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小早川秀秋鮭のホイル蒸し

秋の味覚は農産物だけではない。
海産物も脂が乗って旨味倍増。秋に美味しくなる鮭を料理しながら、裏切者の名を受けて、とデビルマンの歌のような評価を受けてしまった戦国大名を妄想した記録。


材料

秋鮭切り身 2切れ
エノキダケ 1房
人参    半分
インゲン  4本
スダチ   1個
醤油    小匙1
バター   20グラム

天正十年(1582)と言えば、本能寺の変が起こった年ですが、この年に木下家定の五男として誕生した辰之助が後の小早川秀秋。
木下家定とは秀吉の正室、ねねの兄。ということは辰之助は秀吉の甥。
一代で成り上がった秀吉には有力な親族なし。それどころか実子にも恵まれなかったことから、三歳の時に養子に迎えられる。左衛門督という官職に任じられる。この官職の唐名つまり中国風な呼び方が金吾ということから、辰之助は以後、金吾が通称となる。
七歳で元服、丹波亀山城主に。官職も権中納言という高位に登り、金吾中納言と呼ばれるようになる。


アルミホイルの上に輪切りにした人参を並べる。

秀吉の姉の子、秀次に次ぐ有力な豊臣家跡継ぎ候補として期待され、多くの大名から接待。現代では考えられないことですが七歳で既に酒漬け。
ところが秀吉に実子が誕生し始めると、こうした境遇に陰り。
淀殿との間に鶴松誕生。しかし夭折。と思っていると淀殿は続いて懐妊。拾と名付けられた子が後の秀頼。
文禄二年(1593)子がない毛利輝元の養子に秀秋を出そうという話がありました。この年は秀頼誕生。つまり既に秀吉にとって秀秋は邪魔になっていたということ。
この養子縁組が成立したら、毛利家が豊臣家に乗っ取られることを危惧した小早川隆景が秀秋を自分の養子としてもらい受ける。こうして小早川秀秋が誕生。

人参の上に鮭、インゲン、ほぐしたエノキを乗せる。

実子に跡を継がせたい秀吉は、関白を譲っていた秀次に謀反の疑いを着せて切腹に追い込む。その妻子まで全員、斬首。
秀秋もこの事件に連座させられ、丹波亀山を没収されるものの、小早川家を相続したので筑前名島城主となる。亀山は十万石、名島は三十万石なので領地が増えたことになりますが、都からは遠ざけられたと言える。
この頃には既にアルコール依存症になっていたという話。肝硬変だったとも。まだ12歳なんですが。
酒や悪い遊びが嵩んだようで、高台院(ねね)に500両の借金をしたとか、他の大名にも借金の申し入れとか、そんな話が結構ある。三十万石の領地があっても贅沢な生活で金欠?


バターを乗せて、醤油を垂らしてホイルで包む。

少年の頃から酒の味を覚えたというだけではなく、自分の立場が非常に不安定なものであることが、荒れた生活の一因だったのではないか。自分も秀次のように始末されるかもしれない。命も秀吉の気分次第?
やがて起こった慶長の役。秀秋も朝鮮へ渡海。
蔚山城の戦いに参加した時に軽率な行動があったと言われ、帰国後に名島城を没収されて、越前北ノ庄への転封を命じられる。
今度は三十万石から十五万石への減封。命こそ取られていないものの、秀吉に振り回されている感。


蒸し器に入れて点火。

秀吉の死後、助け船を出したのが徳川家康。
家康を始めとする五大老の連署により、秀秋は名島城主に復帰。領土も五十九万石に加増。思うにこれは家康が味方を増やすための取り込み策?
慶長五年(1600)家康が諸将を率いて上杉討伐に向かった時を突いて、石田三成が挙兵。
一万五千の兵を率いていた秀秋は西軍として伏見城攻めに参戦。したのですが、どうも本当は東軍に加わりたかった?
秀秋の領地は筑前、九州ですから軍勢を整えて上方に来た時には既に家康率いる軍勢は東へ。この時点で後を追う動きを見せれば、三成方に邪魔されるどころか袋叩き?止む無く西軍ということでは?
三成からは勝利の暁には秀秋に関白就任という恩賞を約束。
しかし、これも秀頼成人までの繋きでしょう。その後はどうなるか、不安定なことは秀吉在世中と変わらない。

沸騰してから15分程、蒸した。

秀秋は家康の元へ密使を送っていました。東軍に味方する旨を伝えたことでしょう。
秀秋は松尾山へ。ここは元々、山城があったが城主達を追い出して籠城。つまりここで東軍の助けを待つつもり?
九月十五日、現代の暦に直すと10月21日。
東軍が約10万、西軍が約八万の軍勢が松尾山の麓、関ケ原に集結。
従来の説とは違い、どうも関ケ原の戦とは松尾山に籠城していた秀秋を巡る籠城戦?どちらにしろ秀秋は関ケ原のキーパーソン。


スダチを切って、絞る。

戦の半ば過ぎ、去就を明らかにしない小早川軍に苛立った家康の命令で松尾山に向けて発砲。慌てて秀秋は東軍加担を決めて山を駆け下りる。というのが関ケ原を描いた映画やドラマでは必ず出てくる場面ですが、どうもこれは江戸時代になってから出て来た話で、当時の一次資料からは確認出来ず。
つまり戦をドラマチックに見せるための演出?

「おのれ、金吾め、人面獣心なり。三年の内に祟りを成さん」
山を下った小早川勢と交戦、自刃した大谷吉継が遺した言葉。


小早川秀秋鮭のホイル蒸し

下に敷いた人参が柔らかくなり、鮭のエキスもたっぷり吸収。エノキとインゲンも柔らかくなり、バター醤油のコクある風味がよく合う。
元々、塩を振ってあった塩鮭なので醤油を少な目にしたのが正解。
スダチでさっぱりと頂けます。
鮭のアスタキチン酸には強い抗酸化作用。老化を防ぎ、美肌効果もある。
エノキダケでビタミンBも補給。

関ケ原の後、秀秋は恩賞として備前と美作の二国を領地として与えられる。
この二年後に秀秋は二十一歳で死去。前述した大谷吉継の祟り?というよりも不摂生が祟っての若死にか。子がなかったので小早川家は断絶。
ということは、神君家康公を持ち上げるために事実と違うことを書いて、秀秋をあからさまな裏切者にしてもどこからもクレームはこない。

西軍を離脱。松尾山城に籠った小早川秀秋。それを包囲しようとした三成方。松尾山城救援という名目で駆け付けた家康率いる東軍が激突。これが関ヶ原だった?
開戦の名目を作ってくれたご褒美が備前と美作か。

本心は最初から東軍だったが、デビルマン同様、裏切者の名を受けてしまった?小早川秀秋を妄想しながら、小早川秀秋鮭のホイル蒸しをご馳走様でした。

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