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東京探索記 1 麻布台ヒルズ(新しい街の誕生)

2023年(令和5年)11月24日(金)、東京都港区麻布台再開発地区が開業しました。テレビなどでも宣伝されたり特集が組まれていましたが、これまでのビル1棟の再開発ではなく、一つの町を再開発し、新しい街を創り出したのが麻布台1丁目地区の再開発です。新しい街の名前は「麻布台ヒルズ」。

開業初日の11月24日、昼間に所用を済ませて夕方が迫りつつある麻布台ヒルズへ行きました。
この場所は工事着工が始まる前の2019年までは通称、我善坊谷(がぜんぼうだに)とよばれていました。その当時は昭和高度成長期に建てられたと思われる一戸建て住宅や瀟洒なデザインのマンションが建ち並んでいました。それから約4年、町から新しい街へと生まれ変わった麻布台を歩きます。

1.麻布台ヒルズへ

地下鉄日比谷線神谷町駅から地上へ出ると目に飛び込んでくる曲線的な建物。ここが新しい街、麻布台ヒルズの玄関口の一つ、ガーデンプラザです。日本の建造物では見かけることがまずないであろうという形状。新しい街の予感をさせてくれます。

麻布台ヒルズの玄関口、ガーデンプラザ
新しくつくられた道、桜麻通り

街を貫く桜麻通りは再開発により生まれた新しい道です。神谷町側の桜田通りと六本木側の麻布通りをつなぐことから一文字ずつとって名づけられました。坂道のこの道にそって上っていくと中央広場、アリーナへ出ます。芝生などで緑いっぱいの場所。そして、ヘザウィック設計の渦巻き型大屋根が目に飛び込んできます。その後ろにそびえる全面ガラス張りの建物が麻布台ヒルズのランドマーク 森JPタワー(タワープラザ)です。
ガーデンプラザ側にはまだ店舗はあまり入っていません。一方こちらタワープラザの下層階には多くの店舗がはいっています。中を歩いてみると回遊できるような作りになっています。

タワープラザ(外苑東通り側の玄関口)
初日、夕暮れの時間でも大勢の人が
中央広場の象徴的な渦巻き文様
芝生の段々に多くの人が座っていました。休憩かな
左がJPタワー、右はレジデンス棟。もう1棟のレジデンス棟は建設中

JPタワー内の風景。全体的に白色を基調に落ち着いた雰囲気です。

2.かつての谷町、我善坊谷

麻布台ヒルズは2019年6月までは我善坊谷と通称で呼ばれた谷町でした。ここからしばらくは2017年から19年にかけて数回訪れたありし日の我善坊谷の町風景です。

我善坊谷とは?
名の由来は定かではないところもありますが、どうやら江戸時代のこと、この谷に座禅を組む僧侶がいて座禅坊が訛って我善坊となったという説が一つ。2代将軍、徳川秀忠の正室、崇源院(*1)の葬列の途中の道筋にあたるこの谷地に龕前堂(がぜんどう)と呼ばれる仮御堂が置かれ、後にこの一帯が「龕前堂谷」と呼ばれ、「我善坊谷」に変化したという説がもう一つ。この2つの説が有力ですが、いずれであるにしろ、仏教や寺院がらみの場所であったことはたしか。そして谷地であったことから、墓地として利用されていた可能性が高いと考えられます。
明治以降は、この谷合いの土地に住宅が密集する町として発展していきました。町名も麻布我善坊町として江戸期の名前を残していました。昭和49年(1974年)の住居表示の施行で長く使われてきた我善坊町はなくなり、麻布台1丁目となりました。谷町だけど麻布「台」??なんか矛盾していますが。

南側の三年坂下から北側をみる我善坊谷
北側の台地側からみた我善坊谷の町
2017年頃の町風景。神谷町に近いほうの店舗と思われる区画はほぼ退去後です

ここで脱線。昭和49年の住居表示施行で東京23区内で古くから使われていた町名が土地の歴史とは無関係の名称+味気のないナンバー丁目に変えられていきました。港区麻布地区も例外ではなく、それまでは麻布xx町だったのが、麻布台n丁目、南麻布n丁目、六本木n丁目などに変えられていきました。しかしそんななかで地元住民が町名変更に反対して残したのが2ヶ所、麻布狸穴町、麻布永坂町です。町名への思い、愛が強かったのですね。


平成末の頃に麻布にまだこのような昭和が残っていました

さて本線へ戻ります。
我善坊谷の特徴は南北に台地がそびえ、町は東西に細長くのびています。西の端は行合坂で麻布通りにぶつかり、東は桜田通りにつながっています。
地形的には西が高く、東へ向かって下がっています。そして東西の谷を貫くのが落合坂という緩やかな坂道で、歩いてみてもほぼ高低差は感じなかったくらいです。
再開発直前の町の様子は、西の六本木に近いのほうにはマンションが数棟。東側には某宗教団体本部と西久保八幡神社(*2)が建ち、その東西のあいだを小さな一軒家や町工場が埋め尽くしていました。

我善坊谷のおわり
アークヒルズ、城山ヒルズ、六本木1丁目再開発、六本木ヒルズ、さらに虎ノ門ヒルズと、昭和から続く住宅地や古いビジネス街が再開発されて大きな箱物中心の街へと生まれ変わっていくなかでここ我善坊谷は最後まで残っていましたが、麻布台地区再開発プロジェクトとして着々と用地買収が進められていた結果、ついに2019年6月、町は封鎖され、再開発へ向けた解体と再構築が始まりました。

(*1)織田信長の妹、お市の方の三女、江
(*2)西久保⇔西窪、漢字は変えているけれども、建っている場所の地形を表す神社と考えられる

3.我善坊谷の名残り探し

2023年11月24日、かつての谷町、我善坊は麻布台ヒルズとして新しい街に生まれ変わりました。
生まれ変わった街に昔の面影を探す人たちもいます。私もその一人ですが、スリバチストと呼ばれるスリバチウォッチャーたち。彼らにとって谷町で古い町並みを残していた我善坊谷は聖地のひとつでした。そしてそのスリバチが再開発後にどのような形に変わっているのか、かつての我善坊谷の跡はあるのか?

まずは三年坂。絵になる場所ですが、昔の写真と比較すると表面は化粧直しされて綺麗になっています。

新しくなった三年坂。スマートな階段坂になりました
2023年11月の三年坂
2017年当時の三年坂


もう一つ痕跡が見られるのが八幡通り。再開発前は我善坊谷の中心を貫く落合坂でした。再開発後は八幡通りという名で、JPタワーの下にもぐっていくようにつくられていました。

2023年11月の八幡通り
2017年頃の八幡通り。当時もこの名だったかは定かではないですが


4.これからの街の姿

再開発前は上述のとおり、東西に伸びる町で出入り口は、東の桜田通り側か、西の麻布通り行合坂からでした。再開発により、その表玄関も変わりました。南側の外苑東通り沿いにあった麻布郵便局の跡地に建て直された森JPタワー、ここの表玄関が外苑東通りにつくられたことでこれまでは郵便局、外務省飯倉公館、通りをわたるとロシア大使館があり、通り過ぎるだけだった街が、人が集まり寄っていく街へと移り変わっていくのではないでしょうか。
そして近くても別世界だった印象の麻布台1丁目が六本木と結びつく形で人の流れも変わって賑わいが増していくのではないでしょうか。

東京タワーとのコラボも絵になります
西久保八幡神社とヒルズをつなぐ回廊(かつての女坂とおもわれます)
伝統の日本と新しい日本

そんな予感をさせてくれる表玄関。これからどう変わっていくでしょうか。引き続き見ていきたいと思います。


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