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まあ、なんとなく②

行方不明の果て

彼と連絡がつかなくなってしばらく、「ごめん、入院してたわ。」と連絡が返ってきた。「え!!?!大丈夫?!」と送り、そういえば前に会った時すごい咳をしていたことを思い出した。「そういえばめっちゃ咳しよったやん!!大丈夫なん?!」と送ると、「おれもともと小さい頃から気胸っていう病気もっとって肺にちょっと穴空いてんねんけど、それでまた倒れてもて救急車で運ばれたわ。」とかえってきた。速攻で気胸という聞いたことのない病気を調べた。まあ命の別状はないので一安心をした。すると彼から「気胸やから胸のCT撮ってもらったてんけど、肺に黒い影があるって言われてん。なんか再検査せなあかんくて、結果出るまでしかも結構かかるみたい。ちょっとしばらく会われへんけど心配せんといて!おれは元気やから!」みたいな連絡がきた。「え??!まじで!!?!めっちゃ心配やわ〜!!無理せんときぃよ〜。」と送って、またしばらく会えない検査結果が出るまでの間は生きた心地がしなかった。検査結果が出たという日。うちの家で晩御飯でも食べようとなり、久しぶりに彼が家に来た。久しぶりだし、話も気になってるしで緊張しながらご飯を作っていた。ご飯を作りながら平静を装いながら聞いた。「ほんで、結果どうやったん?」彼は言いづらそうに「んーー、なんかなぁ、肺がんらしい。ステージ4やって〜」と言って笑った。驚きすぎて何も言えなかった。「え?ステージ4ってどんくらい悪いん?」彼はまた言いづらそうに「んー余命半年らしいわ〜。」と言ってまた彼は他人事のように笑った。私は言葉を探しながら「それで、どうするん?」と聞いた。彼は「抗がん剤治療か、緩和ケアやねんけど、俺何もしたくないからなぁ〜、多分治療はせんなぁ。」と言った。私はここからの記憶が全くない。でも確か泣きそうになったが1番辛いのは彼なのだから私が泣いたら絶対にいけないと思った。だから、泣くのは我慢したような記憶だが、泣いた気もする…。というよりも直接こうやって言われたかどうかももう記憶がない。確かこんなんだった気がする。

星が見たい

「俺はもう余命半年やから別れたい。もうこれ以上付き合っても苦しめてまうだけやし、俺もこれ以上一緒におるんは辛い。」と、彼からあっけなく別れを切り出された。私の中でスイッチが入った。彼が絶対に生きたいと思えるそんな世界にしたい、心からそう思った。自分にできることは全て彼にしたい。「そんなん死ぬ気やん!!死んだらあかんやろ!!結婚するって言ったやん!!生きる気で生きていこうや!!」と、とにかく励まし続けた。そして癌についての本もとにかく図書館で借りて読み漁っていた。すると、彼から「別れる前に最後に星空が見たいから一緒に旅行行こうや。」と提案された。


私の家族の話

彼がレンタカーを借りてくれて一緒に旅行に行った。確か奥多摩だった。私は彼を生かしたいという思いでいっぱいだった。家族に相談した。やっぱり困った時に頼れるのは両親だった。彼の話は結婚というワードが出た頃から話していた。病気ってことは言わんといてほしいと彼から言われていたが、1人じゃ抱えきれなくなって母親に相談した。すると電話さしてほしい。と母が言った。この奥多摩旅行の日、車の中で私は彼に母親と電話させた。その時、母親は私も知らなかった家族のことを彼に話始めた。「もしもし、初めまして。⚪︎⚪︎の母です。お世話見なってます。事情は聞いてるよ〜。体調はどうかねえ?」と話し始めた。「実はね、この子のお姉ちゃんも小学6年生の時に癌だったのよ。その子は子宮癌でね、ステージ4で⚪︎⚪︎くんと同じくらい悪くて。私はとにかく生かさなきゃって思った。もう一生懸命だった。抗がん剤治療もして多感な時期に髪の毛も全部抜けて、本当に辛かったと思う。だから、今はもうこの話はお姉ちゃんにも話してないし、この子にもこの話はしてないのよ。私も思い出したくないから。それでね、そんな時期にこの子を私が授かったのよ。私正直この子産むか迷ったの。それを同僚の人に相談したら、こんな時だから産みなさいって言われたの。もしかしたらこの子がお姉ちゃんを助ける為にきてくれたんじゃないかってそう言ってくれたのよ。だから産むことにしたの。そしたら抗がん剤治療で小学校にも行けなくて全然笑うこともなかったお姉ちゃんがこの子を見て笑顔が増えたの。そしてそこから抗がん剤治療のおかげもあってか、癌が治ったのよ。それで今はもう結婚して2人の子供にも恵まれてるの。だからね、この子と⚪︎⚪︎くんが出会ったってことはもしかしたらこの子にはそういう使命があるんじゃないかなとも思ったりして。だから頑張って治療してみない?」と、母親は彼を電話で説得してくれた。彼はとにかく頷いて聞いていた。

彼の話

彼は私よりも2つ下で、有名な国公立大学卒業して、上場企業に勤めていた。母親との電話も終わり、今度は俺のターンだと言わんばかりに彼が珍しく自分のことについて話し始めた。「俺実はADHDやねん。」「ADHDってなに?」と私は聞いた。「注意喚起多動型っていうねんけど、俺めっちゃ昔から忘れ物とか酷くて、よう先生に怒られよってん。まあそれで今までいろんな人によう怒られて来たりとかしてきてんけど、まあこんなもんなんかなぁって思ってて過ごしててん、でも大学一年の頃にいよいよしんどなって病院行ったらそれって言われて、薬処方されてん。俺ずっと頭ん中で誰かが喋ってんねん。こうやって話してる間もやねんけど、これめっちゃ俺の中では当たり前やってんけど、薬飲んだらその声が消えてん。それでまあいろいろ暮らすのは楽になってんけど、俺もうその薬飲むの辞めてん。俺はこれってもう個性やんって思って。そしたらだいぶ生きるの楽になってんなぁ。」と。私は特段ADHDということを知らずへえ〜くらいに思って聞いていた。確かに変やもんなぁとも思った。すると続けて彼が「俺の今までの人生ってみんなが選ぶ道、じゃない道の方を選んできてん。みんながそれやるなら俺こっち〜みたいな感じで選んできてんけど、それって結局みんなと一緒やねん。俺って、俺がないねん。⚪︎⚪︎(私)が思ってるような人間じゃないねん。俺は、俺がないねん。」と寂しそうに話した。「えぇ??!めっちゃ変やし、めっちゃあると思うで!!」と言ったが、「いや、ほんまに俺は俺がないねん。」と繰り返し言っていた。


つづく

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