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反抗期が来たらお赤飯を炊こう 〜隠れ反抗期に御用心〜
我が家の姉妹は4歳と0歳だ。いわゆる反抗期と呼ばれる時期までまだかなりあるが、まわりの声を聞くと女の子でも「くそばばぁ」とかかなりヘビーな発言をしてくれるらしいので、心構えをしておかねばと思っている。
しかし、わたしは反抗期の到来に関して、不安はあるものの歓迎したいと思っている。人が成長する過程において反抗期は必要だと考えている。
一方で、「うちの子はやさしい子で、反抗期がなかった」という声も聞く。その子が「くそばばぁ」とか「うるせぇ」とか「産んでくれなんて頼んでない」とか、本当に1ミリも思っていないなら、それでいい。そういう子も、中にはいるかもしれない。
問題は、「くそばばぁ」と思っているのに言えなくて、結果反抗期に反抗し損ねた子だ。その子は、『反抗期がなかった子』ではない。『反抗期に反抗できなかった子』なのだ。
それは、まさにわたしである。
14歳前後の女子中学生時代、わたしはしっかりと「くそばばぁ」とか「うるせぇな」とか「産んでくれなんて頼んでない」とか、思っていた。でも、言えなかった。そんなことを言って、母に嫌われるのがこわかった。いい子でいないと、嫌われると思っていたのだ。要は、信頼関係がうまくできていなかったんだと思う。
特に虐待されたとか、ネグレクトを受けたわけではない。結婚して6年目でやっと生まれたひとりっ子のわたしを、とても大切に育ててくれたと思う。でも、なぜかそういうふうに育ってしまった。
そうやって、反抗期を逃した隠れ反抗期の子どもはどうなるだろうか。成長に必要なプロセスを踏まずに、大人にはなれない。親に迷惑をかけずに、大人にはなれない。反抗期に反抗し損ねたツケは、必ずやってくる。わたしの実体験だ。
私の場合は、20歳前後にあることがきっかけで、物が食べられなくなった。でも、そんな困った子は嫌われると思い、言えなかった。隠れて吐いたり、作ってもらったお弁当を捨てたりした。みるみる痩せて、いちばんひどいときは30キロを切り、入院した。これ以上痩せたら死ぬ、でも食べられない、もう自分でどうにかできるレベルではなかった。
そこまでになって、初めてわたしは母に『たすけて』と言えた。本音を言えた。いい子でいないと、いちばんでいないと嫌われると思っていたことを、言えた。
誤解のないように言っておくが、母は一度も「勉強しなさい、いちばんになりなさい」と言ったことはない。わたしが勝手に思っていただけだ。
そんなわたしに母は「困った子だなと思うことはあっても、嫌いになんてならない」と言ってくれた。この言葉は、いまでも忘れない。
おわかりだろうか。反抗期に反抗し損ねていい子のフリをしたわたしは、後に「くそばばぁ」の暴言どころではない多大な迷惑をかけることになったのだ。遅れて到来する反抗期は根深いだけに、然るべきタイミングのものより、もっとずっと厄介なのだ。
反抗期に反抗できる子は、親には何を言っても、何をしても大丈夫という安心感を持っている。信頼関係がしっかりできているのだ。今までの子育てが順調にうまくいっている証である。親として、こんなに喜ばしいことはない。
10数年後、うまくいけば我が家でも「くそばばぁ」発言が聞けるだろう。そうなったら、お赤飯を炊いて、鯛のお頭でも焼いて、最大にお祝いしようと思う。逆に、その時期があまりに静かだったら、隠れ反抗期に御用心である。
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