非行少年だった息子が銀座で社長になった話#6(どうしてこうなったの?)
面会に行くと、もともと細身の身体の長男は髪が坊主になっていたせいもあってか、更に細く見えました。
私は手を握るのが精いっぱいで、なんて声をかけたのかは思い出せません。
ただ、長男も泣き、私も娘たちも泣いていました。
少年審判へ
家族が出所に同意していて”判定会議”というものをクリアすると、少年審判を受けて長男の身の振り方を決めることになります。
1.裁判までの時間
審判の日時が具体的に伝えられ、元夫と私の2人で家庭裁判所に向かいました。
裁判所では、2人別々調査官との面談が行われました。
そこでは、今回の事件のことはもちろん、夫婦関係、私自身の生い立ち、親としての問題はないかなど、あらゆる角度から聞き取りをされました。
そういった内容すべてが裁判長に伝えられ、長男が社会に出て更生できるのかを判断された上で判決が行われるようでした。
聞き取りを行った調査官は、若い男性でしたので話しにくいこともありました。
ただ最後に、
「今回の裁判長はとても理解のある人ですよ」
と教えてくれました。
2.家裁法廷
法廷に入るまで、私たちは長男には会えません。
当然ですよね…裁判が終わり判決が下るまで、まだ手錠をかけられて連れてこられるのですから。
家庭裁判所の法廷は小さいですが、初めての経験する場所でもありものすごく緊張しました。
裁判長との距離もとても近かったです。
そして、長男が入廷すると罪状を読み上げられます。
神妙な面持ちで、立ち合いの人たちも皆静かに聞いていました。
裁判長は時折ご自分の言葉で長男に語り掛けてくれました。
家庭裁判所の中で、少年審判を担当する裁判長は何人もいらっしゃると思いますが、その裁判長は確かに理解のある優しい人だなぁと思いました。
3.判決
判決が言い渡される瞬間は、ものすごくドキドキしました。
一番望んでいたのは、”保護処分”という判決です。
成人するまで保護司による監視が付けられますが、社会復帰としては最善の判決だからです。
殺人などの実刑判決にはならないはずなので、”少年院”の可能性はないと思ったいましたが、長男にとって家庭環境が整っていないと判断されれば”児童自立支援施設”に入所という可能性は残されていました。
※少年院と児童自立支援施設の違い
そして判決が下り、結果は”保護処分”でした。
判決を言い渡した時、裁判長は長男に向かって
「君なら大丈夫」
と励ましの言葉をかけてくださったことは、しっかり覚えています。
「また長男と家に帰るんだ」
事件が一段落した安堵感もありましたが、なぜか新たな不安も感じていました。
この不安が的中するのは、また少し後の話になります。
人は簡単には変わらない
裁判所を親子3人で出て、帰路につきました。
そして後日、これからお世話になる保護司についての説明を受けるため、私と長男は法務局にも行きました。
1.保護司さんのこと
法務局で長男の担当保護司さんが決められると、地元で実際に保護司さんと家族との面談がありました。
40代半ばほどの、人のよさそうな穏やかな男性が担当の保護司さんでした。
保護司ですから、個人情報の秘密保護法について守られていることは百も承知でしたが、実際こんな近所に住んでいる人が保護司として付くことに、若干違和感がありました。
そうは言っても、事件を起こしたことをなかったことにはできませんし、逆にいつまでもそこに留まっていては前に進めません。
長男にとってはまだまだ人生はこれからなのです。
家族が前を向き、長男が社会復帰できるよう支援してくれる保護司さんを信じてやっていくしかありません。
実際、保護司さんは頻繁に長男と面会をしながら信頼関係を築いていってくれました。
まだまだやんちゃな17歳の長男でしたし、堅苦しい面会だけではなく一緒に釣りに行ったり車で遊びに連れて行ってくれたりと、親以外の信頼できる大人という役割を担ってくれました。
しかし、距離が近くなってくると遠慮が無くなりますから関係性が多少ねじれてしまうこともありました。
長男が
「〇〇さん、うざいんだよね」
と言うようになってきた時に聞いてみると、結局親のように口うるさいんだとのことでした。
保護司さん自身にも中学生の息子さんがいましたし、長男と関わるなかで一人の父親としての私見が入ることもあったのでしょうか…
保護司さんも人間ですから、完璧な支援を求めてはいないつもりでした。
ただ、何か困ったことがあるといつでも相談に乗ってくださいましたので私としては、とてもありがたい存在でした。
2.やっぱり仕事が続かない
長男は、就労意欲はあったもののやはり長続きしませんでした。
以前のように知り合いの建築業でバイトをさせてもらうなかで、手先が器用だといって褒められていたので内装業で将来独立したら?という話も出ていました。
とにかく、仕事であれば何でもいいからやってほしかった私でした。
建築業は作業が細分化されていますので、長男が内装業を極めようという気持ちになり継続して働いていけば、だんだん生活も落ち着いてくるだろうと思っていました。
今思い返すと、考えていたのは私の希望ばかりで長男がどんなことを日々考えていたのか聞いたことなかったかもしれません。
「楽しい」とか「楽しくない」はこの際関係ない!くらいに思っていましたし、建築業の社長さんは長男のことを可愛がってくれていましたから、何も心配ないと思っていました。
そんな長男でしたが、彼女ができたことがきっかけで遊びを優先するようになり仕事をさぼることが続き、とうとうクビになってしまいました。
3.更生は親子ともにするもの
もともと勉強も嫌いだったし楽な方へ流されるタイプの長男。
和太鼓をやっていた時はまだ自分の好きな事をやっているという信念があったようでしたが、それも手放してしまって以来「これ」と思えるものに出会う機会がなくなっていました。
「社会に出たんだから仕事しなきゃダメ」というプレッシャーだけかけられているんだという、被害妄想の中にいたのではないでしょうか。
私も保護司さんも、長男に対していかに”更生”させるかに意識がいっていました。
当時17歳の長男からしてみたら、まだまだ人生を自分の思うまま作っていきたいという希望があって当然なんですよね。
それなのに、事件のことを引きずるあまり私たち大人は長男に
「こうなるべき」
という無言のプレッシャーをかけまくっていたのでしょうか。
今、過去を振りかえってこうしてnoteに書き出してみると、心配していたのは長男の仕事や将来のことより自分自身のことだったんじゃないかとさえ思えてなりません。
私が長男を認めない限り、長男はもがき続けることになるんだろうなぁ~とあの時少しでも気付いていればよかった…
次々に起こる問題
そしてこの時期、また新たに問題が起きていました。
鑑別所を出てから、私の中ではこれまでよりも真剣に長男と向き合っていたつもりでした。
なので、あの事件以降また長男の素行で悩まされることになるなんて、もう勘弁してよと言うのが正直な気持ちでした。
1.金銭トラブル
お恥ずかしいことに、気付いた時には当時の友人や中学時代の仲間、和太鼓の先輩…といろいろな人にお金を借りていたようで、借金まみれのような状況になっていました。
なぜ長男がお金に困っていたのかわからなかったのは、真面目に仕事に行っている思い込んでいたせいもあります。
まさか、女の子と遊ぶためのお金が必要だから借金していたなんて…信じられませんでした。
「なぜ、仕事を辞めてしまったの?」
「そもそも、そこが間違いじゃないの?」
保護司さんにも、仕事を辞めたこと(事実上はクビ)を報告していなかった為(本当は報告義務あり)周りの大人はみんな気付かずにいました。
そして、私が長男の借金を知ったのは中学時代の非行少年仲間のママ友からだったというのも、なんとも情けないことでした。
2.借金をどうするのか
長男が大切な仲間達から借金をしていたと知っただけでも胸が痛んだ上に、そのお金をちっとも返済してこないという苦情を聞かされました。
金額も確か何万どころか、何十万円もの金額だったと思います。
私が、肩代わりできるような金額ではなかったですし、保護司さんからは当然ながら長男がきちんと返すべきと言われました。
私にできることはとにかく謝って、保護司さんを交えて長男と話をして、いったいどういう状況なのか確認してこれからのことを考えることでした。
この時、不思議なことにこの中学時代の仲間は逆に長男のことを心配して家まで来てくれたり、長男の話を聞いてくれたりと親がなかなかできなかったことを一足先に根気強くやってくれていたんですよね。
そして、長男の様子についても逐一私に報告してくれました。
長男は、そのころ知り合いのバーでバイトを始めていました。
なので、時間はかかっても少しずつでも必ず返していく、とみんなに約束したそうです。
和太鼓の先輩にも連絡して、そのような話をしていたと思います。
そしてそんな時に、また信じられない事が起こりました。
次から次へといろいろなことが起こりすぎて、この時期どういう精神状態で生きていたのか全く思い出せません。
3.口座から消えた200万円
誰の口座かと言うと、元夫です。
銀行のキャッシュカードと暗証番号の管理ができていなかった元夫にも問題があるとはいえ、これはまさかの事件でした。
元夫は、給与振り込み用の口座の他にコツコツ貯金していた口座を持っていました。
そのお金で、自分の欲しいものを買おうと貯めていたようでした。
それを知っていた長男…というか私は知らなかったことです。
いったいいつ知ったのか謎です。
後から長男に聞いたのですが、キャッシュカードをクローゼットの引き出しにしまっていることは知っていたそうですが、暗証番号はなんでわかったのか聞くと、
「〇〇の誕生日じゃないかと思った」
この、〇〇というのは…なんと長女のことでした。
キャッシュカードを持ち出し暗所番号もビンゴだった長男は、残高を全部引き出したんです。
ATM では一回に引き出せる限度額が決まっているはずなので、もしかしたら2~3回に分けて引き出したのかもしれません。
元夫が気付いた時…すでに残高が0円だったそうです。
ところでなぜ、この200万円強奪事件の犯人が長男だとわかったのでしょう。
まぁ、消去法で長男以外考えられなかったということですよね。
4.私についたウソ
父親にバレる前に、その200万円であちこちに作っていた借金をすべて返したという長男ですが、もちろん問題はそれで終わりではありません。
元夫は自治体の無料相談で弁護士に連絡し、身内(息子)を起訴できないか聞いたそうです。
すると、未成年は起訴できず事件として扱えないと言われたそうです。
親のお金を盗む…これは”監督不行き届”になるのだそうです。
息子を警察につき渡す…2度も?!というやるせなさと200万円と言う金額を躊躇なく使い込んだ長男に対する失意…
実は、このことが発覚する少し前なんですが、母の日だからと言って長男が珍しく私をご飯に誘ってくれて、欲しいものまで買ってくれた日がありました。
後日、そのお金は父親から盗んだ200万円の一部だったと知りとてもショックを受けました。
バーで働いた給料だと言っていましたから、私は疑いなどしませんでした。
「夜の仕事だからお給料良いんだね、大変だね」
と労った母にウソをついた長男。
ですが、
「ママはずっと金がなくて自分のものを買ってないだろ。アイツ(父親)は好きなように貯金して自分の為だけに使おうとしてたんだぜ」
という言葉を聞かされた私…
もちろん人のお金を盗むことはいけないという大前提があったうえですが、私の背中をよく見ていたんだなということと、父親への憎しみがずっと続いてたんだなと言うことを、変に理解しました。
さらに、単にお金が欲しかっただけじゃなく
「父親を困らせたかった」とも言っていた長男でした。
この話はそのまま保護司さんに伝えました。
お恥ずかしながら、やはり長男の養育環境に問題があったのかも知れません。
あの裁判の日、聞き取りしていく中で若い調査官さんにも、
「家庭環境について引っかかると思われるかもしれませんね」
と言われたことを、思い出していました。
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