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topics6 治療契約を考える

いま日本で行われている心理療法のほとんどは、輸入されたものだ。催眠も精神分析も、ロジャースのカウンセリングも、行動療法や認知行動療法にしても、西欧生まれだ。たいがいは興味をもった人が文献を読んで、翻訳もして、留学をして、大学の教員になり、学会を作って、研修会を開いて……と、広まっていった。その過程で日本人の心性、文化や制度に合わせて変形しているだろうし、輸入もの「だから」良いとか悪いとか、そういう話は意味がないと思う。

でも日本語で文献を読み、日本人の先生に教わって、日本の現場で働いているうちに、私たちは輸入ものであることを忘れていく。心理療法がキリスト教圏で育まれてきたこと、そして私たちの日常もキリスト教の影響を受けていることを意識したい。日曜日に休むのだって、神が七日目を安息日にしたことに由来している。落語を聞けば、江戸時代の職人は盆と正月以外は休日がなかった。馬車馬のような暮らしかと思えば、そうでもない。仕事はお昼でお終いにして、あとは湯に行ったり将棋を指したりしてぶらぶらしている。「あいつあ腕がないから、いちんち稼がないと食えねえんだな。だらしのねえ野郎だ」とか言われたくない。食うために半日稼いで、あとはのんびり楽しめば良い。いまのように2日間の休みをもらうために5日間を捧げるのと、どっちが良いとも言えなくなる。

心理療法では、治療契約という言葉がある。セッションの枠は買い切り制で、たとえば「毎週木曜日の午後3時から」で契約したら、患者の都合で休まざるを得なくなっても料金を払わなくてはいけない。治療者がセッションを休むときには、お金はかからない。でも夏休みも契約にはあって、どんなに懇願してもセッションを設けてもらえない。治療者が時間を確保したり、患者がそれに対してお金を払うことは、外側の契約になる。治療の目標や、治療者と患者の役割を決めるのが内側の契約で、こちらの方が本質だ。患者は何を言っても良い、でも暴れてはいけない。宿題をするとか、行動化(1) しないとか、勧められたら医療を受けるとか、さまざまなことが考えらえる。夏休みにも内側の意味はあって、治療者がいなくてもやっていけるかどうかを確かめる機会になる。何年も心理療法に通う人は、このような契約を守って過ごすのだ。

私たちはこういった治療契約について、学んだことになっている。私の知識は断片的なもので、系統的に講義や訓練を受けたものではない。間違ったことを、書いているかもしれない。でも心理療法では、ひとつのポイントではある。だから事例検討会では、「いつ、どんな治療契約をしたのですか?」と突っ込む人もいる。契約していなかったりすると、発表者は「そこはあいまいでした、すみません」と、なぜか謝る。そして「以後気をつけます」的な雰囲気になる。

ドイツでオペラ歌手として活動している、車田和寿さんの動画を見ていると、向こうの契約社会のありようが伝わってくる。現地の歌劇場に出演することになると、かなり分厚い契約書を確認して、それで良しとなったらサインするそうだ。日本だったらどうだろう。ギャラと交通費はいくら出る、リハーサルは何日間とか、大まかなところで交渉が成立したら、それで良しではないだろうか。「悪いようにはしないだろう」と、よく言えばお互いを信用して疑わない。

キリスト教では、神との契約が聖書に書かれている。契約を守れば神から祝福を受けるだろうし、破れば恐ろしい顛末が待っている(らしい)。だから日曜日には教会で讃美歌を歌い、間違いを犯した人は懺悔をして許しを乞う。かたや仏教は慈悲に満ちていて、浄土真宗では「悪人でも南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」と教える。

日本の神様で契約関係を作るのは、稲荷神社だと聞いたことがある。成就したら何を寄進するのか、それを唱えてから願をかけることになっているらしい。でもたいがいの人はお賽銭を投げて、ありとあらゆる?お願いをする。私も初詣には稲荷神社に行くが、お札や縁起物、お守りの類をいただいて、「良い年になったら良いな」と勝手に思い込んでいる。無事に一年を越したからと言って、お社に寄進をしようなどとは考えない。

治療契約とは、成果や終結までの時間を定めるものではない。セッションの間にトラブルが起きず、患者が安心して自分に向き合っていければ良いのだけれど、そのために必要なこととして治療契約がある。でも契約を結ぶことで「守られる」と感じるのは、キリスト教の文化で育って来た人なのかもしれない。日本では「契約」に、堅苦しさや窮屈さを感じる人もいるだろう。「この人なら」、「悪いようにはされないだろう」という信頼、あるいは依存から始めて、じわじわと役割関係に持ち込んでいくのが日本のスタイルかもしれない。

私は初回のときに、個人情報をどのように守るのかは取り決めている。「守る」約束が個人情報だけでなく、信頼関係にまで及んで体験されれば良いのではないだろうか。その他のこと、たとえば「成果はお約束できません」は、サイトでの説明で良いと考えている。初詣と同じく、虫の良い話だろうか。

(1) 心理療法によって生じた心の動きが、現実の行動に表れること。

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