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にがてな算数塾で感性を磨き続けた5年間の話


生まれの家族の中で唯一‘‘算数‘‘が苦手だった私。

家族にとっては得意な分野だったゆえに、私のわからない!できない!がなかなか理解してもらえず結構しんどい思いをした。


そして知らぬ間の流れで"算数専門"の塾に入れられたのだ。

校区外にあるその塾は、当時平成のはじめにしてものすごくハイセンスな建物の住居兼教室。
とても人気な塾でいろんな小学校から来ていた。

そしてそこはおそらく
基本的に算数が好き、得意!質の高いレベルを、と求める生徒が大半だったのだ。

私にはおそらく数学のセンスはない。

もしかしたら当時意識を変えるきっかけがあったならば、本当、もしかしたら普通くらいにまではなれたかもしれないけれど・・・

ちなみに私の弟は2学年下で同じ塾に入ったが
彼にはずば抜けてセンスがあり
先生からはいつもお褒めの言葉をもらっていた。ずっと数学は得意だ。

もともと小さいころから弟に対して強烈なコンプレックスがあった私はその苦手という傷口を自らさらに広げていった。

マイナスな気持ちから入っているから、どれだけやろうともマイナスだった。
"できない"前提で進めるからだ。
授業はついていけない。
何をしに行っているのかわからない。


落ちこぼれていく私を見兼ねてなのか
ある日、優しく時に厳しい先生はこう言ってくれた。

『あなたは本当に字が上手だ』と。

精一杯の優しさだったのだろうか。
本心からだったのだろうか。
それはわからないけれど、
私にはそれが救いとなったのだ。


算数塾に通い始めるのと同じ頃に書道教室にも通いだしていた。

算数塾への入塾には私の意思はなかったはず。
だけど、書道は自分から行きたいと言ったそうだ。
(母を教室の所まで連れて行ってここ行きたいとプレゼンしたらしい)

わたしの居場所はそこだった。
字だけは誰にも負けたくなくて、猛烈に頑張った。
自分で言うのもだけれど、多分もともと
素地はあったのかもしれない。
自分が想像する字を思うように書けるようになるのはとても楽しかった。

こちらはぐんぐん伸びていった。
学校代表で、友好都市の中国杭州市へ
字を贈ったこともある。

好きと得意は必ずしもイコールにはならなくても
やはり行動を起こし続ければ得意になる可能性は
大いにある。

同じ頃にふたつの習いごとをはじめて
もともと持っているものや
意識の部分でこんなにも結果が変わっていくものなのだなと今書きながら改めて感じている。

じゃあ算数塾、どうにかして辞めれば良かったじゃないかと思う。
だけどそれをしなかったのには
何か理由があったのかなと改めて記憶を辿った。

すべての物事には
あらゆる面が存在している。
どうとらえているのかで変わる。

算数塾は私にとって決して悪いことばかりじゃなかった。

まず、先生がおしゃれ。
白髪で肩上くらいまでの綺麗に手入れされた髪、
オシャレな眼鏡にいつもしっかりスーツ。
親よりも一回り以上年齢は上だった気がするが、
姿勢が良くスラっとしてとても似合っていた。

たしか記憶では教室にグランドピアノがあって
クリスマス会とかもあった気がする。
先生が弾いてくれたり、弾ける子は弾いていた気もする。

あと、授業はわからなかっただろうけど
なぜか"空気"が良かった。
なにせ算数が得意な子達が集まっているので
みんな目がキラキラしているように感じていた。

それで書きながら思い出した。
先生の授業はとても面白かったんだと思う。
先生は色んな方法で具体的に教えてくれたし
いつもにこにこしていた。
いかに面白く分かりやすく質を高くを
意識されていたと思う。

そしてなにより、漫画が豊富だった。
教室には開始10分前には着いていて
前のクラスが終わるまでの待ち時間に読むのが
最高の楽しみだった。

手塚治虫先生の分厚い火の鳥とか
三つ目がとおる・ブッダにブラックジャック
とにかく全部あったんじゃないかしら。

あとははだしのゲンもあった気がする。

私は、もはや漫画を読みに行っていた。
そして、生き生きした授業の雰囲気だけは
感じてきた。
理解はできずとも、、、

ただ、相変わらず先生はずっと私の字だけは
褒めてくれた。
綺麗な数字を書くと。

と、ここまで書けるのは今だから。
当時はやっぱり基本的に惰性で続けていただろうし、親も私ももしかしたらの未来にかけていたのか?もしれない。

もし、当時の私が
算数=自分を苦しめるもの
だと、錯覚していなければ

キラキラした目の他の子たちのように
楽しむ気持ちを持てていたならば
結果はちがったかもしれない。

と、たらればはこの辺りにしておいて。



気付いたことは、これを書きながら私の過去は変わった。

あんなにも、行った意味あるの?
あれは無駄な時間だったな
と思っていた過去はもうない。

なぜか行かせてもらえて良かったなと思っている
今。
相変わらず生活必要最低限の算数力しかないけれども。

どこを観るか、で変わる。
私はもしかしたら算数塾で感性は
磨いていたのかも?しれない。

いやわかりません。
わかりませんが、やはりあの時に
体験していた空気感や
手塚治虫先生の分厚い漫画を数年間
繰り返し読み続けた日常には
やはり今に繋がるなにかはあったんだと
思う。

ちなみに高学年から算数は完全に諦めて、
得意を伸ばすことにシフトチェンジした自覚は
ある。

それが早くに分かっただけでも
運は良かったんじゃないかな


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