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上杉鷹山ギ

旅行業界に身を置いていた頃、北海道に長期滞在したことがある。
美味い物一杯な北海道、ザンギと呼ばれる唐揚げも何度か食べた。それに近い物を作りながら、アメリカ大統領にも尊敬された日本人を妄想した記録。


材料

鮭     2切れ
生姜    1欠け
大蒜    1片
醤油    大匙2
味醂    大匙1
胡麻油   小匙1
黒摺り胡麻 たっぷり
米粉    適量

寛延四年(1751)江戸で誕生した秋月種美の次男、松三郎が後の上杉鷹山。
秋月家は日向高鍋の藩主。
母が早くに亡くなり、祖母により育てられる。この祖母が上杉家出身。
利発で見所ある孫を、祖母は甥である上杉重定の娘婿にと話を進める。
重定には当時、男子がなかったのでゆくゆくは婿養子として上杉家を継ぐということ。


鮭を食べやすい大きさに切る。

秋月家は二万七千石の大名ですが、上杉家は米沢で十五万石。藩祖は上杉謙信であり、室町幕府の関東管領山内上杉家の流れを汲む名門。
と格式から見れば、いいように思われますが、内情は有り得ないだろうと言いたくなりそうな話。
謙信の頃は越後で広大な領土を有し、次代の景勝は会津で百二十万石でしたが、関ヶ原で徳川家に敵対する側となったことから米沢三十万石に減封。更にその後、後継問題で養子の届け出が遅れたことで又も領土を削られ、十五万石。
収入が減ったのだから当然、リストラすべきですが上杉家は会津時代からの家臣を殆どそのまま抱える。武士は無産階級なので食い潰されるばかり。


大蒜と生姜を摺り下ろす。

積もり積もった借金は二十万両。現代の貨幣価値に換算すると約200億円。
仮に上杉家の身代十五万石を全て返済に充てても百年以上かかっても返済不可能と言われていました。
結婚相手となる幸姫ですが、脳障害や発達障害があったらしく、とても大名の奥方が務まる風ではなかったという。
これだけ条件がよくない養子話、普通に考えたら断りそうなものですが、これを自分の天命として受け入れた松三郎は上杉家に入り、直松と改名。
十代将軍徳川家治から一字貰い、治憲と名乗って家督継承。
鷹山とは隠居後の号ですが、便宜上、ここでは鷹山で統一。


切った鮭を生姜、大蒜、醤油、味醂に漬けて2時間程冷蔵庫へ。

新品の金物から金気が抜けない時は「上杉弾正大弼」と書いた紙を貼れば金気が抜ける。そんな冗談が庶民の間に。庶民からも貧乏大名と嘲られていた。
先代の重定は本気で領地返上して上杉家解散を考えていた。
必ず上杉家を蘇らせると誓った鷹山はまだ十七歳。
まずは自分達、武士階級が範を示すべしと着物はすべて木綿にすべしと通達。自分の食事も一汁一菜、江戸での生活費も七分の一程に減額、50人いた奥女中を9人に減らす。(武士は減らさないのに?)
倹約だけではなく特産品開発。鯉の養殖、笹野一刀彫り、食用になるウコギを生垣にする等々。
新田開発のために鷹山自らが鍬を振るった。


取り出してからもしっかりと混ぜる。

刈った稲は干さねばならない。或る日、老婆が干した稲を取り入れようとしていると今にも夕立が来そうな天気。そこに通り掛かった二人の武士が取り入れを手伝ってくれた。
刈り入れの御礼には新米で搗いた餅を贈る慣例なので、餅を届けたいと申し出ると、門番に話をしておくから後日、城に来るようにと武士は返答。
城に出向いた老婆は手伝ってくれた武士が殿様、鷹山であることを知り、びっくり仰天。勤勉さを褒められた上に老婆は銀五枚を下賜されたという。
倹約一辺倒ではなく、遣うべき所にはお金を出した。
殿様自らが動いて農業奨励した例はそうそうあるものではない。
口で命じるだけではなく、自ら領民の親として範を示すべしと鷹山は行動で示していた。


黒摺り胡麻を塗す。

幸姫は先述の通り、障害がある人でしたが、鷹山は決して粗略には扱わず共に玩具や雛遊びに付き合い、天明二年(1782)に幸姫が30歳で死去するまで正室として仲睦まじく暮らした。鷹山との婚礼は明和六年(1769)だったので13年の結婚生活。
後継者を得るのも大名の務めということで側室を一人だけ迎えたものの、生まれた男子二人は夭折。
先代、重定が鷹山を養子とした後に設けた子、つまり義理の弟を跡継ぎとした。
そうして鷹山は35歳で隠居。早過ぎるようですが、こうすることで参勤交代の義務がなくなり、国元で財政再建に専念出来るということ。


片栗粉を塗す。

「為せば成る。為さねばならぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」
上杉鷹山の言葉として有名ですが、これは隠居する際に後継者の治広に伝えたもの。
この言葉の通り、家臣の反対や飢饉や長雨という試練が降りかかろうとも神に誓った上杉家再建を貫いた。
また、財政が奇跡的に上向いてくると、鷹山は閉鎖されていた藩校、興譲館を再開させて武士、農民に関わらず学問を学ばせた。先々のための投資。


油で揚げる。

文政五年(1822)睡眠中に逝去。自分で選んだとはいえ、大変な生涯を全う。やるべきこと、自分に課せられた使命をやり尽くしたということでしょう。
翌年には何と上杉家の借金は完済。100年掛かっても無理と言われたことを60年程でやってのけた。まさにこのために一生を捧げた。


暫くおいて油を切る。

第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディが1961年に就任した際、日本人記者が
「もっとも尊敬する日本人は誰ですか」と質問。
「上杉鷹山」とケネディは返答。
問うた日本人の方がそれ誰?という感じだったかもしれません。
上杉と言えば謙信と思いそうな所ですから。


上杉鷹山ギ

ザンギと言えば鶏のから揚げですが、鶏以外でもザンギと呼ぶこともあるようなので、濃い下味を付けた唐揚げをザンギとしてよいだろうということで、鮭をザンギにしてみました。
現在の私は肉食を避けているのが理由。
醤油と味醂の甘辛い味がしっかりと染み込んだ鮭からタンパク質と共に抗酸化作用があるアスタキサンチンを頂ける。疲労回復や美肌効果。ゴマにも抗酸化物質であるゴマグリナンやセサミンが豊富。正にアンチエイジング食。

山形県の白鷹山に二基の石碑が建立。
一基には
"Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country."
というケネディの演説の一節。
もう一基には
「為せば成る。為さねばならぬ何事も。成さぬは人の為さぬなりけり」という鷹山の言葉。
白鷹山は上杉鷹山の名前の元になった山。
正に領民のために、上杉家再建に一生を捧げた上杉鷹山を妄想しながら、上杉鷹山ギをご馳走様でした。

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