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水菜十郎左右衛門サラダ

既存の権威や常識を疑い、思いのままに振る舞う、意志と強さを兼ね備えた反骨の人々を形容する呼び名が日本には、形を変えながら存在。
南北朝時代の婆娑羅、戦国時代の傾奇者、江戸時代の旗本奴と町奴、昭和後期では不良とかツッパリ。
そうした人々の源流は、高天原の規律や秩序を乱して追放された須佐之男命なのかと思います。
そうした人々の中でも、今回は旗本奴の代表的な人物、水野十郎左衛門を妄想しながら料理。


材料

水菜     2株
ジャガイモ小 4個
玉葱     1/4
人参     1/3
塩      小匙1
マヨネーズ  適量
柚子胡椒   小匙1

水野十郎左衛門成之は寛永七年(1630)生誕。
水野家は徳川家康の生母、お大の方の実家。
祖父の水野勝成は戦国の傾奇者として知られた備後福山藩主。父の成貞は三男なので本家は継がず、旗本として分家。小姓として徳川家光に仕えたのですが、この人こそ元祖旗本奴と言うべき人。
つまり親子三代に渡って反骨心ある家柄。現代に例えると、親子で暴走族のリーダー?蛙の子は蛙と言うべきか。


ジャガイモを茹でて柔らかくする。

傾奇者の系譜を継いだ旗本奴とは、主に旗本の次男や三男。奇抜な髪型や服装で徒党を組んで町を練り歩き、乱暴狼藉。正に暴走族とか半グレ?
しかし、十郎左衛門は長男で水野家当主。それが反社会的なことを自ら行っていたということに。
また、十郎左衛門の仲間には加賀爪甲斐守というれっきとした大名まで。
自分達のグループを大小神祇組と称して、家臣四人を源頼光四天王に見立てて、綱、金時、定光、季武と名乗らせたとか。


玉葱薄切り、人参短冊切りにしてしんなりするまで炒める。

男伊達を競っていた旗本奴ですが、それに対抗する勢力が町奴。
こちらは町人の中で乱暴者が集まって、同様に異装で町を闊歩。
1980年代位でも、不良同士が行き会うと目が合った、肩がぶつかったで喧嘩が始まりましたが、それと同じ現象が江戸でも起こっていました。
旗本奴にしてみれば、町人の分際で目障り。町奴からすれば、武士の身分を笠に着やがってとなる。喧嘩沙汰が絶えず。


水菜を適当な長さに切り、水に晒す。

町奴の有力者が幡随院長兵衛。
口入れ屋、現代風に言うならパソ、いや人材派遣業を営んでいました。
若い者達の喧嘩の手打ちをしようと十郎左衛門に誘われ、水野家に赴くことに。周囲の者達は罠かもしれないと引き止め。本人も薄々、罠かもしれないと思いながらも、
「怖がって逃げたとあっては名折れになる。人は一代、名は末代」と言いおいて出向く。
酒宴の後、風呂を勧められて、湯殿で殺害されました。


茹でた芋の皮を剥き、マッシャーで潰す。

殺害した十郎左衛門にはお咎めなし。
斬り捨て御免の特権と思われるかもしれませんが、無礼打ちにも一定のルール。明らかに町人側に無礼があったと認められる場合にのみ斬り捨て御免が認められました。
湯殿という密室なので、何があったのかは藪の中?幡随院長兵衛に無礼があったかどうかも検証出来ず。
喧嘩両成敗というのも武家同士で適用されることなので、相手が町人ではそれも適用されず。しかも旗本の名家が当事者であることからの忖度?


ジャガイモに人参、玉葱、ツナを混ぜる。

しかし、水野十郎左衛門もこのままでは済みませんでした。事件から7年後の寛文四年(1664)に不行跡を咎められて、母親の実家、蜂須賀家にお預け。翌日に評定所に召喚された時、月代も剃らず、着流し姿という伊達な恰好で現れたことが不敬に当たるとされ、即日切腹を命じられました。
こちらも長兵衛のように殺されるとわかっていても、そうした伊達な姿で赴いた?
切腹の際にも、旗本奴の意地を見せました。
通常の作法には従わず、まずは刀を膝に突き刺して、切れ味を試してから腹を切ったという話。


水菜、マヨネーズ、柚子胡椒投入。混ぜ合わせる。

まだ2歳の嫡子も処刑され、旗本の水野家は断絶。
旗本奴と町奴の対立はずっと続いていました。特に町奴は長兵衛の敵討ちを狙っていましたが、十郎左衛門切腹の知らせにより、対立も薄れていきました。
弟の忠丘が元禄元年(1688)に許されて、元禄十四年(1701)に旗本に復帰したことで水野家は家名再興。


水菜十郎左衛門サラダ

たっぷりな水菜が目に鮮やか。ポテトサラダからぴんぴんとはみ出す水菜で、はみ出し者を表現。人参の赤は血の色。
C、A、B2、Eの各種ビタミン、カルシウムやカリウムと栄養満点な水菜は油と一緒に食べるとより栄養の吸収がよくなるとか、人参と玉葱は油で炒めているので、条件に当てはまる。
隠し味の柚子胡椒が味を引き締める。いくらでも食べられそうなサラダ。

生き過ぎたり、二十有四年。そんな言葉を遺した旗本奴もいたとか。
既存の権威や権力への反骨心、今を生きる日本人でそういう心を持っている人がいるだろうかと思うことがあります。皆、横並びで言われた通りにしていた方が無難だという人ばかりではないか?
勘違いして欲しくないのですが、私は傾奇者や奴と呼ばれた人々をすべて肯定している訳ではありません。乱暴なことは嫌いだし、迷惑を蒙った人も多いだろうと思います。
明らかに損するかもしれない、それどころか命を落としかねない、客観的には意味がないツッパリ。でも、私はそういう人、嫌いではありません。
常識とか権威を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考え、思いのままに行動する。そうした姿勢は少しは学ぶべきことかもしれません。
そんなことを思いながら、水菜十郎左衛門サラダをご馳走様でした。

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