッシュだ。乗り遅れたままぼーっとしている。キャロット通信がバズったせいで同人誌をやるより新人賞に出せというツイートが流れてきて泣く。前置きは終わり。

 自分がない感じの女性一人称で物語が進む。母との複雑な関係と自己の置き場のなさ、誰にでもなりきってしまう心の座の空白が強調された視点。上湖という彼女は工務店で設計図面を引く仕事をしている。彼女はいつもよっちゃんという先代社長の残した一人息子の職人を見ている。ふたりの年齢は離れているが、お互いに独り身で家庭生活を送るには欠けたところがあり共感を覚えるのだということがだんだんわかってくる。上湖は妄想の中で何度かよっちゃんと家庭を築くことを想像する。家庭を築くというよりも、育てられ直すことを思い描く。彼女は父親を探しているし、よっちゃんは引退した父親の幻影に縛られている。よっちゃんは腕のいい職人だが他人の物を盗む。上湖とよっちゃんは同じ工務店で他人の家を作っているが、家庭を築くために大切なものを持っていない。

 先代棟梁が亡くなった後で、よっちゃんは上湖をドライブに誘い、上湖はよっちゃんと夜景を見に行く。よっちゃんにとって夜景は先代棟梁との果たされなかった約束の象徴だった。実際の夜景を目にしてたいしたことない、と笑うよっちゃんを見て、上湖はこういうことを繰り返すことでよっちゃんの本当の姿が見られる予感がするという。

 物語の終盤で森の中にあるよっちゃんの「家」と呼んでいるもの、実際には檻が出てくる。普通のこどもはそれは家ではないから入りたがらないが、上湖はすんなりそこに入り込んでしまう。家は木でできていて小さかった。子どもが入る用の檻なのだ。腐ってはいたが、釘やビスをつかわない仕口だけで組まれた檻は見事な構造を持っていた。よっちゃんは子ども時代にそこで長い時間を過ごしたのだ。暗い森はいろいろなものを盗むという。でもなにを? 森はよっちゃんからなにを奪ってしまったのだろう?

 上湖は空想の中でよっちゃんと事務の小林さんを親にして小学生の自分が暮らす家を設計する。自分の居場所は自分で探さなければならないと彼女はいう。よっちゃんのいなくなった事務所で彼女は仕事を通して自分の居場所を探すのだろう。それがどういうふうな困難や諦めを呼ぶのか、作者も私もまだ知らない。

 森が盗むときに風が吹く。作品で大事なものが失われるときに湿った風が吹いていた。棟梁が死ぬとき、小林さんが盗まれたマスコットをめぐってよっちゃんを糾弾するとき。森はよっちゃんから盗んだものを決して返してはくれなかったのだろう。よっちゃんがいくら見つめても森はよっちゃんの姿を認めてはくれない。まるでよっちゃんの父親のように。よっちゃんはこれまでの人生でいろいろな家を作っただろう。でもその家のどこにもよっちゃんの居場所はなかっただろう。上湖も彼に居場所を与えることはできない。よっちゃんが求めていた自分の居場所を築けるのは先代棟梁の枯れ木のような掌だけで、それは永遠に失われてしまったからだ。

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