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【エッセイ】言霊のチカラ

昨夜は今年初めての満月「ウルフムーン」だった。

寒波は通り過ぎようとしていたけれど空にはまだまだ厚い雲…

が、しかーーしっ!

いつも心の中で言うんです

「絶対見える!」って。

灰色に覆われた空を見上げると雲の合間から月がちらりと顔を覗かせました!

「っしゃ―🔥ラッキー🍀」

心の中でガッツポーズ👊

割と高い確率で満月を見られる自分に

「私ゃモーセかっ👋」

そんなしょーもないツッコミを自分に入れました!笑

ま、モーセの割ったのは雲じゃなく海だけどね😅

※ちなみにモーセとは?

ヘブライ聖書に描かれるユダヤの指導者で預言者。
エジプト人に奴隷として扱われていたヘブライ人を脱出へと導く途中、モーセ一行は王の軍に追い詰められる。 紅海に逃げ道を封じられ絶体絶命という中、モーセが自身の杖(つえ)を振り上げると海が真っ二つに! 一行は割れた海を渡って無事に逃げ切り、追いかける軍は海の底に沈んだ……。


言葉の力

当たり前の話だけど、私達は誰しも”言葉”を持たずに生まれて来る。

全く何もないゼロの状態からたくさんの”言葉”を浴びて大人になって行く。

言葉は生きてく上で無くてはならない大事なツール。

成長する過程でどんな言葉をどれだけ浴びて大人になったのか。

その言葉が人格の大部分を形成するといっても過言じゃないと私は思うんです。

どのように言葉を使い、どんな言葉を人に対して発してきたのか。

それによって自分が身を置く環境ってのは大きく変わるよなって思うんです。

「類は友を呼ぶ」

ホントそれだよなって。

若い頃には考えたことも無かったけど。

それに気付けたのは「親」になった時かな。

我が子を胸に抱いた時、世の中にある美しい言葉を全部かけてあげたい、心からそう思ったんだよね。

言葉は時に人生すら変えてしまうほどの「チカラ」がある、私はそう思っている。

言葉選び

私はバリバリの昭和生まれ。(バリバリてw)

例えば小学生の頃、好きな人に告白する手段に「手紙」があった。

選び抜いた可愛い便箋に、言葉を一つ一つ選びながら書いていく。
何度も何度も書き直すほど、文字に込める想いは並々ならぬものがあった笑

その他、好きな人とのやり取りの手段として「交換日記」、離れている人とは「文通」なんてものもあった。

交換日記。

今日何をしたとか、何を食べたとか、友達とこんなことがあったとか、時にはイラストも入れたり🤭

そんな他愛もないやりとりに思える交換日記ですら「言葉」を選んで文字にして書いてたんだよね。

交換日記の相手は文字通り 交換できるくらい距離の近い人。

もしかしたら会って話せば済んでしまうようなことかもしれない。

それでも、たった一行や二行、必死に言葉を選んで書いた。

そして文通。

遠く離れている人との大事なコミュニケーションに「文通」があった。

本当は声を聞きたい。
でも当時、電話で話すには市内でも3分10円、市外だと確か3分100円だったかな。

今じゃ0円で通話し放題、ビデオ通話で顔を見ながら話せるなんて、ドラえもんの道具でもそんなのなかったよね、昔は。(あったなか?🤔笑)

声が聞けるってやっぱ全然違う。
だから本当は電話で話したいけど、それにはとんでもなくお金がかかることだった。

交換日記はもちろんやってたこともある。

中学時代、転校した私は当時付き合ってた彼と「文通」や「長距離電話」の経験がある。

夜中親の目を盗んで遠くの彼に何度か電話したことがある。

ほんの少しでもいい、声が聞きたくて。

しかし、ほんの少しといかず💦10分…30分…1時間😱
そんなことを度々繰り返して1ヶ月の通話料金が数万円になってしまった事があった。

もちろんそのせいで親にボッコボコにされたことがある(ボッコボコて😂)

現在。

スマホの🟩アイコンをタップ、ほんの一言「元気?」だけで繋がれる。
すぐに返信があったり 既読がついたり。

それって冷静に考えたらすごいことだし、昔の不便さからしたら考えられないよね。
文通してた時代なんて若い人からしたら縄文時代か👋くらいの感覚なのかもしれない(縄文時代は大袈裟w)

今じゃ考えられない“文通“だけど、好きなことを好きなだけ何枚でも好きなように、想いを伝えることができた文通、私は嫌いじゃないな😌

相手の顔を想い浮かべながら語りかけるように言葉を選んで書く。

何度も何度も書き直ししながら。
文章が上手いとか下手なんてそんなの関係ない。

今思うと、なんて素敵なことだったんだろうって思う。

人にもらった手紙ってだからこそ捨てられないんだろうね。
書いた人の思いがいっぱい詰まったものだから。

言霊のチカラ

書くことを仕事のひとつとしている私が一番大切にしていること。

なんでも「短い」のが当たり前の時代。

SNSでは30秒以内のショート動画が主流だし、それは文章ですらもそう。

端的に言葉を選んで直感的にユーザーへ伝えるという意味では、広告のキャッチコピーなんかがまさにそれ。
深く刺さるというより広く浅くひっかかればいいって言うのかな。

それには「短さ」ってのは効果的。

今やその「短さ」はSNSや広告だけでなく、普段よくやり取りするLINEやチャットも例外ではない。

短い言葉のキャッチボール。

その短い言葉にどれほどの想いが込められるんだろうと私は思う。

先日ある番組でZ世代、なかでも20代までの若者は私たちの世代が日常よく使う「句読点」を「怖い」「冷たく感じる」「事務的」と受け取るのだと言ってた。

それ見てなんだか妙に納得。

そりゃそうだよね。

ただでさえ短い文章に「。」や「、」付いていたら。

「おつかれさま。」
「お疲れさま!」
「おつかれさま~」
「お疲れさま🥰」

と全く違う印象になる。

これ、自分も含めて何となく使いわけしている気がするけど、文字のやり取りって言葉や句読点、絵文字の選び方ひとつでがらりと印象が変わってしまう。

ましてや目の前に居ない相手が 今どんな状況で、どんな精神状態で読んでいるかも分からない。

だからこそ「句読点」にまで意味を見出して一喜一憂してしまうんだよね。

おまけに リアルタイムで「既読」が分かるって💦(メールにもそういうのありますが)

そんな便利な今の時代になっても尚、変わらないこと。

自分から出た「言葉」は発した瞬間から一人歩きを始めると思うんだよね。

その言葉はもしかすると、よく考えて発した言葉ではなかったかもしれない。

でもその言葉は一人歩きし、受け取った相手がその人なりの受け取り方でその言葉にその人なりの意味を持つ。

だからこそ、言葉選びは慎重でなくてはいけないなって。

そのいい例が「SNS」。
特に「X」なんかはそうだよね。

軽い気持ちで発した言葉が意図せず人を傷つけ、時には「死」にだって追いやることだってある。

「言葉の暴力」

言葉にはそれだけの「チカラ」がある。

それはまさしく「言霊」なのかなって。

言霊とは?
古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。

引用:コトバンク

最後に

今や絵や音声文章もAIが生成してくれる。
分からないことはSiriが教えてくれる。

なんて便利な世の中だろう。

新しいもの好きな私は ChatGPTが出て間もなく、ブログの参考資料や補足をAIの力を借りて記事を作ってました。

部分的に誤った情報も少しはあるけど、ほぼ完璧に質問に答えてくれて文章を生成してくれる。

で、使ってるうちに何だか自分のアイデンティティはどこにあるのだろうと思い始めたんだよね。

結局その「言葉」に想いはあるのか。

それは端々にでると思うんだよね。
それは長くても短くても。

行動してないのは やってないのと一緒

伝わってないのは、伝えてないのと一緒

こんなに世の中にはたくさんの言葉があり
伝えることはいくらだって出来るはずなのに。

それが出来ないのはなぜなんだろう。

言葉は「言霊」

綺麗で美しい言葉や肯定的な言葉はその人の人生を豊かにすると私は思う。

醜い言葉は人を醜くする。

それが「言霊」

言霊のチカラ。

だから「言葉」大事にしよう!

句読点があっても無くても、ちゃんと伝わる「言葉」を使おう。

言葉は「言霊」

きっと伝わるはずだから。

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