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泣くのが下手だから、カレーを作る。

泣くことは、心をスッキリさせるのにぴったりな方法だと聞いたことがある。たしかに、泣いたあとは心が軽くなる気がする。ㅤ

でも、困ったことがひとつ。

泣きたい時に限って涙が出ない。子供の頃はあんなに泣くのが上手だったのに、私の体の大半を占める水分は一体どこに行ってしまったのか。

先日、久しぶりに失恋をした。

と言っても、自分からさよならをしたからか、失くした感覚よりは手放した感覚が近い。違う選択をしていれば、まだ一緒に過ごせていたかもしれない。ただそれを選ばなかっただけの話。

それでも好きなものは好きだったのだ。何回恋を経験しても、この痛みに慣れることは無い。

まるで干からびた植物のように、布団の上にうなだれてみたり。家にある食材を突然現れた怪獣のように、食べ尽くしてみたり。愛猫二匹の間に顔をうずめ猫吸いをして、噛まれてみたり。徘徊のするゾンビのように、正気を失いながら数日過ごした。

街を歩くたび蘇える思い出に心をタコ殴りにされたり、いつの間にか移っていた口癖や、「可愛い」という、魔法の一言を聞きたいが為に作った前髪。ちゃんと好きだったという事実が、日常の中に散りばめられている。

それなのに、全く泣けない。

どうにかして、心をスッキリさせたいのに。とりあえず、何か食べたい。どんなに心が痛んでもお腹は空く。20代後半、それくらいには強くなれたようだ。

残った食材を確認して、簡単に作れて美味しいものはカレーしかないと、カレーを食べることにした。

いつも通りにキッチンに立って、エプロンをして、料理を作り始める。

茄子とジャガイモは大きめに切って、冷凍ブロッコリーも入れることにした。野菜ばかりだけど、それもいいか。
あとは、カレーには玉ねぎが欠かせない。とりあえず一個だけ切り始める。案の定目に沁みて涙が止まらない。

カレーを作る手順ばかり考えていたのに、なぜか二人でご飯を食べに行った時の光景が浮かんだ。

あんなに泣けずに困っていたのになあ。玉ねぎって本当にすごいと思いながら、便乗して、たくさん泣いた。

今回は玉ねぎがいっぱい入った、甘いカレーが完成。

「いただきます。」

お気に入りのスプーンで、野菜がゴロゴロ入ったカレーを口一杯に頬張る。美味しいな…思わず声に出してしまった。


お皿が空になる頃には、苦しかった思い出が少しだけ温かいものに変わっていた。心もお腹もいっぱいだ。

「ごちそうさまでした。」

お鍋の中を確認して、二日目のカレーがあることに心躍る。明日がくるのがたのしみ。


人と人の出会いには必ず意味があって、その時の自分に必要だから出会う。恋愛に限らず、全ての出会いがそうだと、私は思っています。最後に離れてしまったとしても。

良いことも悪いことも含めて、その人に学ぶべきことがあるから出会って、離れてしまうということは、その人から学ぶことはもう無いということです。

だから途中でどんな感情を相手に抱いたとしても、最後に残る感情は「感謝」

私との出会いが少しでも良い影響になってくれたなら嬉しいし、心から幸せを願っています。

綺麗ごとではなく、本当にそう思っていますし、思ってきました。最後に残る感情が暗いものだと、なんだか自分ばかりダークモードになってしまうようで、切ないですよね。

誰よりも色んな感情を見ていたのは、自分自身なのに、そんな自分に傷つけられたくは無いはずです。

誰かを好きになるって、本当に素敵なことです。

恋愛だけでなく、友達や家族、出会って好きだと思えた全ての人たち。

自分とは違う人間を好きになって、応援したいと思えること、その人の笑顔が見たいと思えることは、本当に素晴らしい感情です。

なんだかまた一つ、良い経験ができて幸せだなあと思っています🫶

#カレーはいつだって美味しい

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