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芥川龍之介と桃太郎

先日、某国営放送の歴史探偵のテーマが「桃太郎」だった。日本全国津々浦々。桃太郎には様々なバージョンの伝承があるというようなことだった。

桃太郎と聞いて私が思い浮かべるのは芥川龍之介の「桃太郎」である。

番組でも扱っていた。
とにかく、とんでもない桃太郎なのだ。

桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。

芥川龍之介『桃太郎』

これはまだ出だしの方の幾分はマシな記述で、後の方にいたってはこんなことになってしまう。孤島の楽園で平和に暮らしていた鬼たちを桃太郎たちが襲うシーン。

「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。

芥川龍之介『桃太郎』

犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣にした。

芥川龍之介『桃太郎』

途方にくれる有り様だ。

この芥川龍之介の桃太郎について、彼、芥川龍之介が何故こんな話を書いたのか。そのことは、番組でも話題にされていた。

「明治時代から当時にかけて、アジア諸国に植民地支配を広げていた日本を批判したものではないか」

それが専門家の見方のようだ。

だが。

私にはもう一つ、気になることがある。


大正十二年九月一日。
関東大震災。

未曾有の大震災に自警団が組織された。発端は善意からであったかもしれないが、恐怖と不安は人々を思わぬ行動に駆り立てる。朝鮮人の虐殺の大半は、この自警団によるものであると言われている。

芥川龍之介は、その自警団に加わっていた。

芥川龍之介の作品に『大正十二年九月一日の大震に際して』という随筆がある。そこにも自警団であったことは記されている。


善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない

芥川龍之介『大正十二年九月一日の大震に際して』

『善良なる市民』『勇敢なる自警団』というのは皮肉である。おそらくは『善良』であるとも『勇敢』であるとも思ってはいないだろう。それは自分自身のみならす、すべての『市民』、すべての『自警団』に対しての感情でないか。芥川龍之介は『市民』が善良であるとか、『自警団』が勇敢であるなどとは思っていなかった。ではどのように思っていたのか。それが全くわからない。自警団に関する記述はこればかりなのである。

ちなみに、ここにある『菊池』というのは『菊池寛』のことである。『菊池は善良なる市民の資格を欠く』という文章でこの行は始まる。『善良なる市民』とは皮肉でしかないので、資格を欠いてこそ褒められるべきものだ。社会主義者や朝鮮人に対して、当時流布公言されていた悪質なデマを敢然と否定する。それが菊池寛だ。芥川龍之介は、そういう菊池寛を憧れていたのかもしれない。

震災のとき、芥川龍之介は自警団と行動を共にしたのだろうか。したのだとすれば、何をしたのだろうか。何を見たのだろうか。何を聞いたのだろうか。あるいは、何をしなかったのだろうか。何を見なかったのだろうか。何を聞かなかったのだろうか。あの未曾有の震災にあって、ほとんど書き残さなかった。それは何故か。

私には、その時の自警団での経験が芥川龍之介に桃太郎を書かせたのではないかと思えてならない。

関東大震災は大正十二年九月一日。

芥川龍之介が桃太郎を書いたのは大正十三年六月。

震災の記憶はまだ、生々しかったはずだ。

桃太郎を書くことで何かを残そうとした。
そう考えるの穿ち過ぎだろうか。

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