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作家10年の集大成、そこそこに終わる? 作家・藤沢あゆみの作家復活物語

藤沢あゆみです。

2013年12月。
わたしは、2003年12月に初出版をして以来、著者になって10年目を迎えていました。

その節目に出版した本が

「何があっても自分の味方でいれば、あなたはこれまでで一番好きなひとに出会う」です。

現時点の自分の代表作です。

わたしは、恋愛メールマガジンから著者デビューし、以降ほとんどの本がライトな恋愛ノウハウの本でした。

普段の発信もポジティブなことばかり書いていたわたしが、初めて等身大の自分に起こった逆境などを書いた本だったのです。

わたしは、2008年に1年で8冊の本を出して以来、緩やかなペースで出版していました。

そんなある日のこと。

わたしが10万部の本を出すことになった、編集Mさんが、わたしの住む中目黒まで訪ねてこられたのです。

要件は、Mさんの会社が力を入れられているある本を、わたしのメディアで紹介してくれませんかと、その本を持ってこられたのですが

実は、それは口実でした。

献本なら郵送で送ることもできます。

Mさんはいま、その会社の部長さんになられています。

一言で言って天才。出版の世界の至宝だとわたしは思っています。

当時すでにヒットメーカーで(あ、わたしの本が売れたことからMさんの快進撃が始まり出世しまくられたのです。プチ自慢)、めちゃくちゃ多忙だったはずです。

それでも、訪ねてこられた。

うちの近所のカフェに腰をかけると、Mさんは言いました。

「藤沢さん、企画出されませんね。いつもすぐに出してくださるのに」

無意識でした。

わたしは、待っていただいていてお待たせしていた。

「藤沢さんは、本を書かないとダメです」

そういうとMさんは、ナプキンにわたしに出して欲しい本の表紙を書き始められたのです。

わたしはMさんに本音をぶちまけました。

「わたし、悔しいです。こんなはずじゃない!」

正直言って、当時の自分はよくわからないけど楽しげなことをしているひとでした。

2008年に1年に8冊の本を出し、その後も出版してはいましたし、いま思うと昨年2冊の本の企画を通したことから考えれば、当時の状況は全く悪くありません。自分からこんな企画がありますと声をかければ、出版の話はまとまったでしょう。

現にMさんは、わたしに出版の話を持ってきてくださった。

この悔しさとは、他でもなく、自分自身に対してのことでした。

当時の心境をわたしはこんな風に書いています。

「みんなは、何を求めているの?」ずっと探していた。恋愛の本?自己啓発書?ううん、ジャンルなんて関係ない。そこを飛び越えるような言葉をわたしは発したかった。わたしは圧倒的になりたかったのだ。
立ち止まることなんてゆるされないと思ってた。実は、2010年くらいからずっと考えている。「藤沢あゆみにしか書けないものって?」それは単に1冊の本のことではなくわたしはどういうひととして本を書くかメディアに出るかみたいなこと。

わたしは、たまたま恋愛ノウハウでデビューしましたが、自分自身の体感としては、自分の能力を30%くらいしか使えていない感覚でした。

恋愛にネガティブなイメージは全くないし、女子力を磨く、おしゃれをするみたいなこれまで自分が出してきた本のテーマは楽しいことだけど、自分の真髄はこれだけじゃない。

だけど形にできていない自分へのもどかしさ・・・。

そこから、この本は始まりました。

自分にとって、著者生活10年の集大成。

それまでの自分は、自分よりも自分のメソッドを使って欲しいと思っていました。

年齢非公開にしているのも、どんな年齢の、どんなパーソナリティーのひとがいっているかで自分のメソッドの印象を変えたくなかったからでした。

わたしは10人の人がいれば9人が二度見するような、見た目の症状を持って産まれました。

普通そんな風に生まれたら、恋愛や人間関係にコンプレックスを持ったりしそうですが、わたしはそれにも増して、人気者になりたい、いじめられっこや寂しい子になるのは嫌だという思いが強かったことから、いかにして不利な条件で人に好かれるかを、幼少時代から研究しました。

それの上位互換が恋愛とも言えます。

なので、わたしは大人になって恋愛の本をたくさん書くことになったのです。

そんなことを、軽いモテテクの本に書いても重すぎるので、それまで自分自身のことはそんなに書かず、とにかくポジティブなことばかり書いていた自分が、自分のパーソナリティー全開に、等身大の自分に起こった逆境などを書いた本だったのです。

その本の元となるテキストをわたしは毎日フェイスブックに書きました。

200行くらいあったと思います。

写真も何もなく、一行目に

あなたは、逆境にあったことがある?わたしはあるよ。全財産を詐欺にあい、ある日突然、結婚を約束した彼氏が失踪した」

こんなモードで始まるコラム。

当時noteがあったら、ブログよりnoteに書いていたであろう文章。

今よりフェイスブックの反応が良かったとはいえ、200いいねとかつくようになり、毎晩のわたしのハードボイルドな話を楽しみにしてもらえるようになりました。

そして盛り上がったところで

「毎晩書いているこの話が本になります。わたしの作家人生の集大成となる本です」

わたしはできることを全部しようと思いました。

本の発売日はクリスマス明けの12月26日。

ここ数年はコロナでひとが移動できませんが、当時は実家に帰ったりバカンスに出かけたりしてネットにひとがいなくなる時期だからキャンペーンを長めにとり、「あなたの味方になる21日間プロジェクト」と銘打って、キャンペーンにも工夫を凝らしました。

たとえば、著者仲間で本を応援してくれるひとを「チーム著者」と言うグループにしておたがい応援し合うコミュニティにしたり、キャンペーンを応援し居てくれるひとは別のグループにして「味方広報部」と言うコミュニティを作ったり

とにかく自分個人でできることはなんでもした、という印象でした。

その甲斐あって、本は3刷になりました。

本のカバーデザインも素晴らしいし、いまでもよい本だったと言っていただきます。

と、著者として素晴らしい経験をさせていただきました。

そうです。

当時は・・・

ここまでやってこれどまりか・・・

というのが正直な感覚だったのです。

正確に言うと

ここまでやってこれどまりか
じゃぁどうしたらこれ以上になれるんだよ!

なぜ自分がそんな思いに至り、その後8年も新作を書かなかったのか・・・

かつて自分が書いた文章を読み返してみました。

そこには、自分が記憶していた以上にヒリヒリするような思いがあったのです。

次はそんな話をしましょう。

9月24日。
この日から、この本が自分の代表作となります。


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