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医療と私③医療従事者になるまで。

 私は、「家庭の医学」の本を愛読するような子どもでした。からだの仕組みや病気について知ることがおもしろくて、病名を見るだけでわくわくしていました。すごく不謹慎なんだけど、訃報に書いてある死因を見て、どんな病気なのか思いを馳せるような子どもでしたね^^;

 強いて言えば母親が医薬品卸に従事していたくらいで、家族や親せきに医療従事者がいたわけでもありません。

 ただ、私がよく病気になっていて、病院に行く頻度が高かったかもしれません。幼いころは自家中毒、蕁麻疹などを頻発していたそうです、

 高校進学の際に、自分は将来何になりたいかを考えたのは薬剤師でした。ですが、薬剤師が薬の量を間違えたら患者さんを死なせてしまうことになるという恐ろしさに気付き、やめました。(トリカブトの殺人事件とかあった頃なんです)(ちょうど数学の壁にも打ち砕かれたしww)

 そこで思い出したのは、小学校の時の栄養士さんでした。病気にも興味はあるけど、食べ物にも興味があることに気付き、臨床栄養学という疾患のための栄養を考える学問の存在にたどり着きました。

 私が学びたかったのはこれだぁ!と思いました。

 実は国文学にも心奪われそうになったのですが、バブルがはじけ、文学では飯は食えぬと思ったリアリスト高校生は栄養士の道を選択したのです。
 当時進学希望で迷っていた大学に、数十年の時を経て今現在、息子氏が通っているのは運命なのでしょうね。学科まで同じw

 そして栄養士になったのですが、世の中は就職超氷河期と言われた頃。
 病院栄養士としての就職活動にこだわりすぎたあまり、就職浪人寸前でした。臨時採用の期間を経て、中規模の総合病院に就職しました。

 その病院には結果的に3年ほどしか勤務していないのですが、その間に、祖母のがん告知を受けたのです。これもまた運命だったんでしょうね。

 続きはまた次回。

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)

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