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なぜパランパルミルか

子どもを地域で育てようとか、子育てを親だけのものとせずにみんなでとか、そういうことはよく言われてきたし、それらの考え方が否定されることはあまりないんじゃないかなと思います。

しかしながら、現状の日本社会はそれとは遠く、殺伐としたものになってしまいました。一部の想いや活動が集まる場所が例外的に『すてきな場所』として評価されます。

そういう素敵な場所が増えていくということが、本当に難しいのです。

日本においては『昔は良かった』ともよく言われます。わたしも団地で育ちましたが、となりはもちろん、同じ階段を使う人はだいたい名前を知っていたし、挨拶したり、ひとことふたことやりとりしたりは当たり前。

当時は大阪に住んでいましたが、阪神淡路大震災のときも声をかけあったり、上層階のおじいちゃんおばあちゃんのおうちをみんなで片付けたりしました。

しかし、いつのまにか挨拶するのも憚られ、子ども会や地域のお祭りもどんどんなくなってしまっています。
地域の人の名前も、得意なことも苦手なことも、知る機会は激減しました。

その背景には、高齢化や人口減少もあるでしょう。しかしあわせて、人との関係性への不安や恐れがあります。子どもを守りたいという思いをもってしても、悲しい事件をたくさん経験した私たちは、あの頃には戻れなくなりました。

だからこそ、パランパルミルといった仕組みとして、地域で子どもを育てていくことが根付いていく必要があるのではと考えています。

パランパルミルは、子どもがたくさんの大人の価値観に触れられる機会を提供する拠点として地域にあって機能し、児童福祉の専門機関、自治体との連携や法律改正なども経験しながら、設立から30年以上が経過する今もフランス全土で取り組まれています。子どもに関わる人たちの中での認知度もとても高いです。

フランス以外、他にも目を向けていくと、さまざまな国で親以外の大人が子どもに関心を向け、関わり合いを持つ『パランパルミル的なこと』がおこなわれています。

日本でも、週末里親やファミリーサポートセンターなど、似ている制度や支援は存在します。

では、なぜそれでも『パランパルミル』なのか。

それは、『フランスのパランパルミル』だからです。

日本で問題となっていることの多くは、フランスでも起きてきました。

多くの専門家によって、暴力の予防やケア、家族の調整がおこなわれています。民間に丸投げされるようなことはありません。多くの関係者の対話が、日々彼らによって諦められずに、絶えず行われています。

民間主導のパランパルミルが受け入れられてきた背景にある、人々の暮らし、感情、捉え方、連携のあり方、関わる人のあり方、場合によっては法律など、フランスのさまざまなことに、日本が学びアレンジし取り入れられることがあると思っています。

ひとつの団体が頑張るだけでは叶わないことを、叶えていきたいと思う私たちのビジョンに、パランパルミルは希望を与えてくれています。

どうしてもやりたいという思いは、長くなるのでまた別の記事で書きたいと思います。

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