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相手の言葉は、自分と向き合うきっかけになっていく

どんな言葉で
相手に伝えようか。

自分で言うのもなんだが、
私はどちらかというと
世間一般で言うところの
「繊細さん」だと思う。

そこに流れる空気感だとか、
その人の雰囲気だとか、

目線一つとっても、
「何か」を敏感に感じるところがる。

その中でも

しばしば
「言葉」というものに
かなり敏感になっていた時がある。

「そんな言い方ないよね」
「なんでそういう無遠慮なこと
平気で言えるんだろう」

そんな風に、
言葉の一つ一つにやけに反応していた。

多分それは、
自分自身が「言葉」というものに対して
一種の恐怖のようなものを
感じていたからかもしれない。

言葉は
相手を傷つけもするし、励ましもする。

だからこそ、
言葉の扱い方には慎重で、
いつもなかなか自分の言いたいことが
伝えられなくて。
(特にそれは、NOと言いたいとき)

なんでもかんでも
深く考えられもせずに、
自分の懐にポイッと投げられる
言葉に傷つきもしたし、

それは行き場のない怒りへと
変わっていってたなぁと思う。

いただいた、あじさい。
かわいいな。

今は
そこまでの言葉の縛りは
感じ無くなっている。


自分がどうしてその言葉に
「反応しているのか」を、
俯瞰して考えるように
なったからかもしれない。

相手の言葉に
敏感に反応するということは、

それは自分の中に
何か時限爆弾のようなものが
元々は備えられていて、
(たぶんいつもひっそりとそこにある。)

そんなところに
相手の何気ない言葉が掛かることで、
無意識に私たちは「反応」し、
そこにスイッチが入る。

そう、
そもそもの原因は自分の中にあるのだ。

そう気づくようになってからは、
相手の一言のせいに
軽々しくはできなくなって、

跳ね返るかのように、
私自身の内側へと向き合わせられる。

なぜ自分は
その言葉に怒りを感じているのか。

なぜ自分は
その言葉に傷ついているのか。

そこを掘り下げていくことで、
もう誰のせいでもなくなり、
すべての感情の原因は
結局のところ自分自身にあるということに
気づかざるを得なくなる。

誰のせいにもできなくなる
ということは、
おそらく
苦しさを伴うことかもしれない。

誰だって、
自分が正しいと思っているし、
自分が正しいと信じたい。

でもそこには、
自分自身を知る、大切な気づきが
きっとあるような気がする。



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