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夏は詩的だ

意外に思われるかもしれないが、実は夏が好きだ。一般に夏から連想される海だの山だのバーベキューだのキャンプだのといったアウトドアとは縁がないし、実際それほど好きでもないのだけど、それらがなくても夏が好きだ。夏だからできる何かでなく、夏だからあるものゆえに、自分は夏という季節を好む。

夏の光のまぶしさと表情の豊かさ。早朝、景色を白く透き通った空気で迎えてくれる爽やかな朝日。空を雲を鮮やかなコントラストで青と白に映し出し、木漏れ日となっては暖かな色合いで影絵を埋める、真昼の力強い光。川面に反射し粒となって輝き、稲穂を照らしてまだ青い粒の若々しさを教えてくれる昼下がりの陽光。時に暖かく、時に荘厳に、空に無限のグラデーションを描きながら刻一刻と変化していく夕暮れの茜色。夏は夜ですら、世界はまだ明るく照らされているような気分にすらなる。深い黒と藍のキャンパスに描かれる大輪の花火を見ながら、いつまでも祭りが終わらないようにと願った小さな頃のあの夜。夏の光は多彩で、表情豊かだ。

夏の暑さが好きかと言われれば、それも決して好きではない。実は意外に汗かきなので、すぐにシャツが濡れてしまう。夕涼みができる程度の気候であればいいけれど、最近の夏は暑くて夕方になっても風情があるほどの涼しさになってくれることはあまりない。それでも夕の食卓に枝豆やとうもろこし、トマトにきゅうりといった夏の野菜が並び、風呂から上がってさっぱりした気分でビールや冷酒をきめるのは好きだ。夏の夕の一杯は他の季節とは違う一日の終わりの充実感がある。

お盆にはご先祖様を迎えにお墓参りに行く。この親戚が集まったり挨拶回りがあったり、それは正直少し面倒ではあるけれど、それでもお墓を参る時には家のつながりというものをちょっと意識したりする。亡くなった祖父母や、記憶もうっすらとしている曽祖父母ら、毎年のように同じようなエピソードを話しながら故人をひととき偲ぶのも夏の風情だ。

お盆の頃、こどもらを乗せていつものように越後平野の真ん中を貫く農道を車で走る。道の両側は弥彦・角田がなければ地平線の果てまで続くような田んぼの風景。稲刈りを来月に控えた青々とした稲が明るい光で鮮やかに照らされ、山と青空とともに色濃い風景が描き出されている。その田園風景の上を、シロサギの一群が飛ぶ。隊列を組んで緑の大地と青い空の間を、目の前を横切るように過ぎ去っていく。なんてことはない風景。でもまるでそこに夏がぎゅっと詰め込まれて時間が一瞬止まったかのように、記憶に残るその風景。もしかしたらそれは幸せな夏の象徴として、自分の心に残った風景なのかもしれない。

夏は詩的だ。そのまばゆい光が、風景を鮮やかに表情豊かに見せてくれるから。その夏の真ん中に、過去や時間の流れに思いを馳せる節目を抱えているから。その美しさと、消えゆく光の儚さゆえに、四季でも夏を特別に好む。

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