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お産からはじまる子育てvol.2

マダガスカルの村の女性の暮らしに感化されて、「生きてる!」を実感できる暮らしがしたい、自宅でお産したい、と思うようになって以来、環境破壊や貧困よりも、子どもの教育に目が向くようになった。

私が子どもの頃、母親から聞いた出産体験談で印象に残っているのは、
 お産前の、剃毛、浣腸、会陰切開
 分娩台に仰向けになって、足を広げて産む
 とにかく痛い
だった。
3人産んでいる母親は、安産だったらしく、「お産が大変だった、つらい」という想いで話したわけではなかったけれど、私にはとても衝撃で、お産は大変でつらく恥ずかしいこととして印象付いていた。
だから、マダガスカルに行くまでは、「絶対に子どもは産みたくない!」とずっと思って生きてきた。
(国際協力を夢見たときに、毎月生理が来ることもイヤで、男性に生まれたかった、とさえ思っていた。)

よくよく考えて見ると、小学校から大学に至るまで、15年以上いろんな教育を受けてきたのに、お産のことは誰も教えてくれなかった。
お産を支える医者や助産師は教わるだろうけど、実際に産む側、母親になる女性に対しては、産前産後の経過や準備について「育児書を読んでね」くらいで、お産の方法については「病院で産む」こと以外、何も教えてもらえなかった。まるで、タブーであるかのように。

命を産むことなのに。
その命から、社会が育まれていくのに。
命が、軽視されてるように感じた。


マダガスカルから帰国した後、環境教育や自給自足の暮らしに興味が向き始めたころ、
同じくインドから帰国し、環境教育の分野で進もうとしていた、大学卒業前の田中俊三と意気投合し、私の卒業と同時に結婚した。
旅と移住資金を貯めるために、私はパン屋、俊三は造園業で1年半ほど働き、
「さぁ、そろそろ出発だ!」
とお互い仕事を辞めた数日後、私の妊娠が発覚。
移住地探しと学びの旅の計画は、すべて白紙になった。

本当に東京出発直前だったため、あまりにも突然すぎる出来事にお互い戸惑ったが、私が一番経験したかったこと。
産まない選択肢はなかった。

妊娠のことを俊三のお母さんに話したとき、1冊の本を私にくださった。
分娩台よ、さようなら』大野明子 著

現代の医療、教育、子育てから社会に至るまで、お産を通して私が考えていたことが、この本を読んですべて繋がった気がした。

そして、お腹に来てくれたこの子を家で産むための私たちの暮らしづくりと、私自身の体づくりに向けて、2人で動き始めた。


Photo by Shunzo



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