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『黒い目』

眼帯をつけた黒髪の少女がふいに家を訪ねてきて
私にあのときの話を聞かせてほしいと言った。

近所の子でもなさそうだし、少し迷ったが、
かわいい子だったし、年甲斐もなくわくわくするものもあって
私は当時のことを思い出しながら
ゆっくりと話し出した。

ちょうど夕陽が沈みきった頃だったな。
肌寒くなった今ぐらいの季節だったと思う。

河川敷近くの公園に太い桜の樹があるだろう?
犬の散歩でそこを通りかかったら、
白いふわっとした寝巻姿の女がいて
桜の樹の根っこのところにうずくまってたんだよ。

こんな寒いのにおかしいなと思ったし
犬が狂ったように吠えだして
正直ちょっと怖かったのを覚えてる。

でも、お腹でも痛くしていたらいけないなと思って
声をかけたんだ、大丈夫ですかって。

ところがもぞもぞっと
額を地面にこすりつけるみたいに動かすだけで
返事がない。

だからもう一度、大丈夫ですかって声をかけながら
近づいたんだ。
肩に手をかけようとして覗き込んでみたら
その女、食ってたんだよ。

一心不乱に、むしゃむしゃと。
真っ黒い土を。犬みたいに。

うわっ!と驚いて思わず尻もちをついた瞬間だった
その女が振り返って顔が見えた。

公園の頼りない電灯の下だったけどはっきりと見えた。
大きく見開かれた目は真っ黒で、
白目がまったくなかった。
奇妙な叫び声をあげてる口には
土だらけのどす黒い歯が並んでた。

その女が四つん這いのまま
長い黒髪を振り乱して
猛スピードでこっちに向かってきたんで、
私は腰を抜かしながらも死ぬ気で逃げ出したんだ。

うしろで犬が飛び掛かってくれたみたいだけど
あまりよくは覚えてない。

犬はそれっきり消えてしまって
ずいぶん探し回ったんだが、
見つからずじまいで、戻っても来てない。

……とにかくあれ以来、
私はあそこは通らないようにしてるよ。

なんでこんな話を聞きに来たのかはわからないが、
行くつもりなら、悪いことはいわないから、
やめておきなさい。
世の中には知らないでいた方が幸せってこともある。

「うん、ありがとう、おじさん」
「なんのなんの、久しぶりにかわいい子と話せて私も楽しかったよ」
「ところでおじさん」
「ん?」
「おじさんが見たその女の人の目って
こんな目じゃなかったですか?」

少女がゆっくりとつけていた眼帯をはずした。
――大きく見開かれたあの目。
白目のないあの真っ黒な目が
突き刺すように私を見つめていた。

少女が奇妙な叫び声を発すると
耳鳴りがして何も聞こえなくなった。

私の目が最後に見たのは
少女の口の中に並ぶ
土だらけの真っ黒い歯だった。

水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。