理不尽の極み
社会は時にものすごく理不尽を突き付けてくることがある。
それは仕事だったり、日常生活だったり、ふと立ち寄った場所でたまたま象ぐうしたり、子どもの時には感じたことがなかった「理不尽」にいろいろとぶち当たる。
大学生まではそんな理不尽に対して、ひとつひとつ腹を立てていたし、なんでわたしは悪くないのにこんな目に遭わないといけないんだろう、と起きていることそのものに囚われていた。
けれども、会社員になったぐらいから理不尽に対して耐性がついたのか、対応できるようになったのか、だんだんと理不尽なことに対して腹を立てることがなくなった。
実は今日も一つ理不尽に出会った。出会ったというか、わたしの身に降りかかったという方が正しいのかもしれない。
いわゆるしわ寄せがわたしに来るような出来事で、どんずまったしわを、気づいたらすべてわたしが手繰り寄せていて、そしてそれをきれいに伸ばすように求められていた。
寄ってしまったしわはわたしだけのせいではないのに、なぜすべてわたしの手できれいに伸ばさないといけないのかとは思ったものの、次の瞬間にはもう体が動いていたことに驚いた。
昔ならだらだらと文句を言って、誰かのせいにしていた時間を、すっぱりと切り替えて行動に移せるようになっていた。
昔、「何かトラブルが起きた時に、誰かのせいにするのではなく、自分の責任だと考えて行動する」ということを叩きこまれた時期があった。
きっとこのおかげだと思う。
誰かのせいにしても何も進まない。
それに失敗は誰かの失敗になって、まったく成長につながらないし、トラブルを自分事としてとらえることで、そのトラブルを乗り越えた時に自分の力になる。
だからといって失敗したときに自分を責めるわけではない。
最初はこのバランスがちょっと難しいのだけれども、慣れるとだんだんと失敗しても次からは自分がこうしよう、こういうことは直した方がいいな。と思えるようになってくる。
もちろん、理不尽には反抗したって、逃げたっていい。
もともとが理不尽なんてポジティブなことじゃないんだから。
だけれども、もしかしたらその局面から逃げられない時が来るかもしれない。そういうときは思い切って立ち向かってみるのも一つの方法なんだろう。
わたしは今回の理不尽にちょっと立ち向かってみることにした。
やると決めたからには完走しなければならない。
どこまでできるか挑戦してみよう。
成長できるかどうかはわたしにかかっている。
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