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ちっぐはっぐ

朝起きて朝ごはん食べますよね。
そしたらお薬飲みますよね。袋からシートを取り出してプチっと錠剤を出して、お水と共にゴクン。たまにミルクティーともゴクンをお供にしますが、大体はお水です。
それで、そのゴクンとした時に、「お薬を飲むためにご飯食べてるのかな?」と思うんですよね。だってお薬の袋に堂々と「「食後」」って書いてありますからね。

わたしは白米が大好きなのですが、お肉もお魚もその他いろいろなメインは、白米を食べるために存在すると思っています。
ハンバーグも焼肉もしゃぶしゃぶもエビフライもステーキも、メインはあなた達じゃない。白米が絶対的センターなんです。その地位は揺るぎません。

こうなってくると、いろんなものが逆転してくるんですよね。

今はあまりそうでもないと思いますが、添加物や農薬がついたままの食材を食べるということは、病気するためにご飯食べてるんじゃないの?とか。
もはや、歯磨きするためにお菓子食べるんじゃないの?とか。
泣くために笑ってるんじゃないの?とか。おっとこれはちょっとカッコつけた。
撫でられるために猫が存在するんじゃないの?とか。あながち間違いではない、気がする。
死ぬために生きているんじゃないの?とか。これはよくあるやつ。

言ってるのか言わされてるのか、やってるのかやらされてるのか問題。
(わたしは別名「鎮座DOPENESS問題」とも呼んでいます。分からない人はMODEという文字をつけて気が向いたらポチッと検索)
定期的にきますよね、この疑問。
そんなこと言っちゃーお終めぇよっていう、てやんでぃが頭に出てきますが、それでもやってくるこの問い。

鎮座DOPENESSで思い出しましたが、この間、散歩中に団地の前を通ったら、かなりの爆音でヒップホップやらレゲエが流れてきたのです。団地を越えて川をも越えて、その音が響いていたので、とにかくものすごい爆音。

これは何なんだと。何が起こっているのかと。
周りを見回すと至って普段の日常なのです。みんな気にならないの?もしかして聞こえているのはわたしだけなの?心に話しかけられてるのかな?

わたしにできることといったら、ポケGOをしているふりをして立ち止まるという分かりづらいフェイントをかましながらShazamで何という曲かを調べるくらいしかありませんでした。

この曲を聴くためにそこに団地が建てられたんじゃないかと、そう確信してもおかしくないほどの周りのみんなの日常感に、わたしは飲み込まれていくのです。

そしてまたそこから思い出したのが、毎週2日くらいのペースで朝6時半からうっすら聞こえる何かの音楽の音。
うちは遠いので全く気になりませんが、もっと近くに住んでいる人は相当な迷惑だと思うのです。
それ、もしかしたら先程のレゲエなりヒップホップなりじゃないかなって思うんですよね。
悪い奴らはだいたい友達、の友達が住んでいるのかな。マイメン!
この真相は一生分からないと思う。あまり追いたくない気もする。

昨日、朝一で鏡を見て、よし今日も順調に顔色がに白い!って思ったのですが、その時に鏡の向こうに連れて行かれたのだと思う。だからチグハグなことばかりが起きている。

見てんのか見せられてんのか。聞いてんのか聞かされてんのか。本当のところはどうだい?