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バター醤油ホタルイ河井継之助

新潟県の県庁所在地は新潟市。しかし、ここはかなり北に偏っている。大体の県庁所在地は交通至便な所とか、江戸時代の中心的な藩庁所在地だったことが多い。その意味では長岡の方が県庁所在地に相応しい。何故、そうなったのかと考えると、ある男の存在に行き着く。そんなことを妄想しながら、春の旬食材、ホタルイカを料理した記録。


材料

ホタルイカ 1パック(100グラム程か?)
新玉葱   1個
バター   30グラム
醤油    大匙3
黒胡椒   多め

ホタルイカは富山等、北陸の名産で春が旬。
それをこれまた今が旬の新玉葱と合わせ、私が信じる黄金の組み合わせ、バター醤油で炒める。

文政十年(1827)に生まれた河井継之助。生家は中流の藩士。
子供の頃から人の言うことを聞かない性格で合理主義者。
武士にとっての必須とも言える剣術もいざという時に役立てばよいという考えから流派などへのこだわりもなし。その代わり読書には熱心で、気に入った本は何度も読み返す。
更に彼が仕える牧野家の家老は無能で、自分こそが家老に相応しいと大言壮語していた。


新玉葱を細切り。

ただ、言うだけのことはあり、読書好きなせいもあり、かなり優秀な継之助は江戸や長崎への遊学を認められる。佐久間象山の塾などにも通いましたが、彼自身が熱望して向かったのは備中松山にある閑谷学校。そこで教えている山田方谷に師事。
知行合一を旨とする陽明学者の山田方谷は、藩政改革を成功させた人物。


バター20グラムで新玉葱を炒める。

そうした学問を身に付けた継之助、念願かなって家老に就任。
藩政改革に着手するのですが、周囲が驚き、呆れさせることを行う。
継之助は長岡藩内での遊郭、賭博を禁止。
士風刷新と倹約のためですが、実は継之助自身が遊郭好きで知られていました。そのため巷ではそれを揶揄する小唄が流行。
「かわい、かわいと思っていたが、もはや愛想もつきのすけ」
この歌詞から、彼の名前は「つぎのすけ」と読むことがわかります。
ただ禁止したのではなく、遊女には親元への旅費や一時金を渡して、正業に就けるように支援。
また、継之助が遊郭に通っていたのは単に色欲からではなく、其処に来る人々と交流するためでした。
遊女屋は禁止したものの、芸者は禁じておらず、酒と女が絡むことはすべて駄目ということではなし。
また私娼、つまり遊郭以外で売春していた者達は厳しく取り締まった。
賭博についても素性を隠して、賭場に出入りして身持ちを崩す者が多い実態を見て、領内での禁止に踏み切ったということです。


新玉葱に火が通ったら、ホタルイカ投入。

継之助が活躍していたのは幕末。諸国の大名は幕府に付くか、薩長中心の新政府側に付くかと右顧左眄。そんな中、継之助はどちらにも付かない中立を選択。
スイスという永世中立国のことを聞き知っていました。長岡が取るべき道はそれだと継之助は思いつく。
武装中立。
安保闘争とか1970年代の頃、左巻きの人々がよく非武装中立と言っていましたが絵空事に過ぎない。スイスをよく引き合いに出していましたが、スイスは武装中立。国民皆兵で自前の軍隊を持つことで中立を保っている。
継之助は武装中立のために当時、日本に三門しかなかったガトリング砲を二門購入。


醤油と残りのバターを投入。

北陸にも新政府軍が迫る。継之助は新政府軍の岩村精一郎と交渉。
長岡は中立。新政府軍の領内通行は認めず。その代わり会津を説得すると主張。しかし、それは容れられず。
降伏するか戦うかの二択しか与えられず。中立など認めないという態度。
止む無く戦うことに。
戦うと決まると、継之助は先頭に立ち、ガトリング砲を駆使して新政府軍を苦しめる。


いい感じに水分も飛んで来たら黒胡椒をたっぷり。

敵は外からだけではなく、内側からも出てきました。
働き手を兵に取られ、兵糧米を徴発された農民が一揆。
内からも外からも攻められる。
妄想するに、これは新政府軍が農民を扇動したのではないか?
やがて継之助は左足を負傷。それが原因で破傷風を発症。
41歳を一期として亡くなる。
死後、すぐに火葬。新政府軍に墓を暴かれ、遺体が辱められるのを防ぐため。幸い新政府軍はそんなことはしませんでした。
しかし、継之助の墓石は何度建てても、地元の住民によって倒されました。


バター醤油ホタルイ河井継之助

春の旬食材、ホタルイカと新玉葱を炒め合わせた逸品。
炒めた新玉葱の甘さが際立つ。バター醤油の黄金味が沁み込んだホタルイカのプニプニ食感も味もよし。合わせて食べると甘辛さ最高。黒胡椒のピリ辛感が味を引き締める。
人によってはホタルイカの目は取り除いた方が食感がよくなると言いますが、面倒くさい。それに目があってもそれはそれで食感のアクセントになるかなと思います。

河井継之助は今でも評価が大きく分かれる人物。
武士の意地を見せた本物のラストサムライと呼ぶ人もいる一方で、長岡を荒廃させた張本人と恨みの声を上げる地元の人がいるのも事実。
長岡は県庁所在地にはなれず、長岡城は徹底的に破却。まったく痕跡もありません。すべて継之助憎しから?
新政府からも地元からも憎まれた?
河井継之助自身は人からどう評価されるかよりも自分が信じるもののために行動したと妄想しながら、バター醬油ホタルイ河井継之助をご馳走様でした。

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