2020.11.19


しんどい。非常に心がしんどい。

コロナ渦以降、当たり前や健康の尊さをみんな実感していると思うが、それ以前に健康を失って高校時代ですらほとんどベッドに寝ていた記憶しかない私にとって、当たり前なものなんてもともと何一つなかった。そんなことがなくたって、私は健康に生きられることがどれだけ脆くて尊いものか実感しながら、必死に普通というやつに噛り付いて生きていた。何度自殺を考えたかわからないけど、私が学校めちゃくちゃ休んでいた間のノートを頼んだわけじゃないのにわざわざ印刷してまで渡してくれた子だとか、体調を心配してくれてる人とか、そういう人たちに生かしてもらっているので、ここまできたら、というか最初から、自分だけの命ではなかったのだと思い返すと、毎回泣きそうになってしまう。つまりそれだけ、環境や人に恵まれていたということで、こんなところで死ぬわけにはいかないといつも思う。恩返しすらできないのに、死んでは仕方がない。ただ脳がバグっているだけだなと思うようにしている。

だから、普通の生活を送れない悔しさを噛み締めながらも必死に生きさせてもらっていた私は、今の状況が本当にきつい。過去を振り返ってあれが尊かったのだ、いつか来るその日までに頑張ろうなんて到底思えない。振り返るだけしんどい、戻りたいだなんて思わないくらい必死に生きてきたから、二度は頑張れない。こういうものは、みんな耐えてるから一緒に頑張ろうねでは片付かない。だから書かせてもらっている、本当にきついいもんはきついと思っていいんですよ〜。つらさなんて測ったって仕方ない、比べてお前より俺の方が不幸だなんて言われても仕方ない、私自分のこと不幸だとは思ってない、社会不適合者だ〜とは思うけど。努力が足りてないんだ頑張れという言葉がただ刺さって抜けないくらいにはもうクタクタです。

人間の精神とは何かたびたび考えている。なんの精神疾患かと問われるといまだに答えは見つかっていないし、確実に病気だと思うんだけれど、最近やっぱり精神を病んでいる人と健常者との境界線というのは曖昧で、DSM-5だとかICD-10とかいった診断基準というものはたしかに存在しているのだけれど、誰にでもなりうるから、通常とは地続きの世界なのだと解釈しているし、私もそういう曖昧な地続きの世界の精神疾患寄りのところにいるんだなーくらいに思っている。医者もよくわからんなーといつも言ってるので、あんまり診断名は気にしないことにしている。

それで今は、何もしないで一人家に閉じこもっていることの恐怖を実感させられている。全然嬉しくないけど、みんなが精神疾患のリスクを今までよりも多く背負う時代になって共感してもらえることが多いんじゃないかと思う。
今のところわかっている精神疾患の多くの原因はなんらかのストレスということになっている。(統合失調症では遺伝という話もあるがよくわかってない)とにかく、ストレスが原因で脳内の神経伝達物質(セロトニン、ドーパミンなどなど)のバランス?が乱れる説が書かれている。そう思うと、つくづく精神の在り処というのは脳なのだなと、直感的に理解することができる。例えば統合失調症は幻覚や幻聴という症状があるのだけれど、それはとてもリアルな世界として見える、聞こえるらしいので、それはもうその人の世界なんだろうと思う。多重人格障害(解離性同一性障害)でいえば、ストレスに対して人格を変えることで対処している説があるし、うつ病でいえば、自身の生物体を対処することでストレスに対処している、と解釈されている。え??という話だが人間の脳みそとはそういう風にして、耐え難いストレスに対しての反応を起こすらしい、それが症状であり、病気の正体なのかもしれない(?)ここまで書くとより、人間って脳みそに動かされているんだなと実感する。自分で自分を支配しているようで案外人間は脳という臓器に動かされてしまうことがあるのだと思う。あと、精神疾患になると自律神経のバランスも大体一緒に崩れるし、自律神経というのも自分じゃうごかせないので面倒だな。(緊張するとドキドキする、手汗をかくとかいうアレ)そして何しろ見えないので、精神の病というのはとてつもなく厄介だと思う。病そのものの苦しみも大きいだろうけど、見えないからこその偏見がきついと思う。どちらかというとその方が耐え難いんじゃないだろうか。だから生きづらくて自死を選んでしまう人が多いと思う。精神の病というのは、完治を目指すというよりも、寛解という(ある程度生活が送れるくらいまで良くなったという状態)のを目指すし、常に再発のリスクを抱えているので無理がきかない、とても調節が難しいものだと思う。難病とはまた違うものだが、薬はあるといっても治すものではなくてあくまで症状を抑えるもので(対処療法)、向精神薬はとにかく副作用がでかすぎる。私はうつと診断されているが、症状からすると双極性障害とパニック障害にとてもよく似ていて、多分そうなのだと思うが、双極性障害と診断されたとしても炭酸リチウムや抗精神病薬、抗てんかん薬等を絶対に飲みたくないと思っているので、そう診断されたくないまである。私が40歳くらいの男の人だったら飲んでたかもしれないけど、もしかしたら将来子供が欲しくなるかもしれないしまだ20歳になったばかりで、奇形の子が生まれるかもしれないリスクや甲状腺機能が低下するリスクを背負ってまで飲みたくない。だったら年数をかけてもいいから生活を変えてなんとかしたいと思う。

と、ここまで脳やストレスについて語りすぎも語りすぎだが、語ったところで、いかにストレスが怖いか、そして脳はストレスに弱いか、わかってもらえたでしょうか?(急な参加型)

そして人間って、ホメオスタシスというものが働いているので本来は修正がかかるし、ちょっとの傷なら修復されるはずなんですよね。でも多分ある一定のラインを超えると、年単位で日常生活に支障が及ぶようになる、(きっとそれが病気というものなんだろうけど)。朝起きて、家を出て、学校に行ったり会社に行ったり、帰ってきて寝たり、ご飯を食べたり、そういうことがなぜか、できなくなってしまうんですよね。私は今でも覚えていますが、多忙で不眠が続いて急に起きれなくなったというか正確にいえば、体が鉛のように重くて起き上がれなくなった朝を覚えています。そこから5年くらい経ったけど、一度寛解させたもののコロナでよりだめになってしまいました。

寛解させるには自分の努力が不可欠で、薬では治らないことはわかっていたので、去年1年間は朝ごはんを吐きそうな体をなんとか大学へ持って行き??、空きコマは横になるために帰り、みたいなことをしてるうちに割と調子良くなってきてバイトもちゃんとしてました。寝つきは悪かったし中途覚醒も3回とかあったけど、なんとか眠剤も絶っていた。一人暮らしがあっていたのもある気がする。環境を変えて、生活を無理やり整えて、もちろん人より休んでしまっていたけど、それでも良くなっていた、このままいけば就職する頃には大分良くなってるだろうなーって思えるくらいには回復していました。

でも今はどう見ても!もともとそういうのを抱えている人には無理な環境でしょう。ただでさえ罪悪感を抱えて生きているのに、外出するだけで悪!みたいな。自分が誰かを殺したり誰かに殺される可能性があるかもしれない中で、今日は何人死にましたとか、もうしんどいしんどいしんどい。おまけに大学はずっとオンラインで、印刷代とかだけかかって得られるものがずっと少ないし、グループワーク気まずいし、パソコン見てるの頭痛いし、フィードバックがなさすぎる。友達がいるだけまだ良くて、一年生は本当に可哀想でならない。
強制的に私たちは、孤立化させられている。人間を最もだめにするのは間違いなく孤立であると思う。閉じ込められて、陽の光も浴びず、リフレッシュするにも罪悪感、一人、画面越しにしかコミュニケーション取れない日々。健康な人だって不健康になるわこんなの!と思います。
個人的な感情として一番大きいのは、こんなに頑張って寛解させたのに?!?!?!です。
私の一年の努力、水の泡、、、、気管支が弱いので本当に感染が怖いのもあり、罪悪感もあり、外に出られずにいたら、まともに免許すら取れないくらいに病んでしまい、単位すら危うい。
ナンダコレ??なんも楽しくないぞ???
だからって、この生活は明けない。願ったって、何も起こらない。好きな人には会えない。引っ越しを繰り返しているから、会いたい人はみんな結構遠くにいて、余計に会えなくなってしまった。

そのうちに、すべてへの興味がなくなって、試しに漫画とかに手を伸ばしてみても、途中でやめてしまうものばかりが山積みになって、ストレスの発散にしても何をしていいかわからない。代わりにあるのは死に対しての反復的な思考と、死への恐怖の発作くらいで、自己実現どころではないのに、だからといってしんどいって言いながら向き合ってきたものを投げ捨てる勇気もなく、それをやると将来がなくなって本当になにも残らないという恐怖が勝っている。ちゃんと働かないと、奨学金は返せないし。

まあ病気になってできなくなったことを数え上げればそれこそキリがないの、わかってるんだけど、それに甘んじないということは、それを踏まえて前を向くということなんだけど、糧がないのよ。膨大なエネルギーが必要なんだよただでさえエネルギー不足だからこうなっているのにね。

今は、自分と向き合うことにもう飽きたから、なにもかも投げ出して、綺麗な海を眺めていたい。自然を求めるのは当然の心理のような気がしてきた。

あーーーーーーしんどいな。私がギャルなら、まじ四面楚歌って感じ〜ってまとめをするのにな。

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