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大友宗麟ごジャム

林檎、甘味も酸味もある複雑な果実。これを使って、複雑な人生を辿った人物を妄想しながら料理することにしよう。


材料

林檎        2個
レモン果汁     大匙半分
シナモンスティック 1本
蜂蜜        100グラム

現代の大分市は戦国時代、府内と呼ばれていましたが、九州きっての都市。府内を外国にまで知られる大都市にして、一時は九州内で六か国を支配という全盛期と、本国すら危うくなるという衰退期を一代で経験した人物が大友宗麟。世間的にはキリシタン大名として知られていますが、宗麟というのは法号。禅宗の僧侶でもあった。ここからして複雑。


皮を剥き、芯を除いた林檎を細かく切る。1センチ四方を目安に。

大友家は源頼朝の庶子を先祖に持つという伝承があり、鎌倉時代から続いた豊後の守護大名。二十代当主、大友義鑑の嫡男として誕生した塩法師丸、元服後は義鎮と名乗ります。
素行があまりよくなかったようで、義鑑は弟の塩市丸を跡継ぎにしようかとも考慮。塩市丸の母である側室がお気に入りだったことも理由。
天文十九年(1550)二月、二階建てだった大友館に義鎮派の家臣達が侵入、義鑑や塩市丸母子を襲撃。大友二階崩れという事件。塩市丸と母は死亡。義鑑は重傷。
この時、義鎮は別府で湯治。一報を受けて府内に帰還。
義鑑は二日後に死去。遺言で義鎮が家督相続。主殺しをした家臣達は粛清。
くさいな。
別府にいたのは、義鑑が義鎮を遠ざかるために行かせたということになっていますが、もしかしたらアリバイ作りとして自発的に?
結果的に義鎮を当主に押し上げた家臣達は口封じ?


刻んだ林檎を圧力鍋に。

この義鎮こそ後の宗麟。複雑になるので、以後は宗麟で統一。永禄五年(1562)には出家して休庵宗麟となっていました。
大友宗麟、自身が先頭に立って戦陣に赴くというタイプではなく、優秀な家臣達を後方から操って勢力拡大していった、どちらかというと謀略や政治を得意とした印象。
たとえば、海を挟んだ長門、周防の守護大名、大内家が謀反により絶えそうになると弟の晴英を送り込み、跡継ぎに。晴英の母が大内義隆の姉だったことからの処置。謀反を起こした陶晴賢の要請でもありました。
これにより宗麟は長門や周防にも影響力を行使。しかし弟が毛利元就に攻められると見捨てる非情さも。
対外的にはキリシタン保護と貿易を奨励。カンボジアに使者を送って善隣輪外交まで展開。


蜂蜜とシナモン、レモン果汁を投入。蓋をして加圧。

来日したフランシスコ・ザビエルにも謁見。キリスト教に関心や感銘を受けたのか後年、キリシタンに。洗礼名はドン・フランシスコ。ザビエルのことが記憶にあった?
九州のキリシタン大名達が少年達をローマ法王に謁見させるべく送り出した天正遣欧使節にも関与したと言われる宗麟。キリスト教への傾倒ぶりも大きくなっていき、それにつれて家中には不協和音。


強火加圧。蒸気が上がったら、弱火で2分、更に煮る。シナモンの香漂う。

それというのも、宗麟の夫人は奈多八幡宮の宮司の娘。八百万の神を信じる神道と唯一の神しか認めないキリスト教では相容れず。
ついには宗麟は一方的に離婚を通達。妻の侍女を新たな妻にして、府内を後に臼杵の丹生島城へ。


加圧終了。

天正六年(1578)薩摩の島津義久が日向侵攻を始め、それを迎え撃つために大友家は出兵。宗麟も出陣しましたが、その進軍の道々、大友勢は寺社を壊して回る。宗麟は日向にキリシタンの王国を作ろうと考えたようです。日向北部の無鹿にて宗麟は進軍を止めてしまい、教会の建設。
戦の最前線はまだ南だというのに。
宗麟を置いたままで6万と言われる大友軍は南下。耳川で島津軍4万3千と激突。
総大将不在では士気も上がらず、島津の釣り野伏せと呼ばれる戦法にかかり、大友軍は敗北。2万の死者が出たとか。こうなってしまってはキリシタン王国どころではなく、宗麟も命からがら逃げ帰る。
これが落日の始まり。


シナモンを潰さないように、マッシャーで林檎を潰しつつ、7分程、弱火で加熱して水分を飛ばしていく。

大友家の勢いがなくなってくると、それまで従っていた九州の大名達も島津へ寝返り。
ついに独力では島津に対抗出来ないと悟り、宗麟は大坂へ。天下統一を目指す秀吉に謁見。その配下となり、援助を取り付けました。
そんな間にも豊後本国に島津が迫る。この時、宗麟は家督を息子の義統に譲っていましたが、何と息子は本国を捨てて豊前に退去。宗麟は丹生島城に籠城。国崩しと呼ばれた大砲を用いて、何とか撃退。
他の拠点を守っている家臣達との連携も断たれて、もはや滅亡寸前。


シナモンスティックを取り除き、完成。

そこへ秀吉が大軍を率いて来援。一時は九州統一も間近と見られた島津はたまらず南へ撤退を始める。島津家が秀吉に降伏するのを待たず、宗麟は死去。生前、秀吉から豊後と日向の二国を与えると言われていましたが、宗麟が日向は固辞したと伝えられます。
もはや統治とか政治に情熱を失っていたのでしょう。


粗熱が取れたら、敏に詰める。
大友宗麟ごジャム。

林檎一つで医者要らずと言われます。
林檎は食物繊維豊富、ビタミンCや血圧上昇を防ぐカリウム、貧血予防に効果あるリンゴ酸、ポリフェノールも含まれています。
シナモンの香が素晴らしい。香だけではなく、抗酸化作用あるポリフェノール。血糖値を下げる効果もあるので、甘いジャムに混ぜるのは正解。
勿論、味も申し分なし。砂糖ではなく蜂蜜、それも量は少な目なので林檎の自然な甘みを堪能。


トーストに縫って頂く。

晩年の宗麟の行動を見ると、理想を追うあまりに足元が見えなくなっていたのではないかと思えてしまいます。
キリシタン王国という理想を追い、領主にとって不可欠な戦や自衛ということを疎かにしてしまった?
これって現代にも通じる気がします。憲法九条の戦争放棄や平和という理念ばかりに捉われて、目の前に迫っている侵略の危機に向き合おうとしていない。そんな九条信者の姿とダブってしまいます。
複雑な人生を辿った大友宗麟の人生を思いながら、大友宗麟ごジャムをご馳走様でした。

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