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福島原発事故の責任を考える -生業訴訟の概要と批判-

先日、仙台高裁にて『生業訴訟』の判決が出ました。
というのを、SNS経由で知って、恥ずかしながら生業訴訟のことを知らなかったのでさらさらと調べてみて、ああこれはまずいなぁ、危険だなぁと思う部分があったので、

1. 福島原発事故を簡単に振り返って
2. 生業訴訟を簡単にまとめて
3. ちょっとだけ批判をして

みようと思います。

ただし!
前提として、私は訴訟のアレソレや司法のソレコレに関して、まったくの素人です。
そこは頭に入れて、一意見としてご笑覧ください。

このあと4000字くらいあるので、めんどくさい人は以下太字に私の主張を要約したので、そこだけ読んでください。

福島原発事故に対して起きた訴訟で住民側が勝訴したけど、過剰な賠償が行われているように見える。
今後に悪影響を与える判例になってしまうし、全体として損をしている結果なんじゃないか?

以上です。

背景:そもそも福島第一原子力発電所事故ってなんだったっけ

2011年3月、東日本大震災により、沿岸部に位置する福島第一原子力発電所は電源を喪失し、炉心の冷却を継続することができなくなりました。
この結果、炉心の温度上昇、水素の発生、爆発といった事象が発生し、環境中へ放射性物質が放出される深刻な事故となり、いわゆる福島第一原発事故として記憶されることになりました。

事故によって放出された放射性物質の一部は日本国内を通過し、当時は放射線による健康被害を不安視する意見が多く見られました。
2020年10月現在には、その後の調査によって、環境へ放出された放射性物質による健康影響はないとされています。
しかし、当時は情報が十分ではなく、また低線量被ばく(放射線をちょっとだけ浴びること)についての理解が難しかったこともあり、日本全国上へ下への大騒ぎになりました。

福島県内では放射性物質の量が多い場所の住民が避難させられたほか、土壌に放射性物質がくっついてしまい、今でも帰宅が制限されている場所が残されています

背景:生業訴訟ってなに?

3行まとめ

○福島原発事故で被害を受けた住民が、東電および国を訴えた。
○放射能汚染されていない環境で暮らす権利を奪われたと主張。
○一審で勝訴、二審でも勝訴しており、全てではないが要求は認められた。

以下は生業訴訟HPから引用。

 「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団及び弁護団は、平成25年3月11日、800人の原告とともに、東京電力及び国を相手方として、福島地方裁判所に訴えを提起しました。
 安全神話を掲げて国と東京電力は原発を推進してきましたが、事故によって放出された放射性物質は、県境を越えて広い地域や環境を汚染し、多くの方々に避難生活、健康に不安を抱く生活を強いています。
 私たちは、本件訴訟において、地域を汚染した放射性物質を事故前の状態に戻すこと、そして元の状態に戻るまでの間、精神的な苦痛に対する慰謝料を求めます。
 多くの被害者が、それぞれの被害の状況や立場を超えて団結し、国と東京電力に対して立ち上がり、これ以上の被害を生み出さないことを求めます。
 多くの皆様の本件訴訟へのご参加とご支援を心から訴えます。

福島原発事故は自然災害により生じたものですが、「そもそも東電および国が適切な対策を取っていなかった」と主張しています。
反対に、東電および国は「対策/規制は適切に行われており、当時の知見を基に対策しても事故は防げなかった」と主張しています。

先日の仙台高裁の判決では住民側が勝訴
国と東電の過失が認められ、全てではありませんが住民の要求を認める結果となりました。

①避難指示等の対象区域に居住していた原告については,地裁判決が事実上否定した「ふるさと喪失損害」を認め,賠償額を大幅に上積みした。
②避難指示等の対象区域外に居住していた原告については,地裁判決よりも広い範囲について損害賠償を認めた。
(生業訴訟HPより)

詳しくは生業訴訟HPを参照ください。

本題:生業訴訟への批判点

論点1:自主避難者を保障の対象とすべきか

自主避難者とは(読んで字の如く)自主的な判断で避難をした人です。
非常に難しい問題なので、ごく単純化して、批判的な立場と擁護的な立場のそれぞれから指摘してみます。

論点1への批判:自主避難に正当な根拠はない

自主避難を選択したのは、放射線影響が無視できるほど小さいと判断された地域に居住されていた方々です。
放射線影響が無視できるほど小さい、にもかかわらず避難をする、というのは、言ってしまえば意味のない移動です。
不安だから、という理由で避難して、避難によって受けた精神的苦痛について賠償を求めるのは正当性に欠けるように思います。
不安を発生させたことに対する慰謝料なのだ、という主張だとしても、その必要もないのに過剰に不安がっているだけ、という批判はできます。

論点1への擁護:非専門家が当時の混乱の中で正しい判断をするのは困難である

自主避難に対する上の批判は、『情報が少なく、錯綜していた状況でも正しい判断ができたはずである』という前提に立っています。
時間が経過した現在は低線量被ばくに関する知識も普及して(しましたよね?)、落ち着いた気持ちで数字を見ることもできますが、当時は事故も収束しておらず、情報も少なく、マスメディアも正しい情報を出せずにいました。

その前提を無視して「判断を間違ったくせに慰謝料とは何だ」という批判をするのは、人間の能力に期待しすぎているように思います。
(放射線による被害から逃れるための自主避難は間違いだった、とは思ってます)(そりゃ間違えるよな~…とも思います)

精神的苦痛は共通なのだから、自主避難者も保障対象とすべき?

生業訴訟は住民の精神的苦痛に対する慰謝料を要求しており、健康被害が無いことは承知しているようです。
自主避難者も強制避難者も関係なく、みんな精神的苦痛を受けている、だからみんなが保障の対象だ、という展開ですね。
原告団の分断を避ける意味でも重要な方針です。

でも、精神的苦痛こそ、定量化できず、扱いに困るものです。
それが賠償を求めるに足る根拠はあるのか、あるいはどれほどの賠償を求めるべきものなのか。
事故の予見可能性に基づいて賠償を要求していますが、その金額についてはどのように算定されるのか、気になります。

東電も国も、自主避難を引き起こさないような適切な情報公開ができなかった、という視点で批判をすることは可能ですね。むしろそちらが本命のような気もします。

精神的苦痛/不安を根拠にすると、将来困らないか?

国が適正でない政策を選ぶことによって生じる精神的苦痛/不安を根拠にすると、適用範囲が広くなってしまうように思います。

たとえば日本の経済政策によって失業した人、金銭的損害を受けた人は…
たとえば気候変動への対策不足によって住居を失った、暮らしが変わってしまった人は…
たとえばコロナ対策が上手くなかったことで失業した自営業者が団結して国を訴訟したら…

もちろん適用範囲というものは司法の判断によって決まるものですので、根拠と論理によって定められるならばそれで良し、と言えるでしょう。
同時に、司法の判断が常に正しいわけでもない、ということも覚えておきたいですね。

誤った判断(=自主避難)を生み出した責任はメディアに求めるべきものではないか?

事故の起因は東電および国に求めるべきですが、同時にメディアの責任も問われるべきと思います。
特に自主避難を引き起こしてしまったのは、事故直後から継続して健康不安を煽ってきたマスメディアに責任があります。

この点については生業訴訟と絡めて話しても、「いや生業訴訟はそうじゃないから」で終わりなので、終わっておきます。
でも本当に、当時デマ屋をやっていた人たちがいたこと、ちゃんと覚えておいたほうがいいですよ!?
善意を持って悪を為す人、本当に本当に危険です。
悪意を持ってる人は言わずもがな。

論点2:東電および国には無限の責任があるのか?

これはおそらくパフォーマンス、というかアンカーとして挙げているものなので、サクッといきます。

前提:アンカー効果、あるいはアンカリング

会話あるいは交渉のテクニックに、アンカー効果というものの活用があります。
簡単には、事前に大きな数字を示されると、つい大きめの数字で考えてしまう、という認知バイアスです。
詳しくはWikiを見るか、行動経済学などの本を読んでください。

生業訴訟の主張

請求内容は、
(1)事故による放射能汚染のない状況に戻すこと、
(2)もとに戻るまで、毎月5万円の慰謝料を支払うこと
です。
 裁判の目的は、この裁判の中で、福島原発事故についての国と東電の責任を明らかにして、これを通じて
(1)原状の回復(もとの福島を返せ!)
(2)原発の廃炉
(3)住民の健康対策の充実
(4)完全な賠償の支払い
などを要求することです。
(生業訴訟Q&Aより、改行は著者による)

『(1)事故による放射能汚染のない状況に戻すこと』は達成不可能ですし、したがって『(2)もとに戻るまで、毎月5万円の慰謝料を支払うこと』は無限の慰謝料を要求しています。

同じく『(1)原状の回復(もとの福島を返せ!)』は達成不可能、『(2)原発の廃炉』は本件と無関係、『(4)完全な賠償の支払い』は過剰です。

『(3)住民の健康対策の充実』は精神面のケアについて拡充を求めるのであれば納得できます。
風評被害や住居の喪失による精神的苦痛は適切なケアが必要です。

初めにアンカリングについて説明したとおり、要求を高めに設定することで、最終的な着地点を高めにするためのテクニックであろうと思います。
批判というわけではないですが、主張の内容自体が適正というわけではない(議論のテクニックとして設定されたものでしかない)、ということだけ指摘しておきます。

論点3:搾取になっていないか。

ここは自信のない部分なので、違ったら特に批判してください。
東電および国に対して慰謝料を求めるわけですが、その支払いの財源は何なんでしょうか。

東電のお財布がダメージを受けると、当然ながら収入を増やす必要があります。払った分を稼がないといけません。
するとどうなるか。
電気代が高くなります。

国が慰謝料を支払うことになると、その支払は税金によって賄われることになります。
ただでさえ足りない税金が…。

となると、全国(あるいは東電の給電圏内)から原告(と弁護士)にお金が移動しているだけにならないでしょうか…?
社会保障ってそういうもの、とも思えます。

適正な範囲内で、司法の判断において行われるものは当然行われるべきものですが、じゃあどこまでが適切なの?というのは問われなければいけませんね。
そういう意味でも、自主避難者は…という議論が気になります。
勝手に損害を発生させて、勝手に財を徴収する、というのは、大丈夫か…?

まとめ

ここまで読み切ったあなたはすごい!
十分にまとめきれない文章になってしまったことを反省しています。
気力が尽きたので図解もつけられませんでした。

福島原発事故、まだまだ冷静に語れない問題です。
司法の判断がされたのは重要なことですが、どこまでを認めるものなのか、どういった根拠に基づいてされた判断なのかをよく考えて、丁寧に前に進めていきたいですね。

ご覧いただきありがとうございます! 知りたい内容などあればご連絡くださいね。