見出し画像

土手鍋島直茂

猫の祟りは恐ろしいという。家の近所をうろうろしている猫達を見ていると、ふとそんなことを思い出す。猫を殺すと七代祟るとか聞く。
犬のような単純さではなく、何か魔に通じる要素があるのかもしれない。
(考え過ぎ?)
江戸時代には、鍋島の化け猫騒動という芝居になった話もあり。
土手鍋を作りながら、ふとそんなことを妄想した記録。


材料

牡蛎 大粒が10から12程?
白菜 1/4
人参 1本
青梗菜 2本
青葱 1本
油揚げ 1枚
片栗粉 大匙 1
塩 適量
出汁昆布 5センチ
八丁味噌と九州麦味噌 比率として1:2
味醂 大匙 2
酒  大匙 2

佐賀の鍋島家の化け猫騒動自体はフィクションですが、それが生まれた背景には、かっての主君だった龍造寺氏との関係があります。
戦国時代、龍造寺隆信という人物。肥前の熊との異名を取っていました。つまりは熊のように獰猛な人物ということ。強さはあるものの、情け容赦ない。
それを予見或いは危惧していたのか、母親の慶誾尼はその補佐役とすべく鍋島信安という人物に目を付けました。これが後の佐賀藩祖、鍋島直茂。彼は数回改名していますが、便宜上、ここでは以後、最後に名乗った直茂で統一。

牡蛎を塩と片栗粉で洗う。結構、汚れています。

直茂の父、妻に先立たれて独り身。慶誾尼も夫が亡くなり、未亡人。そこで押しかけ女房よろしく輿入れ。これによって隆信と直茂は義兄弟に。
残忍な所はあっても果断な隆信。それを補佐する直茂は知恵も勇気もあるが、覇気が足りないと後に秀吉に評される人物。彼等は龍造寺家を九州の三強大名の一つにまで押し上げました。
他の二つは豊後の大友家、薩摩の島津家。共に鎌倉時代から続く守護大名であり、共に源頼朝の庶子を先祖に持つという伝承がある名門。
国人領主から成り上がった出来星大名の龍造寺家をそこまで大きくしたものの、その最盛期は隆信一代。


昆布を煮て出汁を取る。

隆信がメインではないので、詳しくは書きませんが、自分が不遇な時代に世話になった人物も邪魔になると判断したら容赦なく殺す。酒食に溺れるようになってくると、諫言を繰り返す直茂を遠ざける。そうしたことが続きました。
島津、有馬の連合軍と戦った沖田畷の戦いで、龍造寺隆信は討ち死に。首を取られてしまいます。晩年の隆信はかなり肥満して馬に乗れず、六人担ぎの輿に乗っていたというので、素早く逃げることが出来なかった?或いは残忍な行いのために家臣の信望も失っていたので、本気で守ろうという家臣が少なかった?


味醂と酒を土鍋に入れて沸騰。アルコールを飛ばす。

隆信の跡は政家が龍造寺家を継いだものの、どうやら凡庸な人物だったのか、これといった逸話が残されていません。必然的に有能な直茂が龍造寺家中を牽引。
表面上は島津に恭順しつつも、中央で勢力を伸ばしている秀吉と通じ、秀吉が九州征伐に乗り込んでくると、いち早く馳せ参じて本領安堵。
唐入り、つまり文禄、慶長の役にも政家ではなく直茂が龍造寺勢を率いて渡海。秀吉の死後、関ケ原では直茂の子、勝茂が西軍に属しつつも兵糧米を徳川勢に回し、関ケ原の本戦には参戦せず。九州の西軍方を直茂が攻撃と活躍しているのは鍋島直茂ばかり。主君である龍造寺政家は何をしていた?

味噌を土鍋投入。味醂と酒に溶かしていく。

政家の跡は高房が龍造寺家を継ぎましたが、もはやここまでくると誰が佐賀の頭かは誰の目にも明らか。
それを嘆いたか不満に思ったか、高房は妻を殺して自害を計り、政家も急死。
高房は助かったものの、その行動に対して直茂は世に「おうらみ状」と言われる書状を送りました。それによると、自分が如何に佐賀のために尽くしてきたか、龍造寺家を決して粗略にはしてこなかった等々の文言。それなのに当てつけがましく自害騒動を起こされるとはどういう了見なのかと、非難しているのか、自身を正当化しているのか?
化け猫騒動とは、こうした出来事を下敷きにしたフィクション。


溶けて、香ばしく焼けた味噌を壁面に寄せていく。土手のように。これこそ土手鍋

化け猫騒動では、囲碁の対局で揉めた龍造寺又七郎を鍋島光茂が斬殺。又七郎の母も自害。その血を舐めた猫が化け物と化し、祟りを為したとなっています。


野菜が土手の内側に納まりきれず。

青梗菜の葉の部分、短冊に切った油揚げ、牡蛎以外の具を入れて、昆布出汁を加えていき、蓋をして煮る。

メイン具材の牡蛎、葉、油揚げを煮えたぎる鍋へと投入。

天下を取るには覇気が足りないと秀吉に評された鍋島直茂ですが、佐賀の主になるという覇気位はあった?或いは人望や能力がある者が上に立たないと組織は潰れるということがあったのかもしれません。
平和な時代ならば、凡庸な主君でよかったかもしれませんが、戦国時代から江戸時代初期と言えば、激動の時代。一歩でも舵取りを誤れば、龍造寺家どころか家臣団もろとも命や財産の危機に見舞われる。直茂は必死にそれを守っている内に周囲からも頭として立てられていったとも思える。幕府も鍋島家を佐賀の領主として認めました。


煮上がった。

無血の下剋上とも言われる佐賀の領主交代劇ですが、やはり直茂にも後ろめたい気持ちがあったのか、自身は佐賀藩主とはならず、あくまでも藩祖という扱いで、彼の子、勝茂が初代佐賀藩主となりました。

土手鍋島直茂

亜鉛やタウリンという強壮成分をたっぷり含む牡蛎を濃厚味噌味で頂く贅沢さ。青梗菜はベータカロチン、ビタミンC,鉄分等も含んでいる。

元和四年(1618)に81歳という長寿を全うした鍋島直茂でしたが、その最後は耳に腫瘍が出来、苦しんで死んだという。それも化け猫騒動のモチーフにされたといいます。やはり気が咎める所もあり、それが病に繋がった?病は気からですから。
能力や人望がある人物は周囲から盛り立てられても、それなりに苦悩も背負わなければならない。そんなことを思いながら、土手鍋島直茂をご馳走様でした。

この記事が参加している募集

今日のおうちごはん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?