発達障害息子氏の年齢の頃の私②学校という職場。
就職浪人すれすれのところで、私は期間限定の臨時採用ではあるものの小学校栄養士という仕事に就くことが出来ました。まさに今の息子氏の年齢の頃です。
臨時採用ではありましたが、配属になった小学校に、栄養士は私しかいないという1名配置でした。先輩からの引継ぎはほんの5分ほど。短大を出たばかりの何もわからないひよっこに、その学校の給食に関するすべての責任を負わせていいのか?と恐れおののきました。
栄養士という職業は、新米であっても、多くの職場では調理師の上に立って指導する立場となります。新人でも中間管理職のような立ち位置なのです。ベテラン世代の調理師さんたちに教えてもらいながら、いろいろな失敗もしながら、何とか働きました。
それだけではなく、小学校なので、教師との付き合いもありました。
教育という分野については殆ど手探りでした。小さい子どもは好きだけど、教える立場に立つというのはまた別の感覚です。給食時間に指導に回ったり、担任不在の時の代替にクラスに入って指導したり、クッキングクラブや給食委員会の顧問もしました。
どの仕事も、自分が良いと思ってやってみていることが正しいかどうかさえ分かりませんでした。暗中模索という言葉がぴったりだと思います。こんなひよっこが「先生」と呼ばれていいのか、迷い迷いの日々でした。
小学校という職場は、今振り返ると実に不思議なところで、一般的な社会人としてのマナーが通用しないことだらけでした。電話が鳴っても教師は誰も取らないし、同僚のことは職員室でも電話口でも「先生」と呼ぶし、上下関係や敬語もめちゃくちゃでした。職員室内で仲が悪いというわけではなかったのですが、距離感が独特でした。それぞれが自分のクラスでの一匹狼だったのかなと思います。
そんな世界で社会人一年生としての擦り込みがされてしまったので、以降の職場での違和感は半端なかったです。
子どもたちは可愛かったですよ。辛いことも多かったですが、学校栄養士は天職だと思ったくらい楽しかったです。当時の小学生が、大人になって私を見つけて声をかけてくれたときは嬉しかったですね。
でも期間限定の臨時採用だったので、次の仕事への不安は常にありました。そんな話はまた次回。
以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)
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