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他人の”一生懸命”を笑える世の中が好き。

はっぴー☆ゴリンスキーだょぉ♪
文章っていうのはいいよね。
こんなわかりやすく恥ずかしい表現も真顔でできちゃうんだから。
こんなあいさつ、リアルでやってみ?
羞恥のあまり、肛門の中に顔面突っ込んで窒息自殺できるぜ、オレ。

『第一の手記。恥の多い生涯を送って来ました』

僕はこれよりも素晴らしい書き出しを知らないし、たぶんこの先も出会わないし、出会ったとしても認めないし、だからそんなもの僕という主観でしかないこの世界にはありもしないことを知っている。

それなのに下衆な”文学”を騙るマスカキモノカキどもはキャッチーだのシャレオツだのと書き出しそのものに似非”ブンガク”を求め始めた。
タチの悪いのはさらに下流の裾野で思想をリツイート(劣化コピー)して称賛する、私のような陰毛のように歪に、それでも一本調子に伸びた、やたら偉そうな持論を持った連中だ。
こいつらのせいで、これまでそれ自体には意味を成さなかったものに対しても意味や具体性を求め、「それがなければいけない」と必要条件だと突きつけて来る。
最低だ。僕(お前)は最低だ。
だからもう僕らの言う”新しい価値観”みたいなまやかしは、僕には通用、しないぞ。
なかったものを『ある』、なんていうのは、まるでアイツらのようじゃないか。とまぁ糖質を演じる前置きはこんなもんでよろしかろう。

僕という主観で見てきた世の中に、”一生懸命”を笑うというのがずっとあった。
学生時代に足が遅い子が全力で、不格好な姿で走るとみんなが笑った。
それを見た先生が笑った子たちを怒鳴りつけ、一番反抗的だった子には鉄拳が飛んだ。

それは少しだけ歪曲されていて、鉄拳を食らったのは全員だったかもしれないし、誰も殴られていないのかもしれない。
鉄拳制裁がまだあった頃、の話だから、主観で見てきたが故に曖昧な記憶がそうさせているのかも、しれない。

とは言え、主観で見てきた世界にはずっと、”一生懸命”を笑う人が必ずいた。

”一生懸命”追いかけた女のコに、酷い理由でフラれて落ち込んでいる時も、誰かの笑い声が聞こえた。
若手の頃、仕事であり得ない失敗をしたヤツがいた。
それを傍で見ていた同僚が笑ってた。蔑むように。ゴミを見るように。

そうやって、”一生懸命”を笑われる人を昔から見てきて、僕はそれを笑うでも庇うでもなく、ただ笑われない人で居ようとして生きてきた。

僕(お前)は笑われないまま大人になった。
そして怒られない歳にまでなった。

もっとみっともなく生きるべきだった。
割とみっともないなぁと思いながら、恥ずかしい人生を歩んできた自信もあったけれど、こんなに誰かに笑われなかったこれまでは割と普通だったのだろうなと、僕(お前)の歴史が証明してくさる。

笑われたことがない僕(お前)の”一生懸命”は本当に笑えない。
年取ったら怒られなくなるぞ、怒られているうちが華だぞ、って思考停止な先人たちによく言われてたことを思い出すけれど、そんなのはその気になれば簡単に怒られ『られる』。
他人の”一生懸命”が笑えていたうちが華。
サウナで見る、知らない人のぶりッぶりの包茎チ〇ポなんか見てもクスリとも笑えないのと同じで、僕(お前)の主観で見る世界は、あんまり”一生懸命”を笑える場所ではなくなってきているかもしれない。

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