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あるフラダンサーの今。2022/11/2

フラ(=自分)に向き合う時間ができた。
わたしの場合は、書くことで整理する。
紙のノートに手書きをしていたが、
今は、このnoteがそれになっている。

以前は、意識しなくても、
ほとんど毎日がそういった日々だった。
それは、家族のおかげであり、
それが当たり前だった期間があったことに感謝しかない。

親の看病と見守り、
今後の生活について考えること。
パートナーの遠隔ケア。
パートナーの両親のこと。
預けている愛犬のこと。
外国にいる家族とのやり取り。
自分自身のケア。

頭は、それらと将来への不安に行きがち。

今までだって、人生にはたくさんの困難があった。
まだ、40代の若造ではあるが、
それなりに起こった困難と混乱状態をくぐり抜け、
なんとか生き延びてきた。
(もちろん、恵まれている面もたくさんある)

自分の現実を、誰かの現実と見比べて、
叶っていないことを、
夢や目標にしそうになる。
でも、それは自分を苦しめる。
自分を責めているような感覚になる。
そのうち自分を責めるのが辛くなり、
何かのせいにしたくなる。

心は、ただ、自分の何かを動かしたい気持ち。
内側から湧き起こるような、
自然と流れるように、
無理がなく、
自分にフィットすることをする。
変化する日常の中で、
以前のようにはいかなくても。

だから今は、意識をして、
そのための時間を作ろうとしている。
ここから一週間ほど、
そういった時間が持てそうだと思っている。

わたしは、習ったメレ(曲)について、
すごくたくさん踊りの練習をするというタイプではなく、
ノートを見返したり、振りを確認するくらい。

ホオパアといって、
イプ(ヒョウタン)を叩いて、
リズムとチャントをすることは、
大好きなのでよくしているけれど、
それは、体と耳で覚えているので
練習というほどではない。

習ったメレ(曲)が、
踊ったり、チャントしたりして、
自分の中で熟したら、
ノートにまとめる、ということをしている。
これは、大切な作業だ。

今は、レッスンも少ないので、
新しく習っている曲もなく、
発表の場もない。

レッスンに行き、
ライブや発表、
自然の中で踊るなどしていると、
練習、練習と意識しなくても、
練習になっている。

今は、その機会はなくなった。
何かあれば、
練習するモチベーションにもなるが、
なければそうでもない。

何は無くとも練習!基本(ステップ・ベーシック)!
というのは見習うべきフラダンサーの鏡かとも思うが、
今の等身大のわたしは、
それができていないし、
気持ちが動かないでいる。

ストレッチだけはしているが、
フラに必要な筋肉(通称フラ筋)は落ちてしまったと思う。

先生と仲間の力も大きい。
みんながいるから、踊れていた。
フラとは、言葉。
ホオパア(リズムと詠唱)と、
オーラパ(ダンサー)のコミュニケーション。
伝え合って、メレ(曲)の世界を作り出す。
群舞ともいわれる面もある。
もちろんソロもあるけれど。

今は、一人になった気分。
先生やフラシスターとの繋がりはあるけれど、
一緒には踊れていない現実がある。
一緒に踊らないとわからないことがある。

一人の自分はどう踊るのか。

少し前、夏の頃は、海辺に行って、
イヤホンで曲を聴きながら、
風を感じながら踊った。

それだけで、かなり気持ちが良く、
わたし自身をご機嫌に満足させることができる。
やっぱり外で、何も気にせず踊るのは最高。
この気持ち良さは、
みんなに知って欲しいと思う。

これが、今。

ayumi
今日の写真は、ホノルルのビショップミュージアムの、Hulaの楽器展示より。


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