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山田長政けレタス炒飯

昨日の続きです。作った鮭ほぐ柴田勝家を使った料理。↓

鮭を使った炒飯も以前、作っていますが、今回はそのままではなくアレンジとしてレタスを追加して食物繊維増量炒飯。参考までに以前、作った鮭を使った炒飯はこちらをご覧下さい。↓

前半は鮭ほぐしが被っていますね。長くやっていると似た料理も出てくる。まあ、そんなことより今回のバージョンはレタスを追加。

鮭、さで終わる人名ということで長政。この名前が付く有名人、戦国から江戸初期にかけて結構います。そんな中でも浅野や黒田に比べると、イマイチな知名度の山田長政を妄想しながら、料理した記録。

材料

鮭ほぐ柴田勝家  大匙2
レタス      半玉
玉葱       半分
卵        2個
大蒜       2欠け
ご飯       1・5合
醤油       大匙1
塩        小匙半分
胡椒       適量

日本とタイの交流を語る際には必ずと言っていい程に名前が出てくる山田長政ですが、伝説に包まれた風があり、終戦前までは海外雄飛のシンボルのようにも持ち上げられたこともあったようです。

天正十八年(1590)に駿河の紺屋の次男として生まれた仁左衛門が後の山田長政。
次男なので稼業を継ぐ必要もなかった仁左衛門は一角の武士になりたいという望みを抱いていました。しかし残念ながら彼が生まれた年は秀吉による小田原征伐が終わり、もはや戦国は終わる頃。遅れてきた青年というべきか。


大蒜と玉葱を微塵切り。

それでも武士になる望みを捨てきれず、駿河の臨済寺で兵学を学んだと言われます。しかしこの寺は徳川家康が駿府で過ごしていた頃に学問を学んだと言われる徳川家ゆかりの寺。そんな所に商家の次男坊が出入りするのは不自然ということから、この話を否定する人も多い。
しかしと考える。
門前の小僧、習わぬ経を読むという言葉があります。これと同じように、もしかしたら長政も門前で漏れ聞こえてくる講義の内容を聞いていた?或いは学問を学んでいた者が捨てた紙屑を拾って、書かれている内容を見ていた?


玉葱と大蒜を炒める。香が立つまで。

長政が10歳になる頃は関ケ原。こうなるとますます戦乱は遠のく。それでも武士になりたいという願いが叶って、沼津城主、大久保忠佐に仕官。しかし与えられた役目は六尺。
これはどういう仕事かというと、尺とは昔の単位で1尺は約3センチ。つまり六尺は180センチ。当時の日本人の平均身長は150センチ位。180センチという身長の並外れた大男しか務まらない仕事として、駕籠かきのことをそう呼んでいました。
戦がなければ、身に付けた兵学を生かすこともない。立派な体格をしていても宝の持ち腐れ。


大蒜と玉葱を取り出して、卵を炒める。

当時の駿河は実は政治や経済の中心地。秀忠に将軍を譲った家康は駿府城に。そこから大御所として幕政をコントロール。
特に力を入れていたのは、朱印船貿易。これは幕府のお墨付きと言うべき公認の船を用いた貿易。朱印船はタイやベトナム、フィリピンへと。日本の工芸品や刀剣を輸出し、香料や硝石を輸入。
実家が商人だった長政、これを耳にしたのでしょう。このままうだつが上がらない六尺を続けるよりもと、海外雄飛を夢見て朱印船に飛び乗る。


ご飯を投入。卵と混ぜていく。

着いた先はシャム(タイ)。当時のシャムは隣国、ビルマと戦争。
彼の地に行った日本人は商人ばかりではなく、武士も多かった。関ケ原以降、牢人となった者達がシャムに渡り、傭兵に。
シャムの敵はビルマだけではなく、貿易の利権を巡ってスペインやポルトガルとも戦う。
アユタヤの日本人町に落ちついた長政ですが、スペインとの戦で手柄。これにて国王ソンタムの信頼を得る。
身に付けた兵学がようやく役に立つ時。そればかりではなく、商家の出なので商取引にも通じていて財産も築く。戦に強く、富も齎してくれる存在として益々、王の覚えが目出度くなり、貴族に。更には王女と結婚したとも言われます。


大蒜と玉葱、鮭ほぐ柴田勝家を投入。

日本ではなくシャムで一角の武士になるという夢を叶えた山田長政でしたが、更に思わぬ所から人生の変転。
発端は王位継承問題。
シーウォラウォンという王の側近が長政に相談。
ソンタム王の跡目は息子に継がせるべきかと。日本では息子が跡目を継ぐのが常識ということを長政は答える。
実はシャムでは弟に相続権があるという習慣。それを知らなかったのか、或いはソンタム王の子に王になって欲しいという個人の願望があったのか。
信頼している長政の勧めということもあり、ソンタム王は息子に王位を継がせる遺言を残して死亡。
するとシーウォラウォンは王の弟を始め、他の王位継承候補者の粛清を始める。実はシーウォラウォンも王家の血を引いていて、いずれは自分が王になりたいという野望。長政は利用されたということ。

レタスを千切って入れていく。塩胡椒、醤油で味を調えて。

シーウォラウォンの野望は止まらない。次は邪魔になる長政をリゴールの長官として派遣。アユタヤから遠ざけて、更にビルマとの戦線に少ない兵力で向かわせて体よく殺してしまえとの思惑。
ところが、長政率いる日本人傭兵は強く、負け知らず。リゴールで民衆に推される形で長政は王に。何と日本の駕籠かきが外国で王になるという信じられない大出世。
このままアユタヤに向かい、新たな王まで殺して、王位まっしぐらのシーウォラウォンを狙い撃ち?
と思っていたら、あっけなく長政は死亡。戦で受けた矢傷に塗る薬に毒を盛られたと言います。


山田長政けレタス炒飯

加熱したレタスは嵩が減り、ご飯にしっかりと馴染む。食物繊維たっぷりでご飯も少な目でもしっかりと満腹。ダイエット食にもお勧め。
玉葱で血液サラサラ効果。

長政の死後、王となったシーウォラウォンは報復を恐れて日本人町を焼き討ち。それを生き延びた日本人達もいましたが、当時、既に幕府は海外に出た日本人の帰国を禁止。所謂鎖国の時代へ。日本に帰ることも出来ず、タイ人と同化していったといいます。

世の中は駕籠に乗る人、担ぐ人、その草鞋を作る人から成っている。私の父がよくそんなことを言っていました。それを聞いた私はそれならば、その外でそれを眺める人になってやると思ったものでした。
作家ならば、その動きを眺めて描写出来ると考えた時期もありましたが、どうやら菲才の私には無理なことでした。
この言葉、田中角栄が言っていたとも聞きます。

駕籠を担ぐ人から乗る人に転身した山田長政を妄想しながら、山田長政けレタス炒飯をご馳走様でした。

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