現実を勧善懲悪の世界にしたくない

俺にとって、フィクション的な勧善懲悪の感覚で現実を視た上でそうした倫理観を振るう人々のことは怖いです。
善悪は常にはっきりと分かれており、打倒されるべき悪がどこかにいるという価値観は容易に「死んでもいい人間」と見なされる人々を生み出してしまいます。
過去にどれだけの罪を重ねてきた悪人であろうと、法の手続きをよらずに市井の人々の感情だけで「死んでもいい人間」とされていいはずがないのです。
善良な人々の生の営みを肯定することはそう難しいことでもないでしょうが、俺は「善良ではない」「むしろ邪悪である」人々の生をこそ肯定したいと思っています。
少しの悪が放っておかれない世界では弱い者が弱いまま、善い者が善いまま生きることもできない。俺は自分の善性を信じきれていないからこそそう思いたいのです。

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