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藤原ひろのぶ講演会

今日は友人のお誘いで
『藤原 ひろのぶ講演会』を
聴きに行ってきました

もう、今まで感じてきたことが
「やっぱそうだよね!」と
共感したり確信したり
目からウロコだったり…
ちょっと上手く伝えられないし文章グダグダだけど、自分が感じたことも交えて投稿します

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仕事は社会貢献のためなのにお金の為に仕事をしてる日本人が多い
お金はただの数字だ

余裕がないからイライラする

時間があって、余裕ができて、幸せを感じることができるのに

自分の家族のことは自分たちでなんとかせぇと
自己責任を押し付けてない?
コミュニティで助け合うものだと思う
それなのに自己責任だからと、切り捨てる

大人の承認欲求のために可哀想言うな
貧しい国や人を『救う』なんて言うな
自分達はその貧しい人達に守られてるんだ

『分け合う』それだけで人は幸せになる
人は与えたもので幸せになるんだ
それなのに奪い合いをする
そんなの幸せになれないのに

ほんの少し、身近な困ってる人に手を差し出せばいいだけなのに
他人の評価を気にしすぎてできない

自らが差し出す勇気をちょっともとうよ

許し合うことでしか前に進まない
他人に求めず、あるがままで生きよう
自分以外の誰かは変えられない

ひろのぶさんはお父様からこんなこと言われて育ったそう
「ボクらの『ら』って誰や?連れてこい。いないならぼくと言い直せ」
「普通言うな」
周りの多数派で生きてるのか?
自分の意思は?

正解は自分で感じるもの
他人軸でなく自分軸で生きれば
自分も人も幸せ

そんなマインドを教わってこられたようです

藤原ひろのぶさんは終始リラックスしながら(ほんとのとこはわかんないけど)
自分の価値観を押し付けるつもりなんてなくて
みんな選ぶ自由がある、自分がやっていることは偉くもなんでもない、自己満足だ
と、ひょうひょうと言い切っていた

かつて娘に言われた事を思い出した
「母の偽善で私が嫌な思いをするのは迷惑だ」と
彼女が中学生の時に言った事なので言葉ははっきりと覚えてないけど、こんな感じのことを言われたのだ
「偽善で結構。やらないより偽善でもやった方がいいと思ってるから」と返してしまった
まったく勝手でカッコつけな親だと思う
目の前にある問題を、偽善でさえ面倒でやらない時もあるくせに
それにもっと伝え方ってのがあっただろうに
自己満足でやっていると、もっと自覚すべきだったな
私は価値観の押し付けをしてたんだろうなと、今なら娘の気持ちが少しわかる
今で言う毒親か

そんな罪悪感を感じてる中で救われた言葉

‘’頑張って良い人にならないで”
100%良い人なんていない

講演の最後に藤原ひろのぶさんは私達に3つのお願いを言った
もちろんそのお願いそれぞれの理由は講演会のなかで説明してる
どれも自分ひとりじゃできないから、と

1。宣伝に協力してください
2。選挙に行ってください
3。寄付をしてください

この講演会で購入したEarthおじさんの本(藤原ひろのぶさん、アーティストの法生 ほうさん著)をこれからゆっくり読もうと思います

この場を設けて下さったスタッフの方々、誘ってくれたれいちゃんありがとうございました!

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