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野球観戦で父の饒舌を思い出す

意外に思われることが多いのだが、K-POPにがっつりハマる前はプロ野球チームである西武ライオンズのファンだった。ファンだった期間は4年と短いものの、課金してファンクラブに入ったのでまあまあちゃんとしたファンだったと思う(自分的には)。

ハマったきっかけは2008年に西武ライオンズが優勝を果たした日本シリーズを見たことからだった。当時の私は高校3年生。受験も早々に終わっていたので、父と一緒にその試合をテレビで見ていたのだ。

今までプロ野球中継なんてつまらないことこの上なかったのに、なぜかこの時の日本シリーズだけは食い入るように見ていたのを覚えている。岸選手の驚くほど曲がるカーブ、片岡選手の足でとる1点。その見ごたえのあるゲームにすっかり虜になってしまったのだ。

加えて父の解説も良かったように思う。父は野球が大好きで、自身も経験者なのでとにかく詳しい。特に推している球団はなかった父だったが、なぜこの局面でその球種を投げるのか、なぜ今前進守備なのか、などを事細かく教えてくれた。いつもなら母に「また解説が始まった」とうるさがられる父だったので(野球に限らず、ほかのスポーツや大河ドラマなど知識を持っている分野に関しては解説したがるクセがある)私が真剣に聞くのがよほど嬉しかったのかもしれない。とにかく日本シリーズの間中、私は父の解説を聞きながら野球に、そして西武ライオンズに詳しくなっていった。

2009年になり、私は山形の田舎から東京の大学へと進学。西武ライオンズの試合を間近で見られる環境になったことで、迷うことなくファンクラブへ入会した。姉が住んでいる西早稲田のアパートに住むことになったため、高田馬場駅から西武線を使えば西武ライオンズの本拠地である西武ドームまで比較的近かったのも良かった。当時社会人なりたての姉は私の野球観戦によく付き合ってくれて、月1くらいのペースで西武ドームへと足を運んでいたように思う。

そのうち両親が揃って東京に遊びに来るようになり、家族4人で野球観戦に行くことも増えた。間近で野球が見れることだけでなく、昼間から球場でお酒が飲める特別感も父にとっては最高だったのだろう。旅行前に「東京に来たらどこに遊びに行きたい?」と聞くと、間髪入れずに「野球を見に行きたい」と言うようになった。今まで東京旅行と言えば、母の希望を第一優先にして興味のない美術館巡りをしていた父には驚くべき変化だった。

球場での父の野球解説は相変わらずおもしろく、ビール片手に饒舌に語る父を見て、何だかこちらも気分が良かった。今でも一緒にグッズを買って、西武ライオンズの野球帽をかぶった父が思い出せれる。

だけど、結局私の西武ライオンズファン歴は長く続かなかった。引っ越して西武ドームに行きづらくなったことで、球場へ訪れる回数が減り、社会人になったら忙しさからますます応援に行けなくなったからだ。

結局ファンクラブは解約してしまい、今の旦那と同棲する頃には買い集めたグッズもほぼ捨ててしまった。電話で「メルカリでいい値段で西武のグッズが売れた」と話したとき、「俺の野球帽も代わりに売ってほしい」と笑っていた父はあっけらかんとした感じだったけど、あの時の父がどんな気持ちだったのか私には今になってもわからない。

今でもテレビで野球中継を見ていると、雄弁に語っていた父を思い出す。コロナのせいでもうしばらく会っていないし、次に東京に来たとしても野球観戦は難しいだろう。膝が悪くなった母にはドームの階段はきつ過ぎる。

それでもいつか野球観戦が叶うなら、また父の解説とともに野球を楽しみたい。西武ライオンズの野球帽、捨てずに持っていてくれてるといいんだけど。

執筆:otaki

編集:鈴木乃彩子

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