【読書】北村巌『大逆罪』

「大逆事件」と言うとき、この国には四つの事件がある。「幸徳事件」「朴烈事件」「虎ノ門事件」「桜田門事件」。本書はこのうち「幸徳事件」「朴烈事件」について語ったものである。表紙の人物は朴烈と金子文子。第Ⅰ部が朴烈事件。第Ⅱ部が幸徳事件。朴烈事件のみならず、幸徳事件についてもいろいろと知れた。


朴烈が連行されたのは関東大震災の二日後である大正十二年九月三日。朝鮮人に対する虐殺が横行する混乱の中で名目は保護。しかし実態は、朝鮮人虐殺の表向きの理由を作るためであった。どういうことか。

朴烈は朝鮮人。その朝鮮人である朴烈が大逆罪を計画していたとしたら・・・。日本人の怒りを買い、結果、朝鮮人虐殺につながった。日本人の心情を思えばやむを得まい。そういう理屈であるらしい。

「幸徳事件」の時もそうだが、政府は国際社会からの批判を極度に恐れる。朝鮮人虐殺は既に起こってしまった。政府はそれを止める手だてを知らず、いや止めようともせず、いやそれどころか煽ってさえもいた。在日外国人は虐殺について既に母国に報告している。隠しおおせはしない。ならば虐殺もやむを得まいという雰囲気を作り上げるまでである。そう。大逆罪だ。そこにタイミングよくあったのが朴烈と金子文子だった。にわかには信じがたいが、一方でさもありなんとも思う。


次の文章は、小山松吉検事が後の昭和三年九月に講演した「日本社会主義運動史」の一部である。これは幸徳事件について語ったものであるが、この法に基づけば誰でさえ抹殺可能である。

 大逆事件は日本有史以来の大事件であるから法律を超越して処分しなければならぬ、 司法官たるものは、此の際区々たる訴訟手続きなどに拘泥すべきではないという意見が政府部内にあった。 (中略) 事実が判ったらどんどん首切ったら宜しかろうという意見もあった。(中略) 幸徳の事件は 証拠などを詳細に取調べる要はない。事柄が明瞭なら死刑にしてしまったら宜しいだろうと、また幸徳ほどの男がこの事件に関係のないはずはないという推定のもとに証拠は極めて薄弱であったが検挙することに決めた

本文より

当時の大逆事件自体が悪辣そのものであるが、その後のこの国のあり方、国民意識のあり方にも、最近は疑問を押さえられない。大逆罪の体制側の人間はその後出世していく。大逆罪で裁かれた人達は当事者のみならず親類縁者までもが肩身は狭くなる。裁判で果敢に立ち向かった弁護士達にもほとんど光はあてられない。「どんどん首を切ったらよろしい」と言うような言葉を吐く人間が称賛され、「人を信じ過ぎて失敗したのは人を疑って成功したよりも善いものである」と言った人が忘れられてゆく。児童書にある偉人伝は本当に偉人なのか。大鉈をふるってきた者ばかりが語り継がれるのでいいのだろうか。偉人伝に意図的なものを感じるのは私だけか。

最近は、大逆事件で処罰された人達の復権も進みつつあるそうだ。だが、政府によってではない。地方自治体、もしくは宗教団体においてである。幸徳秋水は高知県中村市にて、大石誠之助は和歌山新宮市にて、内山愚童は曹洞宗にて、高木顕明は真宗大谷派にて。

著者はこういう。

明治・大正期の政府がいかに見せかけだけの近代国家を装い、自己権力の保持のみに汲々とする者たちの寄せ集めでしかなかったかがわかる。

本文より

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