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WBC THE FINAL イチロー✖︎ダルビッシュが語った日本「人」差別について

2023年大晦日に放送したWBC THE FINALでイチローとダルビッシュの2人が2009年のWBCと2023年のWBCについて語るコーナーがあった。
その中の会話でイチローは
記者:「アメリカへの想いはメジャーでプレーしているから生まれるもの?」
イチロー:「ちょっと下に見ているところはありますからね。」「現代ではなかなかそういうものは表現しないだけで」「それはあるって」

僕もニューヨークでエンジニアのお仕事をしている時がありましたが、この「表現はしないけど、下に見ている感覚」というのはすごいわかります。
共感しました。

確かに現代は半世紀前と違い、SNS、人権団体が機能しているからか、露骨な差別というのは格段に減った事でしょう。

露骨な差別を行うと、いわゆる「干される」ことにもなりますし、「差別=やってはならないこと」という認識はとても浸透しています。

しかしまだ、このアンチ差別というのが、「まだ」義務感でしかないというのが在米日本人が感じるものなのでしょう。

この問題を解消するには、おそらく制度やPRなどでいくら作用させようとしても、ある一定の時間というのはかかるものだと思います。

では、この時代、この世界に生まれた私たちはこの問題に対してどう対応すれば良いでしょうか?
・このような義務感のアンチ差別はおかしいと今できる限りの抗議、PRなどをして戦う?
・イチローやダルビッシュ、大谷のように差別主体が行っているスポーツなどで圧倒的な結果を残す?(これは番組内でイチローが「個人が結果を残すと、その個人に対してのリスペクトは生まれるけど、、、」とおっしゃってました)
・仕方のないことだとして、諦める?

どれも正解も不正解もないと思いますが僕が考える、まず一番最初にやるべきこと、というのは「現状を知る」ことだと思う。

そしてそれを知る上でとても邪魔になっている大きなモノに、「政府」「文化」「国民」というものが混ざっている感覚がある。

アメリカにいてChinaを考える時、中国「政府」の情報統制であったり、一党制、共産主義的な考えにアメリカ人がネガティブな感覚を持っているというのは少し感じます。しかし、だからと言って中国「人」に対してネガティブな感覚を持っているというのはあまり感じませんでした。

逆に、Japanを考える時、日本「文化」というのにはとても興味を持っているように感じましたが、日本「人」や日本「政府」に対しては、「アメリカから見たら特に知らないちょっと発展した地方(日本で言う都会以外を指す)の政府と人達」という感覚が近いでしょう。

Chinaが悪くて、Japanが良いのではないです。
「Chinese government」「Chinese economy」 が警戒されていて、「Japanese culture」が好かれているのです。

国民と政府と文化はそれぞれ別のもの。
これはすごく当たり前なのですが、他国を見るときに勘違いしてしまいがちなことの1つです。

これ以外にも多くの文化的差異、文化の誤認識を起こす原因があります。
まずはそれらの原因をできる限り取り除いていき、
現状を知ることで、
それに「どう対処するか」、「対処しないか」を考えていきたいです。



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