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葬儀が終わりまして

父の葬儀を終えました。

父のことを書くのは前回の記事で最後にしようかと思いましたが
いまの気持ちを残しておきたくなったので。

喪主は母、サポートが兄。

私は騒ぎそうなこどもたちをなだめたり

あと
写真を撮るのが好きな父なのに
ほとんど人に見せたりしなかったので
見ていただく良い機会だと思ってアルバムを作ったり
本人の人柄がわかるようなメモリアルボードを前夜に作って飾りました。

家族葬を希望していたらしいので、小ぢんまりと行なって
葬儀が終わってから知り合いにはお知らせすることにしよう。
と決めたものの

家にそれぞれ弔問に来ていただくのも大変なことである、と
母が知人からアドバイスされ数人にお知らせしたところ
椅子や返礼品が足りないほどたくさんの方が来てくださって
本当に思い至らず申し訳なく、そしてありがたかったです。

家族からしたら変な人だった父も、
親交のある人や信頼してくれる方がこんなにいてくださったんだな
と思うと感慨深いものがありました。


父は本来小柄。
そしてスポーツマンで筋肉もあり中肉中背。

それが昨年の夏以降どんどん体が弱ってしまって
亡くなったときは骨と皮状態になっていました。
そこから葬儀まで3日あいて、
さらにミイラみたいになってしまっていたので
参列してくださった方は本当に驚かれたと思います。
きっと父としてもそんな姿を見られたくなかったんじゃないかと。

でも、そんなふうになるほど
命の限りを尽くして生ききったんだな。
と家族としては思います。

早く会場について設営していたら
義理の姉が泣きながら来てくれて
「実感がなかったんだけど、名前が入った葬儀の看板を見たら本当に亡くなったんだなって思って…」
と言っていました。

父が亡くなった。
という事実は受け止められていたけれど

父の本名
〇〇〇〇が亡くなった

と改めて考えると
重みがまた違って感じられます。

病気がわかったのが2018年の秋。
家族のなかでも一番頑丈で
風邪も全然ひかないような人だったのに。

数えきれないほど泣いて
散歩するお年寄りの姿を見ては
「うちのお父さんはこんなふうになれないんだ」
と落ち込んで

治療を拒む父が
1日も早く取り組んでくれるように
何度も話したり(一方通行)

私と夫のふたりで医師に話を聞きに行って
どうしたら説得できるかみんなで悩んだり。

当然説得なんてできなくて、
ただ長生きしてほしいだけなのに
私は大事に育ててもらったはずの娘なのに
どうして聞き入れてもらえないの?
とまた絶望。

最終的には手術をしたけれど、
2022年の秋には余命半年との宣告。

早く手術をしないと死んじゃうのに!
と悩んで苦しんだ時間が
私にとっては一番つらかったかもしれません。

病気がわかってから5年3ヶ月、
医師に告げられた余命よりさらに10ヶ月、長く生きてくれました。

だから、具合が悪くなっても、亡くなっても
辛い気持ちが押し寄せてくる
というかんじではなくて
本人の意思で選択したことだから仕方ない
と長い時間をかけて、気持ちを整理してきたんだと思います。

唯一、どうしようもなく辛かったのは
健在な祖母(父の母)に伝えること。
ここまで悪くなっていることは知らされていなくて
祖母が泣いている姿は本当に辛かったです。


これから膨大な量の遺品整理をしていかないといけません…
父の面影に向き合って、捨てる決断をするのにまた心が消耗しそうです。

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