#11 AC克服に必要だったこと
アダルトチルドレンを克服した!
と断言するのはまだまだ難しいことですが、
メンタルクリニック受診以降、
波はありながらもほんとうに楽になりました。
最近になって、受診以外に
これが良い影響を及ぼしたのではないかと思うことがあります。
それは
宗教から離れたこと
です。
わたしは宗教2世(5世とも言う)です。
離れて良かった宗教の思想
①自分で考えて行動することは悪。神仏の意思に沿え
②良いことがあれば神仏のおかげ、悪いことがあれば自分のせい
③自分より恵まれない人はたくさんいる、即ち自分は幸せなのである
という、おそらくどの宗教であっても根底にあるこのマインドから離れたことで、
はじめて自分の感情と向き合うことが出来て、
自分自身を労り、大切にするということを知ったからです。
伝統宗教ではなく、いわゆる新興宗教です。
5世と書いたとおり、そこそこ古いところではあるのですが。
以前の私は、結構しっかり信仰活動をしていました。
中学生のときに、学生の組織の方たちから誘われて
活動に出るようになり
(この時は親も強制などしませんでした)
学校にも家にも居場所を見いだせなかった私にとって、
年上の方たちが寄り添って面倒を見てくれる
そして色々な場所から集まった同世代の友人や仲間がたくさんいる
とても大事なサードプレイスだったと思っています。
そこに関してはいまだに感謝していますし、
そこで出会った大切な友人は
これからも大切な友人であることに変わりはありません。
(もちろん信仰に対する考え方、向き合い方は全く違いますが)
ただ、そこで刷り込まれた価値観は、
特にこどもを産んでから
「それってどうなの?」と感じることが多々ありました。
活動上で生まれた疑問
この宗教こそ唯一正しい、というが他の宗教と比べたこともないのにそう言い切っていいものなのか
親を大事にしろというけど、必ずしも尊敬されるような人ばかりではないのではないか
家族で一番信仰熱心な母がまったく幸せそうに見えないのはなぜか
なぜ親がはじめた信仰を子どもが背負わなければならないのか
そもそも神は本当にいるのか、目に見えない世界はあるのか
ほかにも気にかかる点が年々増え、
こどもが生まれると「信仰の後継者」としか見ていないような発言をされたり
自分も信仰するしないの「選択」をしたいし、
自分の子についても自身で「選択」をしてほしいと思い
距離を置くようになりました。
夫とも信仰の場で出会いました。
私の家よりも、もっとずっと敬虔な家庭で
その教団内で立場もある両親や祖父母から
「お前は後継者だ」と厳しく育てられてきた夫。
本人の性格は宗教の考え方とは違っているように見えていたけれど
熱心に活動していました
信仰をしないという選択肢がなかったんだと思います。
30代に入るころから疑問、ストレス、不満が爆発して
私より先に宗教と距離を置いています。
それまで、夜中寝ているときに突然叫んだりすることがよくあった夫は、
宗教と距離を置いてからそれが全くなくなりました。
よほど無意識下でストレスをためていたんだろうと思います。
宗教から離れるのは実際、難しい。
距離を置く、と簡単に書きましたが
幼い頃からずっと神や仏に祈っていた身としては
それをしない。ということ自体すごく難しかったです。
信仰をしないなんて
何か悪いことが起きてしまうんじゃないか?
と常に不安に苛まれてしまうんです。
これこそが宗教の弊害なのかなと思います。
信じていると、人生のすべてをゆだねてしまうので。
みんなどうやってこの悩みを乗り越えているのか知りたくて、
宗教2世の情報を集めました。
宗教2世関連の本を探して読んだり。
(なかでも横道誠さんの著書をいくつか読みましたが、いろんな宗教の方のインタビューが載っていたり、かなりリアルな様子がうかがえたのがとても良かったです)
私はラジオやpodcastを聴くのが趣味なので、そこでも探したら
ちょうど道端ドコカさんという方が
「道端ドコカの迷い道」という番組を始められたタイミングでした。
ドコカさんご自身もキリスト教系の新興宗教2世で、
厳しい戒律のもと育ち、
宗教内で出会った男性と結婚され、ご夫婦ともに信仰から離れているそうです。
宗教をやっていて良い点は、
正解があるところなのかな、と。
「こうやって生きていきましょう」という指針、正解を与えられて、
それに沿って生きればいい。
だから自分で考えて行動しなくていい。
(むしろ、自分で考えて何かすると「我が強い」と怒られる。)
何も考えずに、ただ一生懸命信じて念じていればいいということは
私自身もよく言われましたし、
それはほかの信仰でも同じ事のようです。
でも、疑問が湧いてくるんです。
宗教2世でアダルトチルドレン
という人は実際非常に多いんじゃないかと思います。
宗教の思想と、親からの束縛の板挟みで、自分自身の考えがわからなくなってしまいました。
それに気が付いていても、まだ自分自身がわからず模索する日々です。
宗教に対する複雑な思いは、今も膨らんでいます。
2世だし、もうやってないし、と思っても
宗教をやっている(いた)人に対する世の中の反応が良くないこともわかっているので
友人に読まれるの嫌だな…という気持ちと戦いながら笑、
この記事を書いてみました。